かけ算の順序問題、超算数警察の方へ

かけ算の順序指導について不満があるのならば、変えるべきはルールブック(文科省)であり、文句を言う相手は、かけ順容認派でも、教師でもありません。

現行のルールブックは「ときに数学的な正しさよりも教えやすいやり方を優先することがある」ことを許容しています。


「ここで述べた被乗数と乗数の順序は、『一つ分の大きさの幾つ分かに当たる大きさを求める』という日常生活などの問題の場面を式で表現する場合に大切にすべきことである」
(学習指導要領解説抜粋)


「順序がどうというよりも、掛け算がどういうもので、それぞれの数が何を意味しているのかを理解することが大切です。そのうえで、学校現場でどう指導するかは各学校のやり方にもよるでしょうし、児童の状況や理解度を踏まえながらご指導いただく必要があると思っています」
(かけ算の順序指導についての取材における文科省初等中等教育局教育課程課の回答)


上記の回答で明確に否定も肯定もされなかったように、かけ算の順序は明文化されたルールではなく、これは反則か?と聞かれたら「主審に任せる」というものです。
これはサッカーの「反スポーツ的行為」で考えるとわかりやすく、ルールブックの本質は「フェアプレー精神で公平に競技をすること」で、サッカーのルールは全てそれを目的に作られています。
実際の裁定はその理念に基づいて審判が判断をする訳で、どこからがラフプレーかなどの微妙な判断は審判によって裁定基準が変わるのは仕方のないことです。


サッカーで例えるなら、文科省はルールブック、教師は主審、生徒は選手、保護者は監督、それ以外のTwitterにいる人なんかはサポーターです。

反かけ順派の監督やサポーターはかけ順固定を「誤審だ」と言ってる訳ですが、小学校教育におけるルールブックでは「生徒に日常生活で困らない基礎学力を付けること」を目的としていて、(この辺りも議論になりそうですが、)少なくともかけ算の教え方に関しては主審である教師が目的に沿うと判断するならやり方は任せる、というのが裁定です。

つまり、数学的に正しいかよりも、足し算引き算を覚えたばかりの子供がいかに日常的なかけ算を理解できるかという部分に重きを置いている訳です。

答案用紙に授業で教えたかけ算の順序とは違う順番で式が書いてあるとき、そのときの裁定基準はルールブックには記載がないが、「ルールブックの目的に照らし合わせたとき、合理性があるなら、順番通りに書かないとバツを付けるというジャッジも誤審とは言えない」という判断を文科省がしているので、昔からずっとやり方が変わっていないのです。

教えた順番通りに書けない子は前述の「掛け算がどういうもので、それぞれの数が何を意味しているのかを理解」できていない可能性があり、完璧に理解できている子にバツが付くよりも、理解できていない子を探す方が教育的だという裁定がされているとも言えます。


教師は、生徒にはあらかじめ決められたかけ順以外はファウルだ、としっかり説明をしてから競技をするか、そうでなくてもファウルの理由を聞かれたら保護者に説明できる能力が求められますが、仮にその能力がないとしても、大元のルールブック的に問題がないのであれば、主審の裁定自体も問題はありません。
(別問題として、審判の質を高める教育をした方がより良いですが、現実的に難しい部分があるようです。とはいえ監督やサポーターも昔は小学校選手だったはずなので、理解していれば子供に教えられるはずです。わからなかったら周りに聞きましょう)

もし保護者が子供に端的に理由を伝えるとするならば、「言われた順番どおりに書けない子を探すためにバツを付けてるから、言われた順番通りに書かないといけないんだよ」で事足ります。

できる子供は、「学校はよくわからないルールがあるな」と斜に構えてればいいんです。そうすればできない子供を見つける目的は達成できます。


一方、数学のルールブックは「数学的な真理を追求することによって数学的理解力をつけること」を目的としているので、小学校教育のルールブックとは違うルールでジャッジをしているので、当然相入れないですよね。

これは、小学校のローカルルールのサッカーとプロスポーツのサッカーのルールが違うのと似ています。

算数と数学は同じものでもあり、違うものでもあるのです。

小学校サッカーのルールを覚えたからといってプロサッカー選手になったときに何ら弊害はないのと同じように、

かけ算順序も、交換法則がわからないまま大人になることもなければ、「かけ算の文章問題は被乗数×乗数の順番で立式しなきゃいけない」という小学校ルールが頭にあって将来困ることもありませんし、仮にあったとしても成長すれば臨機応変に色々なルールに対応して物事を処理できるようになっていくものです。

