ブラームスとクララとわたし

先日、機会があって久しぶりに立て続けにオケを聞いたら、たまたまブラームスの交響曲の2番が演目に重なっていて、違うオケで二度聞いた。

ブラームスは交響曲は4曲あってどれも名曲だが、わたしは2番はとても好きだ

ブラームスというとヒゲモジャでおなかがぽっと出たデブのおじさんというイメージだったが、子供の時にクララ・シューマンと「仲良し」だったと聞いて、クララってどんな素敵な人だったんだろうとよく妄想した。シューマンとブラームスに愛されるなんて凄いことだと思っていて、タイムマシンに乗って翻訳こんにゃくを持ってデートしたいと思ってた。三人目のカレシになれたらいいなあと。

実際、クララ・シューマンはシューマンが死んだ後も、断続的にブラームスと交際を始めたり、やめたりを何度か繰り返してる。その関係はプラトニックなものだったかどうかという無粋な議論がよくあるが、あまりにブスイすぎる。高校時代によく妄想したのは、タイムマシンで彼らの間に割って入り、ヒゲモジャのブラームスにパンチを食らわせて、クララを連れ去るということをよく考えていた。

あまりにどうでもいい妄想だったのでもちろんすっかり今まで忘れていたが、ほんとうに何十年ぶりにその時の妄想がオーケストラを聴いているうちに突然よみがえってきた。東京国立博物館に長年静かに眠っていたミイラが突然口を開いたような驚きである。

なぜいまま忘れていたのか、なぜいま思い出したのか、そもそもなぜ高校時代にそのような妄想をしていたのか、ということを考え始めたらあっという間にコンサートが終わってしまった。

記憶って香りとか音とかで突然よみがえるときがある。私は特に音楽でよくある。一時期よく聞いていた曲を久しぶりに聴き直すとよく聞いていたときの感情がばあっとまるごと降ってくるような時がある。だいたい若い頃の感情の記憶だ。なのでだいたいどうでもいい。若い頃に悩んでいたことはだいたいその後に訪れる試練に比べるとたいがい大したことはない。とはいえ、そのときはある思いに感情が支配され、それは痛みや悩みを伴っているので、それがよみがえるとその痛みや悩みの感情がばんとくるので、その瞬間はそれなりのインパクトだ。

久しぶりにnoteに書くような話題ではないだろうけど。




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