永遠の図書室スタートに寄せて(千葉県房日新聞への寄稿文)


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「ビジネス目的で購入した古い建物から戦争関係の書物が数千冊出てきてどう処分しようか悩んでいるが、何かアドバイスはありませんか?」

 昨年末、30年前の大学時代に一緒に学生企業を起業した後輩の漆原君からメールで本棚を撮影した写真が送られてきた。「手記もあるか?」と聞いたら「かなりある」。これが決め手になって私はすぐ館山に出向いて、その場で図書館として保存することを提案した。

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資金協力だけではなく、3000冊以上もの書籍や手記に目を通して書籍の選別やコーナー作りをして3月23日にオープンすることが出来た。とにかく急いだ。私は昨年、癌が再発し舌と喉頭を全て摘出して声が出せなくなり、いつまで生きていられるか全く分からない状況だからだ。書物と私が処分される寸前に出会うことが出来たのは、単なる偶然ではないと感じた。私がまだ生きているのは、本の元持主である飯塚浩氏(故人)が天国から支えているからであり、私を探し出して館山に連れてきたのだと思った。

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私は、先の大戦の戦跡を中心に世界100ヵ国250都市を訪問したが、本格的に始めることになったのは2001年の小泉首相の靖国神社参拝をきっかけに起きた中国での暴動デモである。当時中国には支社も出していたので仕事にも大きな影響が出たが、日本人として「なぜ中国人や韓国人は、いまだに昔の戦争のことを取り出して怒るのか?」それを正しく理解したいと思ったからである。

沢山の本を読み映画も観た。しかし、南京大虐殺事件や従軍慰安婦問題等は全く無かったとするものから、反対に極端に自国を否定する自虐的なものまで多数存在していたため、直接自分の目で見たり当事者の話を聞いたりしなければ真実は分からないという結論に至ったのである。そして私の旅がはじまった。北はモンゴルのノモンハン、西はミャンマーのインパール方面、東は真珠湾、南はソロモン諸島のガダルカナル島と、先の大戦の日本軍の主な進軍先の大半を訪れたのではないかと思う。

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最前線の戦跡を訪問するのは容易ではなく、例えばノモンハンは、モンゴルの首都ウランバートルから2日もかけて道なき大草原を走行する必要があるが、泥沼にはまって1日立ち往生してしまい予定の日に到着しなかったためモンゴル軍が捜索活動を開始するなどのハプニングがあった(直前に自力で脱出したため事故にはならなかった)。ノモンハンへの旅行者は、年間に百人程でそのうち日本人は十人程度である。事前に複数の書物を読んでいたが、書物には記載されていない空爆の跡を発見することが出来た。国境をはるかに超えたモンゴル内地である。

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ノモンハン事件は、日本では辻政信という参謀軍人が独走して大規模な戦いに発展した事件とされているが、ノモンハン事件記念館のモンゴル人の館長は「あんなに大規模な戦いを本国の承諾も無しに現場の指揮官が勝手に実行するとは思えない。日本は本格的にロシアに侵略しようとしていたのではないか?」と何度説明しても信じてくれなかった。実際に両国で1万5千人以上もの人が亡くなった。モンゴルではハルハ河戦争と呼ばれており近代では最も大きな戦であったからそのように考えるのは普通であろう。

モンゴル

このように、本に記載されていることと、事実とが異なることは何度か見聞きした。「欧米列強からアジアを解放するのである」という気持ちで戦った兵士が大半ではあると思うが、350万人もの兵士が日中戦争から終戦まで8年間もの間、アジアや太平洋中に駐留していたため、虐殺や略奪行為を働いた者も一部いたと思う。勿論、靖国問題等に対する暴動デモや反日教育は明らかにいき過ぎだと思うが、特に中国と韓国については、日本は欧米列強からアジアを解放すると言う大義がありながらも、彼らからすれば日本も自らが欧米列強と変わらないような立ち位置に見えてしまった部分も否定しきれないと思うので、過去の終わったこととするのではなく、二度と戦争を起こさないためにも生涯反省の念を持つ必要はあると感じているし、日本人はもっと戦争のことを学ぶ必要があると感じている。

その点で、様々な事実を保存し未来を担っていく人に継承するためにも個人の手記を残すことは極めて重要であると感じている。「永遠の図書室」の建物である元飯塚薬局のオーナーであった故飯塚浩氏は、エリート中のエリートと言われた「陸軍士官学校」(56期生)を卒業し、台湾、東ティモール、インドネシア等に駐在し大尉で終戦を迎えた。特にインドネシアについては、日本の進出がオランダの植民地からの解放につながる大きなきっかけになったことは有名であり、満州国を建国した中国や、併合した韓国とは大きく事情が異なる。

手記を読んだり、飯塚氏が大切にした書籍を読むと、飯塚氏や彼の周囲の人達は、日本を守り、東アジアを欧米の植民地から解放したいという気持ちで戦ったことが読み取れる。だから、戦死した戦友の事を思うと中国や韓国の人から未だに戦争の責任を問われることについては本当に辛い思いをしたであろう。また外国人だけではなく日本の中でも軍部の独走説など自虐的な話が一般的になる中で、欧米列強の支配から逃れて独立した国が沢山あることを知って欲しいと手記にはしっかり記録されている。それと同時に今後戦争を起こさないために、なぜ日本は戦争を起こすことになったのか、日本の戦争はアジアにどのような影響を与えたのか?一生かけてずっと研究したのだろう。

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飯塚氏は戦後もインドネシアをはじめ士官学校の同期や戦友が戦死した場所を数多く訪れたり、日本兵として志願して戦った台湾人への補償活動にも大変力を注いだ。その記録も鮮明に残されている。昨今、日韓の間で徴用工問題が物議を醸しているが、飯塚氏の記録を見る限り日本兵として志願した外国人に対してはそれなりの補償が行われたようである。飯塚氏の手記は大体3回程編集されており、当時に自分で書いたもの、戦後にまとめたもの、最後に自分の手記をワープロでまとめて、関連書物のコピーなどを添えてより見やすくしたものである。最終的にまとめられたものは、現代語で書かれているので若者でも普通に読める内容である。原本が残っていることは重要であり信憑性が高いと考えられる。

「永遠の図書室」は、戦争について全く興味や知識が無い人にも楽しんでもらえるように、飯塚氏が集めた写真集、雑誌、漫画、映像などのコーナーを比較的広くするなど工夫したり、フリードリンクのサービスや飲食物の持込も可とするなど居心地の良さも大切にしたつもりだ。戦争に関する図書館は靖国神社など公立のものがいくつか存在しているが、検索して指定しないと目に触れることが出来ない場合が多く利用者はほぼ専門家に限られていることにいつも疑問を感じていたからだ。

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今回は最短でのオープンを第一目標としたため、設備やサービスは十分ではなく、整理を終えていない手記もあるため、「飯塚氏の思い」を今後どのように広げていくべきか積極的にご意見を賜れたら非常に有難い。また館山には自衛隊もあるので、戦争記憶者、現役の自衛官、子供達等との世代を超えての戦争を通じたコミュニケーションの場になると飯塚氏もきっと喜ぶのではないかと思うので、戦争の記憶を新しい世代にお話いただける方は是非とも講演会などをお願いしたい。またお手元に軍事関係の書物や手記や遺品などがあって、広く世の中に役立てたいと思われる方がいらっしゃれば是非とも寄贈をお願いしたい。



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