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AI生成画像の著作権をめぐる議論 - 「夜明けのザーリャ」を米国著作権局はどのように解釈したのか-

はじめに


2023年2月21日、米国著作権局(以下USCO)はAI生成によって作られたコミック『夜明けのザーリャ』の著作権申請について、AI生成部分の画像の著作権を認可しないという結論を出した。

クリス・カシタノヴァ氏による「夜明けのザーリャ」は18ページからなる、ザーリャと呼ばれる若い女性が主人公のコミックブックだ。
この作品の特異な点はイラストの製作過程にある。作品のイラスト部分に関しては、そのほぼ全てを画像生成AIサービスであるMidjouneyを使用して作られているのだ。
ただしあくまでも絵の領域のみであり、コミックのコンセプトやテキスト、およびコマ割りといった箇所はクリエイター自身が行っている。

カシタノヴァ氏はUSCOに対して、「夜明けのザーリャ」の著作権が及ぶ内容は「・著作者が作成したテキストの選択、・調整、・構成、・人工知能が生成したアートワーク」の4点に及ぶと主張した上で著作権の登録申請を行なった。

しかしUSCOは21日の発表で、登録内容から「人工知能が生成したアートワーク」部分を排除し、新規の登録内容に書き換えた上で作品の著作権申請を認める判断を下したのだ。

この決定は中々に衝撃的なものがある—MidjouneyやチャットサービスのChatGPTをはじめ、現在様々なAI技術が飛躍的に進歩する中、その技術の産物が法的な庇護を受けられない可能性が出て来たのだから。

しかしカシタノヴァ氏によって23日に公開されたUSCOとの書簡、さらに翌日に発表されたカシタノヴァ氏を支持するIP・オープンソース担当弁護士のヴァン・リンドバーグ氏の反論に目を通すと、「ただAI生成画像を認めなかった」というシンプルな結論だけではなく、今後のAI生成物の著作権を考えるにあたって非常に示唆に富んだ内容を議論していたことが分かる。

そこでこの文章では、書簡を通していかにしてUSCOは「MidjouneyのAI生成画像」に著作権を認められないと判断したのか、その具体的内容を見ていくことにしたい。
また、カシタノヴァ氏サイドからどのような反論が試みられたのか、その内容についても書き残しておこうと思う。
(※なお、筆者は法律の素人であることには留意してもらいたい)

本題に入る前に

そもそも、このUSCOとは何なのか?という前提を最初に確認したい。
USCOとは、アメリカの著作権法によって定められた「著作権登録」を管理するアメリカ議会図書館の内部部局だ。

USCOは著作権を登録する重要性について、公式HPで以下のように説明している。

まず前提として著作物は「それが創られ、直接または機械や装置の補助によって知覚可能な有形の形態に固定された時点で、著作権の保護下」にある。
つまり作られた瞬間から発生しうるものであり、登録行為を行わずとも権利自体は有している。

では、権利を有しているにも関わらず、なぜわざわざ著作権局に登録する必要があるのか?
まず最も大きい理由として、著作権侵害について民事訴訟を起こすためにはUSCOへ著作物が登録されていることが前提条件になるからだ。
そのため、登録されていない創作物は「著作権は有するものの、いざ問題になった時に実際に訴訟出来ない」という奇妙な状況が発生する。

また、USCOへの登録は他にも多くのメリットがある。
アメリカ法律業界の大手情報サイトであるMondaqの記事によると、「(登録が認められると)仮に訴訟を起こした場合に法定損害賠償と弁護士費用を回収できるようになっている」とある。

また、「裁判における証拠としても使用することが可能な他、実際の損害を証明せずとも、1回の侵害につき1作品750ドルから3万ドルの法定損害を回収でき、侵害が故意の場合は1作品15万ドルまで増額される可能性を有する」ことが出来るなど、登録の有無で大きな差が発生する。

そのためUSCOの判断は今後のAIの著作権を考えるにあたって重要な価値を持つというわけだ。

なお、USCOの判断が不服であった場合、その決定自体を連邦地裁に控訴することは当然ながら可能だ。

2022年にはコンピュータ科学者のスティーブン・ターラー博士が自身のAI「Creativity Machine」が作ったアート作品をUSCOの審査委員会に「AI自身が著作者となって著作権を有する」と申請するも却下された。氏はその後、連邦地裁にUSCOを被告とした上で控訴を行っている。

書簡の内容

では、本題の書簡を見ていこう。書簡は、「1.2023年2月21日付のUSCOからの解答となるメール、2.2022年10月28日付のUSCOからの作品の登録証明書取り消しを示すメール、3.2022年11月21日付のヴァン・リンドバーグ氏による登録証明書の再申請メール」の3点が並んで構成されている。

