元ノンポリ広告屋による「メディア酔談」への酔感想

このnoteはインターネット番組「メディア酔談」への感想です。https://youtu.be/u8jW2MsF3YU

自己紹介

私は3年前まで政治に興味がなく、広告代理店の制作として仕事一筋の忙しい毎日を過ごしていました。女性として広告業界で働く生き辛さや、広告で描かれるジェンダー観への違和感からフェミニズムに興味を持つまで1年。フェミニズムと政治を結びつけて考えられるようになるまで1年。そこから選挙とか政治に興味を持つようになるまで1年くらいかかりました。赤木さんの手記がのった4月9日号の文春は初めて自分のお金で買った、表紙が絵画になってる系の週刊誌でした。こんな大スクープの舞台裏を聞かせてもらえるなんて、いいんですか?!と思ってしまいました。

政治ワードは思考停止ワードになってた

3年前の私は恥ずかしながら政治のワードを聞くと完全に思考停止していました。「国民主権だ」「忖度」「モリカケ問題」「野党がだらしない」「憲法改正」「内閣人事局」「人権問題」「衆院予算委員会」「議席獲得」「中選挙区制」「緊急事態条項」「ワイマール憲法」とか言われるともう完全に耳がふさがっていました。「日本のジャーナリズムは終わっている。政権に忖度している。」という言葉もチラホラ聞きましたが、あまり心に響かなかったんですよね。広告業界や自分の担当クライアントの業界には興味があったけど、政治という業界の人がうまくやってるかどうかなんて心配したことがなかった。ケーキ屋さんがスポンジケーキをうまく焼いているかを心配したことがないように、政治家さんなんだからうまくやってくれてるだろうって思ってました。

「日本人は政治に興味がない。」「Yahooニュースでは芸能人の話題ばかりがトップになる。」「こんな低レベルな国は日本だけだ。」

ということはよく嘆かれていますよね。でもそういう嘆きさえも、もはや思考停止ワードに入ってたんですよね。大変だけど、どうにも出来ないよねって。

たとえ興味を持ったところで、政権を批判するのが気まずい空気もできちゃってて。友達とか知人とも政治の話をし慣れてないから、政治の話をしていいか分からない。どの位の関心レベルにあるのかも分からない。下手に政府のことを悪く言うと「頑張ってるのに、無責任なこと言うな。」と切れられる可能性もある。北海道放送のドキュメンタリー「ヤジと民主主義」で描かれたように物理的に警察にマークされる恐怖というのもある。このドキュメンタリーを見たことがなくても、なんとなく政治のことを悪くいうとまずい空気は漂ってないですかね?

政治のことを知るにつれ、マスコミの人が取り上げるニュースや、逆に取り上げなかったニュースを知るにつれ、「あれ?」と思うようになりました。首相は優しそうなおじさんとして演出されていて、いいこと言ってる野党の議員さんがウザキャラやモブキャラみたいな演出をされていたり。

マーケティングでもそうなんですけど、日本人は「みんな」がやってるから安心という気持ちはすごく強いですよね。その「みんな」って、やっぱり「テレビ」なんじゃないかなって改めて思いました。テレビの広告費はデジタル広告費に抜かれたけど、なんだかんだソーシャルメディアとかネットで話されてることって、テレビがお手本や源流だったりもするので。境さんが「バイキングで坂上忍が批判的なこと言ってた」とかコメントされてましたが、そう言う細かい空気を世の中はちゃんと感じ取ってると思うんですよね。

個人の平和な日常が奪われる

相澤さんがこだわっていた「40%の支持者の人たち」はどんな気持ちなんだろうとも思いました。地元のご近所さんは、どんなに年金暮らしが苦しくてもいまの政権を応援しています。自営業の知人はビジネスを休業しながらも、政府のコロナ対策を擁護しています。Twitterとかで政権に好意的な人たち(直接には知らない人です)の投稿を見て驚くのが、声が大きい左翼=外国人が日本の平和を乱そうとしていると本気で心配されていることです。その方々はマスコミと野党が手を組んで政府を追い込んでいることを不安に思われているようでした。40%の盤石な支持率なのに、なぜそんな不安を感じてるんだろうか。

私の見聞きする40パーセントの方々は、国民主権をなくして戦争に突入したいとか、教育勅語を復活させたいとか、韓国や中国が憎いと言う考え方を支持しているというより、もっとフワッとした世界観が好きなのかもしれないと思いました。

昨日と変わらない平和な日常。みんなが同じ方向を向いてがんばっている、平和に過ごしてる世界。安倍さんが象徴するのは、その平和な日常なのではないかなと。それにギャーギャー言ってる人を見ると、何にでも反対したいだけの空気が読めない人のように見える。

