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福岡で大号泣

今回、僕が福岡に行き滞在することは必然で、
愛を阻んでいたものを認識する機会のためだったとわかった。

以前のブログで何度か、書いたのだが、

過去ブログ:コミュニケーション障害
過去ブログ:怒り奮闘している相手を見るとき

仕事仲間(彼)との関係で、僕が投影の対象とする福岡に住む人物がいるのだが、彼を通して数日前に、僕の愛を阻んでいたものが崩れ落ちた。


僕の中では以前から、
仕事仲間の前で、奥さんの前で、友人知人の前で、家族の前で、

つまり、あらゆる人間関係の中で、

人前で泣くことは
「完全なる負け。おのれ(自我)の敗北」を意味していた。


そのため、いつしか、僕はできる自分でなくてはならない。
ということをやり続け「デキスギ君」と言われることもあるような人間になり、身を鎧でおおっていた。

そして、少しずつではあるが「真我なるハート」の勉強会「奇跡講座」のおかげさまで、
その身にまとい重くのしかかった鎧が少しずつ剥がれて、
聖霊への信頼、兄弟への信頼で、人前で泣くことも少しずつできるようになり、「強がり、敗北しない人間。」をやめていけるようになっていった。


それから福岡に来て1ヶ月。
休む暇もなくお店の準備を進めた。

ただ、これが自分で努力している感じがなく、その場に居合わせているだけの状態が続いた。
それは、奇跡的なことの連続だったし恩寵のようにも思えた。

特に福岡に来てからの仕事は、僕の投影対象としている仕事仲間(彼)とほぼ毎日、朝から晩まで一緒にいた。
そして彼を通して、僕は何度も奇跡が起きていくのを見た。

「なんで文句ばかり言ってる彼に奇跡が起きるんだ?」
という投影もあった。


そして、いよいよお店がオープンできそうな感じに出来上がってきた。

彼の昔の仲間たちも集まってきて、僕の奥さんもお店に来ることになり、軽いお祝いのようになった。


数時間お店で過ごしてから、僕はお店の目の前にある少し大きめの公園で、お店を眺めながら休憩していた。
公園で休んでいたら、仕事仲間の彼が僕を見つけて公園まで歩いてきた。


「ようやく、ここまでこれたね。どうなのさ?(どう感じてる)」

と声をかけてきた。

何かをしゃべろうとしたが、それ以上に感じるものがあり、その瞬間、僕の中に押し込めていたものが爆発した。

「強がり、敗北しない人間。」という保持していた亀裂の入っていたものが崩壊し大号泣した。

答えようとしても、もう言葉が出ないくらい泣いた。


彼に投影していたものが完全な誤りだったことを認めざるを得なかった。
そして、彼を通して奇跡の連続を見せられた。(彼がイエスに見え敗北した)
泣くのは敗北宣言だが、泣かずにはいられない。
僕は完全敗北した。

号泣する僕に彼は優しく肩を置いてくれて何も語らなかった。

「優しくしないでくれぇ!!負けちまうっ!」
「ゔゔぅぅぉぉぉぉっ〜〜〜〜〜!!!!!」
って感じながら泣くに任せて委ねた。


僕が少し話せるようになり

「自分が完全に間違っていた。僕はあなたを拒んでいた。嫌っていた。何度も攻撃的になった。勝ちたかった。」

と感情のまま伝えて、また泣いた。


彼は僕の肩に手を乗せたまま、ただただ光のような笑顔だった。

泣いたまま数十分経ったのだろうか。

ずっと外にいる僕たち二人に気付いて、お店の中にいた彼の昔の仲間たちが、僕たちのところに来た。

巻きタバコを作りながら僕を見て「なんで泣いてるん?」と笑って話しかける人。
今日会ったばかりだが横に座って優しい声をかけてくれる人。
奥さんも外に出て来て「え〜〜っ!!どうした!?泣いてるのっ?」と言って近付いてきた。


それもまた恩寵のように感じた。


愛を阻んでいたものが壊れた瞬間、
今まで見ていた相手のイメージが歪み、その一瞬一瞬が奇跡に感じた。
その一人ひとりが、愛を歓迎してくれている聖霊のように感じた。

ずっと僕の肩に手を置いてくれている、彼と僕との間に隔たりがなくなり、そこにイエスの臨在を感じた。
感謝しかなくなり、また泣いた。


泣き切った。


そのあと、タクシーがちょうど通ったので、誰かがタクシーを止め、それに僕と奥さんを乗せて帰らせた。




イエスの語る声「奇跡講座」とは、これなのだと。
真我なるハートが教えている実践的な「奇跡講座」とは、これなのだと。


少し見えてきた気がした。


その日の夜、のり子さんがメッセージグループにアップしていた動画が印象的だったので、ここに残しておきたくなった。


この動画は神奈川にいた僕と、福岡の彼との関係に起きていたことに思えた。


(先日朗読したテキストの言葉)
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奇跡講座 テキスト 第18章-過ぎゆく夢,3-夢の中の光

4.兄弟の手を握るあなたは、私の手も握っている。
なぜなら、あなた方が互いにつながったとき、そこにいたのはあなた方だけではなかったからである。あなたが私と一緒に去ることに合意した闇の中に、私があなたを置き去りにすると、あなたは信じているのだろうか。あなたの関わる関係の中に、この世の光がある。


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