ここで今回の決定について具体的に書かれているものは「1.2023年2月21日付のUSCOからの解答となるメール」(以下USCOメール)だ。

USCOメールは「I. 作品解説、II. 行政記録の概要、III. ディスカッション、IV. 結論」と項目が区切られている。この中でも特に画像生成AIについて重要な論点が書かれたIII. ディスカッションの項目に注目したい。

まず、III. ディスカッションでは「夜明けのザーリャ」の著作権の範囲について4つの以下の観点で検討を行っている。

A.法的基準
B.作品テキスト
C. 画像や文章の選択と配置について
D. 個々の画像

ここで「B.作品テキスト」と「C. 画像や文章の選択と配置について」はカシタノヴァ氏がAIを使わず人力で行っているため、当然著作物として認められるという旨が示されている。そのため、これについては説明を省くことにしよう。
ここで面白いのが「A. 法的基準」と「D. 個々の画像」の項目だ。上から見ていこう。

法的基準

最初の「A. 法的基準」には著作権法における保護範囲についての定義が説明されており、その保護範囲とされるのは「有形表現媒体に固定された独創的な著作物(original work of authorship fixed in any tangible medium of expression)」に限ると説明している。

有形表現媒体に固定された独創的な著作物」……なんてうんざりするような長い言葉だろう……この言葉を理解する為には「有形表現媒体に固定された」「独創的な」「著作物」の三節に分けて考える必要がある。

まず「有形表現媒体に固定された(fixed in any tangible medium of expression)」、というのは、下記の資料をみるに平坦な言葉で言うならば「目で見たり耳で聞いたり出来るもの」に限る、という意味らしい。(こんなことをわざわざ書いている理由は、そもそも頭の中にあるアイデアを著作権で保護することは出来ないからだ)。

次に「独創的な(original)」という部分について。USCOメールでは、1991年に起きた「ファイスト出版対ルーラル電話サービス」裁判を例に挙げ、「独創的な(original)」という言葉が示す具体的な説明を行っている。ここにおける「独創的」とは2つの意味を持ち、1つ目は独立した創作物である、ということ、2つ目は十分な創造性がある、ということだと説く。

「ファイスト出版対ルーラル電話サービス」裁判というのは、電話サービス事業者であったルーラル社が編纂した電話帳にある電話番号を、同じく電話帳の発行を行う出版社のファイスト社が自社の電話帳に転載したことで起訴された事例だ。

この判決は最高裁において取り扱った電話番号に著作権は認められず、ファイスト社は合法という結果になった。ここで電話番号はただのデータ配列であり、独立した創作性 (オリジナリティを持つ表現性) を持たないため、著作権保護の範囲外であると判断されたのだ。

とはいえ、ここで求められる独創性とは何も大掛かりな話では無い。ファイスト出版対ルーラル電話サービス裁判で、最高裁は「必要とされる創造性のレベルは極めて低く、わずかでもあれば事足りる」ものだと語っている。

最後に著作物(work of authorship)という部分ついて。この概念を説明する際に有名な判例が1884年の「バローガイルズ・リトグラフィック対サロニー裁判」だ。
写真家のナポレオン・サロニーは、彼が撮影した作家オスカー・ワイルドの写真を無断でリトグラフ化されたことを知り、リトグラフの販売事業者を提訴した。

問題となったオスカー・ワイルドの肖像写真

興味深いのはこの頃はまだ写真は撮影者の著作物と見做されていない点だ。よって販売事業者は「写真は、ある自然物またはある人物の正確な特徴を紙上に再現したものであり、製作者が著作者である著作物ではない」と主張し、自身の正当性を訴えた。

しかし、写真家のサロニー氏は「被写体のポーズやライティング、その他諸々の装飾品などを作者自身の精神的構想から端を発したものである」と反論。結果として最高裁は当該写真が写真家の著作物であると認めたのだ。
ここで著作物とは「作者が自らの観念によって表現として創出させたもの」を指す言葉と言えるわけだ。

また、同時に著作物は一様に人間がその権利を持つと限定もしている。そのため、人間が著作物を創作していないと判断した場合、請求を登録することを拒否が可能であり、USCOメールでは過去に「猿が自撮りした写真」、また「聖霊を著作者とする歌」の出願などが以前に請求を拒否されてきたことが紹介されている。(下記の抄録313.2項を参照)

https://www.copyright.gov/comp3/chap300/ch300-copyrightable-authorship.pdf

前述のスティーブン・ターラー博士のAIアート作品が棄却された理由もここにある。氏は自分ではなく「AI自身が著作者となって著作権を有する」と主張したことが問題になったのだ。