自己責任も「平和」だから支持されてるんじゃないかなと思いました。自分がどんなに苦しくても、文句を言わず、その気持ちを飲み込んで、周りには波風を立てない。それでみんなの平和が保たれる。その方が建設的だし前向きだしポジティブだ。

安倍さんを支持している人が守りたいものは、みんなが同じ方向を向いてがんばってる平和な日常。悲しいことに赤木さんが奪われてしまったのもその平和な日常だった。

安倍さんを責めるのではなく、#赤木さんを忘れない というメッセージにしたかったと言うのは激しくなるほどなと思いました。赤木さんという努力家で公務員の鏡のような、でも堅苦しいだけの人ではなく、奥さんと仲良しで、音楽や書道を愛する平和な人生が、理不尽にも奪われてしまった。そして1人残されながらも黙らなかった奥さんの勇気。自民支持者の6割の方が赤木さんの死について再調査を望んでいるニュースを見ましたが、それもやはり政治的な思想を越えて、個人の平和が奪われたストーリーに心を寄せられた人が多いからなんじゃないかと。

自己責任論が出てこなかったのも、赤木さんが周りを信じて、最善の努力をして、最後は自分1人で罪を被って亡くなったからなのかなとか思いました。赤木さんだけでなく、本当は命がなくなる前に、騒いだり争ったりできればよいのですが。でも今の日本ではそれも平和を乱すノイズに見られてしまうんですかね?それって本当に平和と言えるのだろうかと疑問に思います。

ウサギのたとえ話を見ていて思ったことがあります。「日本人は政治に興味を持たない。芸能人のニュースばかり見ている。」と言われます。政治に関心を持たないのは褒められたことじゃない。でもそれって、個人的な話なら多くの人が心を寄せられるということなのかもしれないと。「個人的なことは政治的なこと」。でも政治に興味を持てない人がいるなら、その個人という視点からスタートするしかないのかなと。

志村さんや岡江さんが亡くなったことがコロナへの意識を大きく変えたのも、高橋まつりさんの死が働き方改革を動かしたのも、伊藤詩織さんの#metooが世界を動かしたのも、やっぱり個人の物語が自分ごと化しやすいからなんだと思います。

今回コロナのことで政治に興味を持つ人が増えたのも、「マスク2枚」「1人10万円」「犬と遊ぶ」「4日間は自宅待機」「9月入学」など、どれも自分ごと化しやすい具体的なストーリーやキーワードがあったからなんだと思います。

人間をコンテンツとして消費すると言う考え方や、政治的なポジションを言わないのはどうなんだと言う考え方もありますけど。平和な毎日を壊されたくないというインサイトを持った多くの方々に知っていただくために、個人的なことからスタートするやり方ってとても大切なことだなという気づきをもらいました。

自分ごと化できるストーリー。そこからさらに一歩踏み込んで、なぜそうなってしまったんだろう?そこにある背景はなんなんだろう?とさらに興味を持ってもらえたら、政治への関心にも行き着けるのでは?そこから「思考停止ワード」の意味を教えてくれる情報へのブリッジは必要なのかもしれないし、長い時間がかかるかもしれないけど、いったん政治に違和感を持ってしまったら、うさぎの世界に後戻りはできないんじゃないかな。うさぎがトラに化けるのは、案外一瞬なのかもしれません。

追記

ジャーナリズムは志すことすらおこがましい、自分にはとても無理な仕事だなと畏敬の念を抱いていました。同じマスコミであっても広告業界では自分の意思というものより、お客様の意向が全てのスタートです。「忖度」は卑しいものではなく、むしろ「クライアントファースト」という矜持にもなります。ジャーナリズムはそういう価値観とは違う、自分を持ってると言うか、自分の批判的な目線が問われる仕事に見えていました。「メディア酔談」や新聞労働組合のアンケートを読んで、ジャーナリズムの現場で働く人たちが心配になってきています。終身雇用の閉塞感や、いい記事を書くことより社内政治の方が優先されていることなどは、広告代理店にも似ていると思いました。広告代理店もよく陰謀に加担していると言われるのですが、現場にいる人は陰謀どころか毎日ヒーヒー言っていて、そこに身を置くだけでも大変で、流れに竿立てるにはものすごいエネルギーがいる。メディアも陰謀が渦巻いて国民を操っているように外からは見られていますが、実際の現場はとてつもなく大変なのかなと想像してしまいました。広告代理店はクライアントにお金を頂いている立場なので、クライアントファーストになるのは分かります。でも、なぜジャーナリズムが、クライアント様でもない政府に気を使わなきゃいけないのでしょうか?個々人でどうにかできるレベルをとうに超えているんじゃないでしょうか?すごく心配です。こうしてTwitterやnoteで発信しているのは、メディアの方々に酸素を送ろうとしているからでもあります。

最後になりましたが、いまジャーナリズムの業界で奮闘されている方を私は応援しています。