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速報 - 銀行家でエドモンド・ド・ロスチャイルド持株会社の会長であるベンジャミン・ド・ロスチャイルド男爵(57)が心臓発作で亡くなった。

(ベンジャミン・ド・ロスチャイルドの死亡は古い記事であるが、
日銀の株主の記事が出てきたので再掲:フランク)

2024年06月01日(土) 


銀行経営者ベンジャミン・ド・ロスチャイルド、57歳で死去
シャンパーニュ・バロン・ド・ロスャイルドでタッグを組んだ、
左からエリック・ド・ロスチャイルド男爵、フィリップ・セレイス・ド・ロスチャイルド男爵、
バロネス・フィリピーヌ・ド・ロスチャイルド、アリアンヌ・ド・ロスチャイルド、
ベンジャミン・ド・ロスチャイルド男爵
左から、エリック・ド・ロスチャイルド男爵、アリアンヌ・ド・ロスチャイルド、
フィリップ・セレイス・ド・ロスチャイルド男爵(2019年11月に東京で撮影)

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エドモン・バンジャマン・ド・ロチルド

1845年8月19日 - 1934年11月2日
ロスチャイルド家のフランス分家の一員であった。
シオニズムの強力な支援者であり、
彼の惜しみない寄付はイスラエル設立に重要な支援をすることとなった。

パリ郊外のブローニュ=ビヤンクールにおいて
ロートシルト家(ロスチャイルド家)の始祖である
マイアー・アムシェル・ロートシルトの五男(末子)のジャコブ・マイエール・ド・ロチルドと
ベティ・フォン・ロチルドの末子として誕生した。

1982年に発行されたイスラエルの旧500シェケル紙幣に肖像が使用されていた。
エドモン・ド・ロチルド男爵の肖像画。1884年
カイザリア Caesarea イスラエル 拡大
カイザリア Caesarea イスラエル
イスラエル共和国内にある都市カイサリア。
この古代の港湾都市は、19世紀末、つまり20世紀半ばのイスラエル建国以前より、
有名なユダヤ系の大富豪一族ロスチャイルド家の「私有都市」となっている。

カイサリアは、そのうちの3000haを有するロスチャイルド家の私有都市
カイサリアは国家に属しておらず、
イスラエルに設立された「エドモン・ド・ロチルド財団」に帰属している。

エドモン・ド・ロチルド男爵は、
この地で19世紀末から決定的な役割を演じ、
信仰に厚く、寄付にも熱心だったパリの銀行家だ。


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日本銀行の株主 エドモンド・デ・ロスチャイルド


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エドムンド・ド・ロスチャイルド

2009年1月17日(93歳没)


エドモン・ド・ロチルド男爵
英国内の銀行業の方も順風満帆であり、
化学のインペリアル・ケミカル・インダストリーズ、
石油のロイヤル・ダッチ・シェル、ダイヤモンドのデ・ビアス、
重工業のヴィッカース、紅茶のリプトン、
保険のロイヤル・アンド・サン・インシュランス・アライアンス(英語版)などの大企業を
財政面から支えた[24]。

1951年に日英関係が回復した後、
ロスチャイルド家は日本の大和銀行、住友銀行、横浜銀行、日本興業銀行と取引を開始し、
これらの銀行のためにポンド建て信用状を開設してあげていた。
そのためエドムンドも日本財界と関係が深くなり、
1962年には友人の野村証券社長奥村綱雄らからシティ有力者として東京へ招待された。
東京では内閣総理大臣池田勇人、大蔵大臣田中角栄、経済企画庁長官宮沢喜一、
日本銀行総裁山際正道、三菱銀行頭取宇佐美洵など政財界要人と友好を深めた。
また父ライオネルが創設した庭園エクスベリー・ガーデン(英語版)から取れた
シャクナゲを宮内庁に寄贈し、それは皇居の庭園の一郭に埋められた。
満開になると昭和天皇もよくそれを観覧したという[25]。

この訪日でエドムンドは日本政財界から外資導入への熱望を寄せられ、
その期待にこたえて「パシフィック・シーボード・ファンド」を立ち上げて、
日立、テイジン、東洋レーヨンなどの日本企業のために
ユーロドル建て社債の発行を行うようになった。

1969年にはメリル・リンチや野村証券とともに「東京キャピタル・ホールディングス」を創設し、その監査委員会議長に就任した。
これにより毎年1回は役員会や会合などのために訪日するようになった[26]。
資金提供を通じて日本の戦後復興に尽くした功績で勲一等瑞宝章を受勲した[27]

1975年にN・M・ロスチャイルド&サンズを退社して引退生活に入った[28]。
ちょうど社内ではジェイコブとエヴェリンの対立が深まっている時期だったため、
その仲裁の意味でジェイコブの父ロスチャイルド男爵ヴィクターが代わって頭取となった[29]

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