諷詠乃集/会則

短歌同人サークル「諷詠乃集」(ふうえいのつどい)は、短歌の諸々の「決まりごと」を大事にしつつ、「美しい日本語」を学び、古きをも愛でつ、そのうえで更なる発展を目指していく「いまを生きる歌」を詠む会になります。


【基本的指針】
当会では短歌、和歌、現代口語体、古語遣い、古字遣い、文語体を扱います。実験作、英短歌は一筆書き添えて下さいませ。破調は表現上適切であれば認めるものとします。基本的には五七五七七の形式をとるよう心掛けて下さい。
自由律、俳句/川柳、詩/ポエム、都々逸等は、当会では扱っておりません。
長歌、連歌、返歌等につきましてはこの限りではありません。
またnoteの特性上あり得ませんが、写真付き投稿は基本的に無しとさせて戴きます。

一部不適切な表現や明らかな逸脱と判断すればコメントにて注意します。他メンバーさんもこの権限を持ちますが、最終判断は今のところ管理者が持つこととします。
ご自分の好きこのみ・価値観だけで判断をせず、会則に沿っているかどうかを第一として御判断下さいませ。

また、コメントやイイネの数で御自分の価値判断を決めるのはやめましょう。
メンバーさんは、これはいい・これは伸びると思った詠草には、なるべくコメントという形で評価して下さるようお願い致します。


【政治・宗教等につきまして】
政治的、宗教的、その他社会的主張の強いものに関しては投稿及び鑑賞に注意して下さい。
しかし、当会では、それらのカテゴリに属する詠草の投稿を、何ら拒否するものではありません。
あくまで「表現の自由」であるからです。また、スタンスは個人個人で異なり、押し付けるものではないからです。ただし、「場の空気」というものもある事を、念頭に置いて下さいませ。
もし投稿者の主義主張が自分のそれと反すると思った場合には、鑑賞者は表現手法に関してのみ言及して下さいませ。

※特別注意※
当会では、あらゆるヘイトスピーチ、差別、いじめ等を許すものではありません。
レイシズム、ファシズム、ナチズム、優生保護法、障害者蔑視、性的少数者蔑視、あらゆるマイノリティ蔑視は当会ではこれにあたるものと見做します。放送禁止用語、差別用語はただちに改めて下さい。


【会内トラブルにつきまして】
基本的には当事者間で解決して下さい。
余りにも長期にわたるか、他メンバーさんにご迷惑が掛かる場合、責任の所在を問わず両成敗と見做して一時的にブロックさせて戴きます。
また、明らかに他メンバーさんにご迷惑やご負担の掛かる行為を繰り返して、再三の注意にも関わらず改善の見られない場合には、ブロックの上退会して戴きます。


【禁止行為】
・引用元を表記せずに既存の他者の作品をまま転用すること、また、同じく既存の他者の作品を改変すること。本歌取りの場合、引用元の全文と作者名を表記して下さい。
・既に何れかのメディアに発表済みである自身の作品を無断で掲載すること。発表済み作品の場合、どのメディアの何月に掲載されたものかお書き添え下さい。インターネットで発表されていた場合も同様です。
・政治、宗教、商業等が主たる目的での活動を行うこと。また、それに付随しての勧誘、あっせん、宣伝等を行うこと。即時退会して戴きます。
ただし、創作活動が主たる目的での宣伝活動等は、頻回及びメンバーさんにご迷惑を掛けない限りに於いてこれを例外とします。
・ストーカー行為、パクリ行為、パクリに準ずるマネ行為、作者本人に了解を得ない複製・コピー、その他知的財産権侵害にあたる行為全般はこれを禁止とします。
また、名誉毀損、いじめ行為、ヘイトスピーチ、村八分行為、凡ゆる個人情報を聞き出すことのみを目的とした行為を含むプライバシー侵害、つきまとい、その他の排斥行為・迷惑行為全般はこれを禁止とします。

※キーワードは「共存」※
誰しも受け容れがたいものや事柄はあります。ですが、うまくセパレートしたり、ミュートや交渉したり、工夫して「いかに共存出来るか」がカギです。嫌なものは嫌でいいのです、ただそれをここでは表出してぶつけないようにして下さい。


【作品の外部発表につきまして】
他の方のものは、ご本人の承諾と、ご本人のお名前をお書き添え願えない限りNG行為です。ここはフリー素材提供の場ではありまけん。
ご自身作品も、個人的なブログやSNSに掲載したり、出版するのはご自由になさって結構ですか、公募等の要項には「インターネット発表歴ありのものは不可」とあることが多々ありますのでご注意下さい。「公募に出したいので履歴を削除して下さい」は、当会では受け付けておらず、悪質と判断して退会して戴きます。 


【管理人から】
三つ申し上げます。

ひとつ目は、十八代目中村勘三郎及び立川談志(談春とも言われる)が語った、「型があるから型破り、型が無ければそれは形なし」です。
当会のトップに「決まりごと」と掲げさせて戴いておりますが、短歌には美しく整えるための幾つかのテクニックや型があります。また、時代の趨勢を反映して、その型自体も変わることがあります。例えば、万葉集のテクニックは今では古臭過ぎます。
しかしながら、それも型を識ればこそ言えることであり、突破出来ることであり、確りした型(土台)の上にこそ現代の新しい一歩は芽吹くものと考えております。

ふたつ目は、「作品に言い訳るな」ということです。
例えば、石川啄木はもう一握の砂について、彼の意図を読者に説いて回る事は出来ません。作品は、発表したその瞬間に作者の手を離れ、もっぱら読者の解釈に委ねられるのです。
よく自分の作品について講釈している方をお見掛けしますが、それならばその講釈の分を歌にすれば良いと自分は考えます。作品が読者に誤解を招いたのならば、筆者の腕が足りぬのです。同じ考えで、フォト短歌も無しとしております。本来、短歌は文字で書かれたものから想起せしめるべきもので、写真は却って読者のイマジネーションを邪魔してしまうと考えます。

最後に。
作品は、作者の内面を反映はするものの、作者そのものではないと理解していなければなりません。
当たり前でしょう、と仰るでしょうが、相聞歌等はどうでしょうか。
作品は作品。作者は作品とは異なります。作品を読んで作者に思いを致すのは宜しいが、それが作者自身である、とは言えませんし、そのことによってひいては自身の感情を拘束してしまうのは作者の意図を正確に汲んでいるとは言えないのではないでしょうか。

当会ではまず第一に共存の志、第二に思い遣り・相互扶助の精神をもって、短歌という共通点で集った仲間達とお互いに研鑽を積んでゆきましょう。


以上

2019.11.06 制定

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