Hello World!

考えたことは残すべきだと思う。

大掃除をしていてふと見つけた昔の日記を読んでいたら一日が終わった、というような経験をするため、に考えたことは残すべきだと思う。

そこで、一点注意すべきことがある。

それは、自分が考え「ている」ことを残すこと。

世の中には、面白くて歩きながら読んでしまう本と、つまらなすぎて苦行の一環自らの鍛錬のために読む本が存在する。前者は明らかに、著者がブーンと脳みそをフル回転させながら書いていることがわかり、生命感をもって迫ってくる。だから、こちらが途中で読むことをやめるのが申し訳ない気持ちになる。そんな本は20冊読んで1冊あるかないかだけれども、確かに存在する。

人の話でも同じかもしれない。すでに話すことが決まった人の話はどうも「横を通り過ぎていく」ような、虚しさを感じる。大体そういう人っていうのは、聴衆を見ていないことが多い。聴衆が明らかに、退屈である、というシグナルを発していても、受信モードがオフになっているから、受け取ることができない。「リアルタイム性」を有した話は、それがたとえ上手なしゃべりでなくとも、聞き入ってしまう。

言いたいことがはっきりしている、というのはたいてい「借り物」の言葉である。
言いよどんでいる言葉こそが、まさに「今」考えていることであり、緊迫感をもって迫ってくる言葉なのだと思う。


最近自分の中でお気に入りの考えのテーマをいくつか列挙したい。

・いかなる出来事も、事後的に「幸せなストーリー」に回収せざるを得ない。

・知らないものに絶大な信頼を寄せざるをえない。

・同じ過ちを繰り返すことに躊躇しない。

・「やらなくてもいいこと」をやらざるにはいられず、そのことに「言い訳」をつけざるをえない。

・「一般」に対して批判する際の「一般」とは「過去の話者本人」であり、過去の欠陥を克服した「今の話者」にとってそれは自覚されず、さらに、「聴衆」もその「一般」に「自らの過去」を照らし合わせた上で過去を湾曲させることでようやく話を聞く姿勢に入る。

・時間の積み重ねとして「今の自分」がいるかぎり、「真の意味で他者の言うことは完全に理解できない」ということのみ確かに言える。かもしれない。

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