これらの棄却決定は当たり前といえば当たり前の話だ……猿や聖霊、AIそのものに著作権を与えても、それ自体が自発的に権利を主張することも行使することは無く、いわば無駄な権利となってしまうからだ。

ただし「人間以外が著作権を有することは無い」という判断が、必ずしも「その対象に関わった人物に著作権を認めない」という結論に繋がらないことに注意したい。

例えば前述の「猿が自撮りした写真」の例は、写真家のカメラを使った猿自身は著作権を有することは無いものの、そのカメラの持ち主である写真家は著作権を有すると認められた。

勝訴した写真家のデイビッド・スレーター氏は、猿が自撮りに成功したのは自分が数日をかけて猿たちと信頼関係を築けたからだ、と説明している。

上記の抄録においても、「USCOは、神または超自然的存在によって創作されたと称する著作物を登録することは出来ないが、出願または寄託コピーがその著作物が神の霊によって触発されたと述べている場合には、登録することができる」と書かれている。(すごいルールだ…)

話をまとめよう。著作権法の保護下に入る条件とは「1.見たり聞いたりできる、形を取るものであり、2.著作権を所有する主体が人間であり、3.(仮にどれだけ些細であっても)独自性を持ち、4.作者の意図が関与しているもの」には、著作権を認可することができるというわけだ。

そしてカシタノヴァ氏が申請した「夜明けのザーリャ」の「人工知能が生成したアートワーク」は1~3の観点こそ認められるものの、最後の「作者の意図が関与しているもの」かどうかが著作権認否の焦点となっていくわけだ。

USCOメールではこの後、Midjoureyの生成した画像は「作者の意図がどれだけ介在していたのか」を検証するため、本題の「D. 個々の画像」の項目に進んでいく。

個々の画像

では「D. 個々の画像」の項目について見ていくことにしよう。
この項目は以下の3節に分かれている。

1.Midjourneyのしくみ
2.Midjourney画像への著作権法の適用について
3. カシタノワ氏編集の画像

まず「1.Midjourneyのしくみ」について。文章の序盤ではMidjourneyの機能説明と画像生成に用いられる拡散モデルの説明でしか無いが、後半部分で鋭い指摘をしている。

まずUSCOは「Midjourneyがプロンプトを、特定の表現結果を生み出すための具体的な指示として解釈していない」点に注目している。そのため、「人間のように文法、文章構造、単語を理解」しない。その代わりにAIは単語やフレーズをトークンと呼ばれる小さな断片に変換し、学習データと比較し、画像を生成するために使用する。

ちなみにこのトークンを用いてノイズ領域から画像を復元するプロセスを辿り、美麗な画像を作るのがシステムの基本的な流れであるのだが、USCOメールではこうした仕組みを持つ以上、ユーザーが「Midjouneyが何を作成するかを事前に予測することは不可能である」と指摘する。(なお、「他の画像生成AIは、Midjourneyとは異なる動作をする可能性がある」と語っているため、今回はあくまでMidjouneyによる生成画像に限った議論となっている)

そして、この「コントロール不可能性」がMidjouneyによる生成画像の著作権において非常に重要なファクターになってくる。

次に「2.Midjouneyの画像への著作権法の適用について」では、著作物の「著作者」とは、1884年の写真裁判にあるように実際に画を形成した人を指す概念であり、同時に発明的または主導的な役割を果たした人であることも強調する。そのため、最終出力を完全に予測できず、また実際に画を形成した主体では無いMidjourneyのユーザーを著作者たりえないと説く。

これについてカシタノワ氏サイドは、2022年11月21日付のメールでユーザー自身が考えたプロンプトによって生成結果をコントロールしていると主張しているも、USCOは「プロンプト情報は生成された画像に「影響を与える」かもしれないが、プロンプトのテキストは特定の結果を指示するものでは無い」とそれを否定している。

また、そうしたプロンプトは命令というよりも提案に近く、「クライアントとビジュアルアーティストとの関係性に似ている」と説き、また「例えば画像検索エンジンで言葉を入力し、出てきた画像がいかに自身のイメージに似ていても、自身の著作とは主張できないだろう」と続ける。

最後に「3.カシタノワ氏の編集の画像」の項目だ。
「夜明けのザーリャ」において、Midjouneyで出力した画像を作者はそのまま使うのではなく部分的に修正を行っているものも存在する。カシタノワ氏は、この編集作業を介入させることによって、画像は作者自身の著作物であると主張している。
しかしUSCOはこの編集が極めて軽微なものであるため、著作権を得るのに十分なほど創造的でないと結論づけている。

