揚輝荘~聴松閣の地下トンネル特別公開~

画像1 揚輝荘は「松坂屋」初代社長である15代伊藤次郎左衛門祐民(いとうじろうざえもんすけたみ)が、大正から昭和初期にかけ建設しました。国内外のVIPをもてなす迎賓館としての色が強く、社交場として華やいだ当時の様子をうかがい知ることができます。べんがら色が映える聴松閣には心射抜かれる人も多く、足繁く通うファンが多い「魅惑の館」です。
画像2 ■2月29日までの特別イベント■ 聴松閣地階にあるトンネルは、いつものガイドでは少し離れたところから「見るだけ」ですが、この度、トンネルの中を・・・覗くことができます! まさに「初めて」の「今しかない」機会。ぜひ、このチャンスを逃さないで!
画像3 ■謎多き地下トンネル■ 約1万坪の敷地あったという地下トンネル。全長は約170メートル。聴松閣からテニスコート(現存せず)にもつながっていたんだとか。パネルにも書かれているように、現段階では資料が残っておらず、何のために作られ、どんなふうに使われていたのかは不明とのこと。それがまた、ワクワク心を掻き立ててくれますよね。ミステリアスさは揚輝荘の魅力。
画像4 ■どっしりとした鉄製のどでかい扉■ 鉄製なのに建具のような装飾も施されています。また、扉の周りには寺院色強めの装飾も。トンネル入口上にある大きい穴は、照明が設置されていたという資料があるそうですが、現存していないのが残念。インド調で統一されている地階に合わせて、きっとアジアンテイストの照明だったのではないか…なんて、新たなネタで推考する楽しみを堪能できます。
画像5 ■取材陣は、安全に配慮し特別な許可を得てさらに奥を撮影■ トンネル内はさらに階段で下ります。オールコンクリートのトンネル。昭和12年に建設された当時のままです。なんて頑丈な造り!
画像6 ■トンネルの内壁にご注目■ クッキリ木目が確認できます。先に木を組んでからコンクリートを流し込んだのか、はたまた長細いコンクリートブロックをいくつも作成し、それを石垣のように組んだのか…。トンネルコンクリートの厚みが25センチあるという構造以外、施工についての資料は残っていないそうです。
画像7 ■平成19年のマンション建設■ マンション建設の際、トンネルのほとんどが埋められました。それまで崩れることなく形を綺麗に保っていたというトンネル。長いトンネル内を探検隊気分で歩いてみたかったですよね。
画像8 ■いつもは全く見えない死角の金庫■ 今、金庫の中も公開中!金庫内には等間隔にボルトが打ち込んであることから、棚があり、そこには珍しいコレクションが並んでいたのではないか?と推察されます。 内部が黒く汚れているのは、ススやカビではなく、塗装が剥げた跡。見立てでは「漆」…のような…。
画像9 ■タイルの模様も要チェック■ こちらのタイルも1枚1枚手焼き。釉薬を結晶化させることで現れる花のような可愛い模様。こちらは現在の東区エリアにあった会社で焼かれたものらしいです。・・・東区で陶磁器といえば…揚輝荘と「文化のみち」仲間である【橦木館】が思い出されます。同じ時代に名古屋界隈で存在感を示した伊藤祐民と井元為三郎。事実は分かりませんが、このタイルから想いを馳せて…何か二人のエピソードが存在しているとしたら、名古屋史の面白さがぐっと広がりますね。
画像10 ■揚輝荘は360度全てのデザインを楽しめる■ 揚輝荘の建物は、部屋ごとにコンセプトが決められています。配置する家具やカーテンは全てオーダーメイド。注目して欲しいのは壁と床と天井。実はこれらのデザインにも意味があったり秘密が隠されていたり。画像はどこのものかわかりますか?全て答えることができるあなたは揚輝荘マニア(一部のファンからは「ヨウキソリスト」と呼ばれているとかいないとか。)「揚輝荘ガイドツアーに参加すると館内の豆知識をたくさんGETできます!ぜひご参加を!

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