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神様にまかせきる

ファンクションで勉強会の動画を聞いていて、のり子さんの「正直さ」「神に全託する」「聖霊の祭壇」「ひれ伏す」などの話を聞いていて、今までほとんど読まなかった五井先生の本が読みたくなり2冊注文した。

「神様にまかせきる」と「大決意」

「神様にまかせきる」を読んでいると、のり子さんが奇跡講座の視点から話している勉強会の内容と五井先生の話(講和)に違いがなく同じに感じられた。

イエスや五井先生やのり子さんとか、個としての声ではなく、一者(one)のところから語られている呼びかけに感じられる。

同じことを話されていて、この教えだけを馬鹿真面目にやるだけでも僕の助けになると感じたので、自分のためにもメモ。

毎日毎瞬これをやっていこう。

著書:神様にまかせきる p20神様に全托すればいい 五井昌久

これでいいんじゃないかしら、これはダメじゃないかしら、という想いを除外しなければいけません。除外するためにはどうしたらいいのか、というと、ああじゃない、こうじゃないという想いを持ったまま、そのまま神様の中へ入ってしまうより他にない。神様の中にダーッと入ってゆく。それが世界平和の祈りなんですよ。
”私たちの天命が全うされますように”という祈りとは、想いがそのまま神様の中に入ってゆくのです。そうすると、神様のほうから、邪魔になる想いを消してくれ、その光がそのままサーッとすごいスピードで入ってくるのです。

中略

ところが、神様に全托した想いが、今日あったと思ったら、明日はそうできない。「ああじゃない、こうじゃない、病気になりやしまいか、貧乏になりやしないか、明日は地震がありやしないか」というふうに思う。
その想いが余計なんです。だから思ったら、思った想いをまた、そのまま神様の中に入れてしまえばいいのです。

中略

偉いとか偉くないとかいうのはないんです。お前が偉くて向こうは偉くない。私が偉くて相手が偉くない、というのはない。それは業の消えてゆく姿だけなんです。消えてしまえばみんな同じなんです。

中略

潜在意識の奥の奥では、自分は肉体の人間だ、と思い込んでいるんだからね。神様じゃない、と思っているんだからね。自分は神様から程遠い人間だと思う想い、キリストや仏陀とはまるで違った人間だ、と思っている想いだけが、神様じゃないんです。
だから、その想いを持ったままで、世界平和の祈りの中、神様の中に入ってしまう。いつでも入ってしまう。そうすると、その想いがだんだんだんだん神様の光によって消されてゆくんです。
消されて大神様の光と本心の光がパッと合う。そいう時に本当に悟んです。光ったという感じになるんです。

五井先生の本を読んで、この通りに祈った。

祈る僕の背後に人の気配(五井先生?)を感じた。
その方は両手を僕の肩にそっと置いたように感じ、両肩が暖かくなり、安心感からか涙が溢れてきた。


いつも一緒にいらっしゃるんですね。
ありがとうございます。

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