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Milestone

先日Azamiとして実に約3年ぶりに、
そして新ボーカル「石井純平」が加入してから
初となる新曲
「Milestone」
を公開した。

※厳密にはインスト曲の「餞」があるけど、レコーディングもしてないし純平加入前に作ったので今回はカウント外



Milestoneとは
「距離を示すために道路脇に置かれた石。」
もしくは
「人生(や計画)における重要な出来事。」
の事を言うらしい。



コロナ禍になってから随分と長い時間が流れたように感じるけど、
その間に沢山のバンドマンがステージから去った。

今もなお葛藤を続けている人もいると思う。

みんなそれぞれ真剣に悩んで考えだした答えだと思うし、
それぞれの人生があるからその人が下した決断に対して俺はいつでも陰ながら応援してる。


見送る事にも慣れたし、
いつのまにか去る事自体にそこまでショックを覚えないくらいにはなってた。

もしかしたら大きなショックを受けないように
自分で勝手に心の中にリミッターのようなものを
かけてるのかもしれないけど。
(勿論結構くらうときとか「辞めんじゃねーよばかやろー!!!」ってなる時もあるけどね。)

寂しさとか悲しさを感じにくくなった代わりに、見送る度に、脱退や解散のニュースを見る度に、

心の中に言葉に表せない虚無のようなものがどんどん広がっていく感じがした。

一緒に過ごしたあの頃には戻ることなんて出来ないし、戻る必要なんて無いと思う。

何故なら俺は今を生きているし、あいつだって今を生きている。

だからこそ、それがわかるからこそ、あいつと過ごした思い出とか自分の中にあった一緒に叶えたかった小さな夢達がどんどん過去に取り残されてしまって、ふと振り返った時に孤独感だったり虚無感を覚えてしまう。

みんなそれぞれの道に進んでるのに自分だけ未だにライブハウスに取り残されてるみたいな感じ。

本当は取り残されてるってよりも自分の道を進んでいるわけだし、その中で新しい出会いや今までと変わらない関係が続いてたりもするから、
見当違いなんだけど、ふとした時にこうやって考えてしまうことがよくあったんだよね。

コロナは勿論、自分自身を取り巻く環境だったり、自身の年齢だったり。

沢山ライブを重ねて、沢山曲を作って、沢山の数え切れない素晴らしい音楽に出会っていく中で薄れていってしまう感情もあるから、

自分が何故音楽を続けているのか分からなくなってしまってそうなったのかなって。


そういう悩みとか葛藤とかはあるけど、それでもなんで自分が音楽を続けてるのかって言うと、

やっぱり音楽は、Azamiは、自分が自分でいる為のものであり、自分自身と世界との繋がりだから。
って言うのと、

いつの間にかいなくなった人達が自分にとっての続ける理由になっていったんだよね。よくわかんない理由だけど。
でもまあ、自分が頑なにライブハウスに居続ければ再会もしやすいし。

お客さんだってそうで、みんながみんなライブに行き続ける事なんて出来ないけど俺らが続けてればまたタイミングが合う時に会いに来れるしね。

これが俺のちょっと変な音楽を続ける理由。

Milestoneを書く時にそんな事を考えながら歌詞を書きました。

別れの言葉じゃなくて、
再会の言葉を「またね」って。

時間かかっても良いからそうなると良いな。


歌詞を抜きにした楽曲そのものの解説は気が向いたらもしかしたら多分その内書くかもしれません。

そんなわけで以下歌詞

「Milestone」

暗がりが音を繋いだ 名分を謳って
彷徨って知った 明日が揺らいで消えた

駆け出した先で
抱いた曖昧な憧憬
乾いた言葉
手放した願いは
見向きもされず雨曝しのまま

鮮やかに移ろう 影は遠くへ
儚げに佇む 声は彼方へ

戻れない戻らない
此処には何があると
拭えない払えない
答えはきっといつか
陰る想いが褪せる願いを

見送る事ばかり重ねて
取り残されたまま「またね」って
聞き飽きた言葉を受け取って
頷くだけ

戻れない戻らない
此処には何があると
拭えない払えない
答えはきっといつか
陰る想いが
褪せる願いを

見送る事ばかり重ねて
取り残されたまま「またね」って
聞き飽きた言葉を受け取って
頷くだけ

陰る想いが
褪せる願いを
分ける答えが
絶える願いは

見送る事ばかり重ねて
取り残されたまま「またね」って
聞き飽きた言葉を受け取って
頷くだけ

別れの言葉をしまいこんで
再会の言葉を「またね」って
託された言葉を受け取って
頷くだけ


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