難病になった話(後縦靭帯骨化症OPLL)Vol.1

■序章

TikTokの動画を参考に、身体を大きくのけぞらせるストレッチをしたところ、上半身に経験したことないレベルの電撃が走った。特に、肩から指先にかけて、大電流が流れたような痛み。

やっちまった、こりゃどこか痛めたな

直後の感想はそれだった。ヨロヨロと洗面所をでて、嫁ちゃんに痛みをアピールして同情を買う。電撃は一度で終わったが、両手の人差し指の付け根あたりににキツめの痺れが残っていた。

あからさまに異変レベルの電撃と手に残った痺れ。翌日の整形外科行きが決まった。夜、手の痺れは痛みを増し、睡眠後に目が覚める程度の痛みがあった。

不穏なものを感じた(あと付け)

■整形外科へ

翌日、手の痺れを感じつつ、近所の整形外科へ。

診察を受けると、腰を痛めたと思っていたが、両手に痺れがあることから、首の検査をすることとなる。

レントゲンをみて、頚椎靭帯の石灰化が進行しているとの所見を聞く。痺れがあることから、すぐにMRIでの精密検査へと進んだ。

思いがけず検査に時間がかかってしまったので、仕事場や嫁ちゃんに連絡などを済ませる。なんだかんだ言って、様子見程度で済むとタカを括っていた。

■そして難病へ

名前を呼ばれて診察室へ入る。

なんかもう、雰囲気がおかしいとは思った。ざわついているというか、ムードが暗いというか。

私のMRIの画像をクリクリと操作しながら、A先生がいう。

えーと、後縦靭帯骨化症というね、あ、これ難病なんですけどね

(えっ?難病?)
ほう、難病ですか

動揺を隠せなかったが、話の流れが早すぎて、表に出す隙がなかった。いや、今思うと、そういう話術なのかも知れない。

ちょっとこれ、かなり脊髄が潰れちゃってるんですよね、見たことないレベルで

(えっ?潰れてていいの?)
た、確かにそう見えますね

状況もろくすっぽ理解できないままに、依然として動揺を表に出す隙を見つけられないふへんちゃんであった。

タイミングの良いことに、翌日には脊椎専門のB先生の診察があるということで、その日は予約をして帰った。

帰り道、さっそく嫁ちゃんに難病の診断を受けたことをLINEする。

なんかおれ、難病らしい

仕事中の嫁ちゃんからは、すぐには返事はなかった。自分でも病気について、ネットで検索しながら、とにかく知識を集めた。

後縦靭帯骨化症

歩行困難、四肢麻痺、排泄障害、寝たきり、などの言葉が飛び込んで来る。胸が、ドキドキした。

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