編集しても権利が認められないなんて!と思うかもしれないが、いざ実際の修正内容に目を通すと、USCOの判断は極めて妥当なものであったという印象を受けた。

まずカシタノワ氏の修正した画像は2点が挙げられている。1つが手紙を持つ主人公ザーリャの画像の加筆修正、もう1つが目を閉じた老婆の画像修正だ。

2023.02.21 FINAL Zarya of the Dawn Letter w Enclosuresより引用
2023.02.21 FINAL Zarya of the Dawn Letter w Enclosuresより引用

まず、内容がわかりやすい目を閉じた老婆の画像修正について見ていこう。作者は元画像からphotoshopによって「顔の老化、グラデーションの平滑化、線と形の修正」を行った、と説明するがこれについては作者から証拠となる素材や具体的なプロセスがほとんど明らかにされていない。

そのため、当該画像に著作権が認められないのは単に判断材料の不足でしか無く、編集領域とは別の問題で著作権を認められなかった、というだけだ。

さらにUSCOメールでは「カシタノワ氏がイメージをMidjourneyが生成した後、実質的な編集を行った場合、その編集の範囲においては人間の著作権を提供することができ、新しい登録証から除外されることはないだろう」と、編集行為そのものについては権利が有効である旨を語っている。

2つ目の主人公ザーリャの加筆修正についてだが、これについては添付された実際の画像を見て貰えば分かるように、上唇の一部をレタッチしただけの極めて些細な修正であることが分かる。これは単純に「ほとんど気づかない」レベルの加筆でしかなく、これによって著作権が発生しないことは妥当と言っていいだろう。

しかし、そうなると「具体的にどれほどの加筆修正が行われていた場合、画像の著作権は認められるのか」という点が気になってくる。

これについてUSCOメールでは1982年の「エデン・トイズ社対フロレリー・アンダーガーメント社裁判」という興味深い判例を挙げている。
これはフロレリー・アンダーガーメント社が有名なパディントンベアのデザインを改変し、それを販売していたことについてエデン・トイズ社が訴訟を起こしたという裁判だ。

改変されたパディントンベアは「帽子のプロポーションの変更、指やつま先の個性の排除、全体的な線の滑らかさ」というデザイン上の変更点により、独創性の最小限の要件を満たしたと判断され、いわゆる図像の改変等に発生する「二次的著作物」の権利を勝ち得ている。

しかしこれはビジュアルが無く分かりづらいため、このパディントンベアの裁判が裁判中に例に挙げられ、実際に二次的著作物を認められた近年の判例も見てみよう。

メジャーリーグのフィラデルフィア・フィリーズの球団マスコット、フィリー・ファナティックは2018年にデザインをマイナーチェンジしていることで知られている。そしてこの「イメチェン」が原因となり、元のデザイナーであるボニー・エリクソン氏とウェイド・ハリソン氏はフィリーズを訴訟した。

記事の写真を見て貰えば分かる通り、フィリー・ファナティックのデザイン変更は極めて軽微なものだ。
しかしこのデザイン変更における裁判は結局、二次的著作物であることを認められている。

この判決において、連邦地裁判事は「確かに、ファナティックのデザイン変更は素晴らしい閃きと言うほどでも無い」としながらも、新しいデザイン案がオリジナルと同じ美的魅力を保ちつつ、派生作品として十分に認められるほどの変化を備えていると判断したそうだ。

また、著作権が存在しない対象(パブリックドメイン)に対して創造的な改変、翻案が認められた場合も二次的著作物の権利は発生する。こうした改変によって二次著作物を認められた最も有名な例がマルセル・デュシャンが1919年に発表した、口髭を生やしたモナリザを描いた「L.H.O.O.Q.」だ。

L.H.O.O.Q.

「口髭」を描いただけ、と言う点を見ればデュシャンの改変は極めてわずかだが、しかしそれでも作者の「創造性」が介入しているとされ、著作物の権利は認められている。

仮にAIアートがパブリックドメインになろうとも、アーティスト自身の加筆や意図的な改変によって二次的著作物として認められるケースは十分に考えられるだろう。
ただし、今回の「夜明けのザーリャ」の加筆修正に関しては十分な「創造性」を認められなかった、という訳だ。

ヴァン・リンドバーグ氏の反論

さて、ここまでが大まかに書簡で示された内容である。
回答が提出された翌日、カシタノヴァ氏を支持するIP・オープンソース担当弁護士のヴァン・リンドバーグ氏はUSCOの決定に対して反論を行う記事を公開した。