学校側はとにかく教えやすいルールで始めて、どうすれば点が入るかを子供たちが考えて、みんなで平等に運動を楽しめるように独自のルールをどんどん作っていくというやり方が小学校におけるルール作りです。

オフサイドすらないルールでやってるのに、サッカーに詳しいからって、「今のはオフサイドだ!」って文句言うのは空気壊すだけですよね。

スライディング禁止のルールでやってたら、足がボールにいってようがファウルです。その場ではこの行為はファウルになるということを理解させたうえで、保護者は子供に本当は上手いプレーだったんだよと褒めてあげればいいんです。

スライディング禁止の理由を子供に理解させるのが教師としては一番いいですけど、「学校では禁止」と言うだけでも目的は達成できてしまいます。

そこで子供が「サッカー教室で覚えたプレーを授業でやったら怒られた、サッカーが嫌いになった」とならないようにフォローしてあげるのが保護者の役目で、保護者が学校に「スライディングしてもいいじゃないか」と文句を言うのはおかしいです。

プロはしていいし、サッカー教室でもしていいけど、学校ではしちゃダメ。

なぜなら素人ばっかりで危ないプレーは怪我につながるから。

ここまで教師も保護者も説明できるのが一番いいですが、スライディング禁止のルールだけ伝える教師も、丁寧さが足りないだけで、絶対的に悪い訳ではないです。

小学校のルールブックに沿ってジャッジをする審判を批判したり、ルールの趣旨に沿った主張をする人を小馬鹿にしたり、ルールを理解してない選手をかばったりすることは、監督やサポーターのすることではないと思います。

ルールを統一するべきだと言うならルールブックを変える必要がありますが、そもそも小学校教育における算数のルールブックが数学とは違う裁定基準で運用されている理由についてよく熟慮したうえで、なぜ変える必要があるのか、どう変えれば双方の目的を達成できるように今より良くできるのか、そういった視点から自分が良いと思う案をプレゼンして少しずつ良い方向に変えていくのが筋で、正しいルールを知らない人を馬鹿にしたり、小学校の教師は正しいサッカーを教えてないだとかケチをつけるのは違いますよね。もし最高の代替案があるなら、すぐに世の教師の間に広まって、かけ順の問題なんて消え去りますよ。

少なくとも一番の当事者である選手を第一に考えた議論がされたうえで専門家によってルールブックが作られていて、それを遵守しつつ実際の試合に適するような判断をして運用しているのが審判である教師で、専門家も教師も外野の世論のことなんて考えちゃいないので、ヤジはせめて当人に聞こえないところでしましょう。

そして監督である保護者は、教師のジャッジがどうであれ、良いプレーだったら子供を褒める、悪いプレーだったら正す、ということをすれば良いだけです。

教師にジャッジの根拠を聞くのは自由だし、同じ目的に向かって議論をすることは良いことかも知れませんが、学校側にも理由や都合があってルールを作っていることを理解して、家庭で解決できるものは家庭で解決するべきだと思います。

この話はあくまで現行のルールがこうだからこれが正しい、という話であって、私自身は今の教え方が正しいなんて全く思っておりません。(前のnoteにも書きましたが)

今のルールを変えたりアップデートしていくこと自体は必要だと思います。

そのために必要なことは教育的に建設的な議論や、保護者の子供に対する現実的なフォローの仕方の議論であって、これは数学的に正しいことだけを追求して、現行のルールを批判しているだけの人へのアンチテーゼとして書いたものです。


蛇足ではありますが、実際に学習指導要領ではサッカーのルールは簡易化して全員が楽しみやすいものにするように定められていますが、現場では広いピッチで11対11のしっかりしたサッカーをやるところもあります。
これは明確に学習指導要領に反しており、ルールを簡易化することで、ボールに触る人数を増やす、全員が攻撃できる機会を設ける、という本来の目的をまるで理解していないので、かけ算の順序なんかよりもこっちの方がよっぽど大問題です。

体育はサッカーのルールを教えることが目的ではないので、本来のルールとかけ離れてもいいから、同じ人が2連続ゴールできないとか、みんな1回目のシュートは3点入るとか、そういった工夫が子供たちに運動を楽しませるという目的を達成するために一番大事なことだと思います。

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