櫻井敦司よ永遠に…

令和5年10月24日午後、BUCK-TICKのボーカル櫻井敦司逝去の知らせが届いた。

10月19日横浜でのFISH TANK onlyのコンサート中に体調を崩し救急搬送された後に息を引き取ったとのことだ。BUCK-TICKはこれまでも数々のサプライズでファンを熱狂させてきたが唐突に過去最悪なサプライズをブチかましてきた。だけど、そんな最悪なサプライズに怒りの感情も湧かないぐらいのとてつもない悲しみが高速で押し寄せてきた。それと同時に糸がブチっと切れたような音も聞こえた。それは自分が28年間追いかけ続け心に留めていたBUCK-TICKと彼らの存在のおかげで自分と繋がった人たちが心の中でバラバラに千切れて行くような音に思えた。仕事に行く直前だったがしばらく体が動けなくなり「嘘…嘘…」と呟きながら繋がりある人たち大丈夫かなとX(旧Twitter)に目をやったのをその日の記憶として残っている。その後、カラ元気で仕事に臨むが心ここに在らずだったのは言うまでもない。

親しい友達も無く自分の将来に何も見出せない時にX(X JAPAN)やLUNA SEAを中心にJ-ROCKだけが心の拠り所だった学生時代。そんな1995年のある日テレビで見たBUCK-TICKの「唄」のトチ狂ったようなMVに重厚なギター、狂気を孕んだあっちゃんの歌声があまりにも衝撃的で以降BUCK-TICKという迷宮に入り込み抜け出せなくなってしまった。ちなみにに、87年のデビュー時からは何となく名前だけは知ってたけど何故か心に刺さらず8年間存在をスルーしていた事を未だに後悔している。そう思わせるぐらい稀有な存在なのである。

BUCK-TICKに魅せられて暫くしてインターネットが普及し初め、更にホームページを自作するのが流行り始めたそんな時「BUCK-TICK狂育委員会」というファンサイトを立ち上げた。丁度その頃は仕事を不本意ながら辞めて泣く泣く実家に戻り半ば引きこもりの生活をしていた。一日中BUCK-TICKの曲を聞きながらネットサーフィンをしたり自分のサイトをちまちまとアップさせる生活。当時のこの孤独な心を埋めてくれたのはBUCK-TICKの楽曲やあっちゃんの歌声だけでなくこのサイトを通じて関わりを持った方々だと思っている。だが、悲しいことに今回のあっちゃんの逝去がきっかけでそれを再確認することとなったのだ。本当に今更なのだが、「BUCK-TICK狂育委員会」やSNS等で過去現在、大なり小なり問わずBUCK-TICKメンバーやあっちゃんっていいよねー!とわちゃわちゃしながら関わった方にはお礼の言葉を言わなければと思っている。(※今後何らかの関連イベントの際にお会いした方にはお礼を言わせて下さい。)

BUCK-TICKのメンバー5人5様それぞれに魅力的なのだが、フロントマンであるあっちゃんの佇まい、歌声、コンサートでの一挙手一投足は特に見るものを魅了すると言っても過言では無いだろう。そして何よりBUCK-TICKの楽曲を輝かせる為に紡ぎ出された数々の言葉たち。愛すること、死ぬこと、生きること、それらを深く追求して掘り下げ導き出してみたかと思えば、それ笑わせてんの?と思わせるような斜め上なものまであっちゃんの紡いで来た言葉にたくさん心を揺さぶられてきた。また、紡いできた言葉の中には初見のものもありあっちゃんから言葉を学ぶという現象も起こった。それだけたくさんの愛と言葉と歌声と魅力をこの世に遺してあっちゃんは旅立ってしまった。

あっちゃん、旅は順調ですか?
会いたい人には会えましたか?
まさか、もうワイワイと呑んでいるんですか?
いちファンのエゴだけど、かつてJ-ROCKを彩った方々と再会して一緒にセッションしていて欲しいななんて思っている。あっちゃんらしく楽しくそして妖しく、違う世界でも愛しのロックスターであって欲しいな。もし、ファン歴28年のオレが旅立った時にまた魅惑のボーカリストで君臨しておいでください。また同じようにデビューから8年後にファンになりますから。

また魅せて下さい。
またお会いしましょう。
ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?