反論は主に4つのUSCOの「誤解」を指摘している。

1.人間からのインプットではなく、ツールのランダムなアウトプットに焦点を当てている点。
2.Midjourneyのアウトプットをユーザーが完全にコントロールできないとする点。
3.カシタノヴァ氏の時間をかけて制作した、と言う内容をただ生成ボタンを押しているだけだと勘違いしている点。
4.拡散モデルそのものの構造について誤解している点。

中でも、1番についての反論は特に面白い。リンドバーグ氏はたとえ機械のアウトプットがランダムであっても、重要視するべき点は人間側のインプットにあると説く。

USCOメールにもあったように、そこに作者のわずかばかりの創造力が介入していた場合、作品の著作権は発生し得る。アートはまさにそうした「わずかばかりの創造力」を根拠に権利を有する作品が多く存在し、具体例として現代芸術家のジャクソン・ポロックを挙げている。

彼は絵の具をランダムに垂らしたり、弾いたりして作品を制作した。完成像は作者自身も予想できないランダム性を含んでいるが、その前段階である「絵具を垂らす/弾く」などの行為を選択したことにこそ創造力、そして作者の権利が発生している。

また、動物などがたまたま間違って写真を撮ってしまった例(これは上の猿の自撮りの判例に近い話だろう)も、そこに僅かでも人間の介入が認められる以上、権利は認められていると続ける。

他にも写真撮影はどのカメラを使うか、フィルムは何を選ぶか、そうしたわずかな指定でさえも作者の権利が発生する。カシタノヴァ氏のMidjourneyでのプロンプトエンジニアリングは十分にそれに値する行為であると言う。

こうした写真の著作権と画像生成AIとの類似性はリンドバーグ氏の文中に度々指摘される。
USCOが提示した「写真家が被写体のポーズを指定するような創造性と芸術性」が認められないと言う点についても、「キーストーン出版社対ジュエラーズサーキュラー出版社」の判例で判事が発した「どんなに単純な写真であっても、作者の個人的な影響を受けない写真は無い」という言葉を引用し反論する。

つまり写真の著作権は現在、たとえ作者の介入がほとんど見受けられない平凡な写真であっても「わずかな創造性」が発揮され、そこに著作権が認められており、AIアシストアートについても同様の考えを適応するべきであると訴える。記事の最後に書かれたリンドバーグ氏の言葉は、今後のAIアートの権利を考えるにあたって非常に象徴的だ。

AIアシストアートは、写真のように扱う必要がある。それは時間の問題だ

「夜明けのザーリャ」の著作権をめぐる論争は今後、法廷に持ち込まれる可能性が極めて高い。その際に裁判所がどのような判決を下すか非常に気になるところだ。

おわりに

最後にこの決定について、いくつか個人的な見解を書いていこうと思う。
まず、あくまでこれは米国の動向であって、日本国内の決定に直接影響を受けるものでは無い。

例えば平成29年に行われた内閣府の知的財産戦略本部の資料「AIに関して残された論点」には、過去の議論を引用し、「コンピューターが人間の創作行為を完全に代替するのではなく、人が思想感情を表現する「道具」として使用したと認められることが通常であり、人による創作物として著作物性が認められると整理した」と記され、日本におけるAI生成アートの運用ルールは米国とは違う方向性を辿る可能性がある。

仮に現段階においてAIの著作権が認められずとも、写真の権利が時を経てその有効性を拡大していったように、ゆくゆくは作者の著作物だと認められるケースは増えていくように思う。

また、現行の決定に当てはめて考えても、USCOが指摘したAI生成画像の「コントロール不可能性」については、近年発表されたControlNet(AIに下絵を読み込ませてその通りに出力する)やLoRA(キャラや画風などを簡易的に追加学習させる)といった拡張機能によって比較的早く解決されるように思う。

1884年の写真裁判では「被写体のポーズやライティング、その他諸々の装飾品などを作者自身の精神的構想から端を発したものである」ことが写真の著作権を認める決定打となったが、極めて具体的なAI生成のディレクションが作家自身の手で可能になった時、そこに著作権が発生し得る可能性はあるだろう。
また、そうした作品のディレクションがAI作品の権利を認めるポイントになるのだとしたら、作品に人間のアーティストが介在する重要性が改めて見直されることになりそうだ。

……ただ、今回の決定も含め、そもそも現行のAIの進化が急速すぎるため、人間の社会全体が追いついていない事実は間違いないだろう。AI関連のニュースを見るたび、日毎にその速度が増していくのを感じる。
最後に、このシンギュラリティすれすれの現代を自分自身はどう生きるべきか、せっかくなのでChat GPTに尋ねてみることにした。

やったね。


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