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出口王仁三郎

2024年03月03日(日) 

でぐち おにさぶろう
出口 王仁三郎
読み方について「わにさぶろう」とされることもあるが、
正しくは「おにさぶろう」
新宗教「大本」の二大教祖の一人。

出口王仁三郎は現在の京都府亀岡市穴太(あなお)に、
農業を営む上田家五男三女の長男上田 喜三郎(うえだ きさぶろう)として生まれた。
1898年(明治31年)10月8日、
喜三郎は大本の開祖・出口なお(直)を京都府綾部に訪ねる.。
最初の対面では、なおが稲荷講社所属の喜三郎に不信感を持ち、
また金光教由来の信者達も彼を敵視したため、物別れに終わった。
1899年(明治32年)7月、なおは神示によって喜三郎こそ待ち人と悟り、
再び綾部に招いた

喜三郎はなおに神懸りした「艮の金神」を「国武彦命」
(後に日本神話の創造神国常立尊と判明)と審神し、綾部に移住した。
二人の関係は、神秘的な女性と組織的男性がコンビを組んで
指導を行うアジア的なシャーマニズムの型とされる。
ただし、二人が太古の夫婦神の分身でありつつ
霊的性別の逆転現象を起こしている点に注目すべき点がある。
喜三郎はなおを教主、喜三郎を会長とする「金明会」を組織するが、
園部で開いていた「霊学会」もほどなく融合させ、
8月に「金明霊学会」を設立し、各地に支部、会合所を設置した。
現在の大本の「十曜神紋」も綾部藩主九鬼家の九曜紋家紋を引用して
この時に定められた。

左から王仁三郎、頭山満、内田良平
王仁三郎の葬儀
白装束の女性は二代教主・出口すみ。

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