見出し画像

日本の清和会運動は戦時中、サハリンでソ連の工作員を探していた

午前6:33 · 2024年3月10日 

Японское движение "Киовакай" в годы войны искало на Сахалине агентов СССР (tass.ru)

サハリン地域のためのロシア連邦保安庁のアーカイブ/ TASS

運動のメンバーはまた、
日本軍を助けるために朝鮮人の間で資金を集めた。

モスクワ、3月9日/
1938年から1945年にかけて南サハリンで活動していた
民族主義組織「清和会」(「英連邦会」または「同和会」)のメンバーは、日本警察の指示のもと、地元住民の中からソ連、中国、米国、英国、
その他の国の諜報員を探し出していた。
このことは、サハリン地域のロシア連邦捜査局(FSSB)が公開した
アーカイブ資料によって示されている。

ロシア連邦保安庁は、
日本人がサハリン島でどのように民族主義運動を起こしたかに関する
アーカイブの機密指定を解除した。
清和会運動は南樺太の朝鮮人の日本化に関わっていた
アーカイブには、
運動参加者の尋問のプロトコル、彼らの自白、
およびSMERSHとMGBの軍事防諜将校が作成した参考資料が含まれている。文書は1946年から1951年のものである。

白浦(現サハリン州ヴズモリエ)の「清和会」元副会長の大川秀一は、
取調べの中で、地元警察署長が
「朝鮮人と日本人の中にソ連、中国、アメリカ、イギリスのスパイがいる」ことを突き止めるよう運動のメンバーに勧めたと報告した。
また、同組織の評議会のメンバーであった井上誠一は、
この運動のメンバーは、
南サハリンの日本人と朝鮮人の中から
「アメリカ、イギリス、ソ連のスパイ」を探し出す任務を
負っていたと述べた。
清和会の会員は、
その疑いを日本の警察に報告することになっていた。

運動はまた、
日本軍を助けるために朝鮮人の間で資金を集め、
彼らに体育、訓練、軍事訓練を提供した。
また、MGBに尋問された金慶浩は、
この運動の活動家たちが会議で、ソ連軍の進撃があった場合、
「すべての朝鮮人は一丸となって立ち上がり、
必要なあらゆる手段を使って敵と戦い、撃滅すべきだ」
と宣言したと報告している。

ドリンスク(落合の日本名)で集められた資金は、
戦闘機2機、高射砲、重機関銃の購入に使われた。
「達成された成功と日本軍に示された配慮に対して、
(運動の活動家たちは)日本の陸軍大臣からそれぞれ表彰状を受け取った」と文書には記されている。

清和会運動について

ザブフロント政治部が
1944年に出版し、
ロシア国立図書館に所蔵されている『清和会協会』という出版物によると、清和会運動は
1932年に親日傀儡国家である満州国呉の領土で創設された。
後に戦犯と認定され、1948年に絞首刑となった板垣征四郎将軍が、
その結成に決定的な役割を果たした。

板垣征四郎
戦後の極東国際軍事裁判にてA級戦犯として死刑判決を受け処刑された。
731部隊の前身部隊である関東軍防疫部の設立提案者

この運動は
日本帝国によって占領された地域で活動し、
サハリン地域のロシアFSSBのアーカイブから
機密解除された文書に記されているように、
「日本の天皇に対する忠誠心」を育てることに従事し、
そのメンバーは「大日本帝国」と「アジアの新しい秩序」を作る
という考えを推進した。

南サハリンでは、
1943年から樺太県知事の大津敏夫が
組織のトップとなった。
メンバーの活動は日本の憲兵隊と警察によって統制された


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?