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ガンザー博士が語るウクライナ紛争:真実の裏側

2023年5月27日 12.04.2022投稿
ガンザー博士が語るウクライナ紛争:真実の裏側 - 日本語 |Medien-Klagemauer.TV

8年前のオバマ大統領の国際法違反がなければ、
プーチンの違法な軍事侵攻はおそらく起こらなかったでしょう。
そう語るのは、Rubikon.newsに寄稿している
Daniele Ganser(ダニエル・ガンザー)哲学博士です。
スイスの歴史学者で、1945年以降の現代史と国際政治の専門家です。
専攻分野は平和研究、地政学、秘密戦争、資源争奪戦、経済政策です。
同博士はバーゼルにあるスイス平和エネルギー研究所の所長です。
今日はウクライナ紛争に関する彼の見解を紹介します。

「2022年2月24日、
ロシアのプーチン大統領は軍隊にウクライナへの侵攻を命じましたが、
これは国連の暴力禁止規定に違反するため違法です。
そのほぼ8年前の2014年2月20日、アメリカのバラク・オバマ大統領は、
ウクライナをNATOに引き込むためにウクライナ政府を転覆させました。
このクーデターがウクライナ戦争の出発点です。

プーチンの侵略と同じように、オバマの行動は国連の暴力禁止に違反し、
したがって違法です。
今こそ、どちらか一方からの中途半端な報告に甘んじることなく、
バランスの取れた形で紛争の全容を伝えるべき時です。
現在、メディアではプーチンの侵攻について多く報道され、
正しく批判されています。

しかし、オバマのクーデターについては、
ほとんど報じられてきませんでした。
なぜ、物語の半分しか語られないのでしょうか?
米国は本当にウクライナの政府を転覆させたのでしょうか?
なぜ、当時はほとんど誰も気づかなかったのでしょうか?
米国がウクライナ政府を転覆させたという証拠はあるのでしょうか?
今、こうした質問をよく受けます。
私は歴史家、平和研究者として、
米国の公開された戦争と秘密の戦争の研究を長年続けており、
拙著『違法な戦争』でもウクライナのクーデターについて述べています。「欧米が主導したクーデターであることは間違いない」と、
元CIA職員のレイ・マクガバンは認めています(1)。
クーデターから1年後の2015年5月10日、
私はベルリンでウクライナでの出来事について講演を行い、
オバマ大統領がウクライナの政府を転覆させたことを明らかにしました。
講演の様子はこちらでご覧いただけます(2)。「核保有国との対決」

核保有大国どうしの衝突
ウクライナ戦争は、核兵器を保有する米国とロシアが対峙しているため、
特にデリケートな国際紛争です。
キューバ危機のように、双方が隠しカードで勝負し、
ウクライナを自国の勢力圏に引き込もうとしているのです。
ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が崩壊した後、
ウクライナは1991年にソビエト連邦からの独立を宣言しました。
ロシア政府の弱体化は、米国の影響力を東欧に拡大し、
かつてモスクワが支配していたワルシャワ条約加盟国をNATOに
加盟させる最初のチャンスを米政府に与えました。

NATOの東方拡大とブカレストサミット
米国はロシアにNATO不拡大を約束していたにもかかわらず、
NATOは拡大されました。ポーランド、チェコ、ハンガリーは
1999年にNATOに加盟しました。
2008年4月にルーマニアの首都ブカレストで開催されたNATO首脳会議で、
ジョージ・ブッシュ米大統領は、
ウクライナもNATOに加盟すると宣言したのです。
ウクライナはロシアと直接国境を接しているので、
ロシアは激怒しました。米国でも注意喚起の声が上がりました。
「もし中国が強力な軍事同盟を結び、
カナダやメキシコを参加させようとしたら、
そのときのワシントンの怒りを想像してみたらよい」。
シカゴ大学の政治学者ジョン・ミアシャイマー氏はそう警告しました。
ミアシャイマー氏によれば、欧米が不必要にロシアを刺激したため、
ウクライナ危機を引き起こしたのです(3)。

マイダンでのジョン・マケイン
上院議員 2013年末、ウクライナの首都キエフの中央広場「マイダン」では、ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領とニコライ・アザロフ首相の政権に
反対するデモが行われていました。
元ボクシング世界チャンピオンとして有名なビタリ・クリチコが
デモを主導し、米国と緊密に打ち合わせた上で扇動的な演説をしました。
この緊迫した状況の中、米国の有力上院議員ジョン・マケインが
ウクライナに飛び、2013年12月15日、クリチコとともに
マイダンの抗議者陣営を訪問しました。
米国の上院議員がデモ隊にウクライナ政府転覆促したのです(4)

もし、ロシアの有名な国会議員がカナダに飛び、
首都オタワでカナダ政府を転覆させようとするデモ隊を支援したら、
米政府はどれほど怒り狂うでしょうか?
米国はまさにそのようなことをウクライナで行ったのです。

駐キエフ米大使館が抗議行動をコーディネート
マイダンのデモのリーダーたちは、米大使館に出入りし、
そこで指令を受けていました。
一部のデモ隊は武装しており、警察に対して暴力を行使しました。
「米国が衝突を激化させたのは明らかだ。」
失脚したニコライ・アザロフ首相はそう語っています(5)。

キエフの米大使館では、ジェフリー・パイアット米大使がデモ隊を支援し、ウクライナの不安定化を進めました。
パイアット大使は、元ボクサーのクリチコと直接コンタクトを
とっていました。
マイダン広場の組織化されたデモはどんどん大きくなり、
キエフの緊張は高まっていきました。
バイデン米大統領もマイダンのデモを支持し、
クーデターに直接関与していました。
2013年12月、当時オバマ政権下で副大統領だったバイデンは、
夜中にヤヌコビッチ大統領に電話をかけ、
「警察がマイダンの群集を排除したら、ただでは済まないぞ」
と脅しました。
その後、ヤヌコビッチは予定していた排除行動を撤回しました(6)。

ビクトリア・ヌーランドの50億円
米国務省でクーデターを担当していたのは、ビクトリア・ヌーランドです。ヌーランドは、ジョン・ケリー米国務長官の下で国務次官補を務め、
オバマ大統領の上級補佐官でした。
ドナルド・トランプ大統領の下、ヌーランドは影響力を失いましたが、
ジョー・バイデン大統領によって再び国務省の国務次官に任用されました。ヌーランドはブカレスト首脳会議で合意されていたように、
ウクライナをNATOに加盟させるため、
アザロフ首相とヤヌコビッチ大統領を引きずり落とそうとしていた。
マイダンのデモの指導者たちは、米大使館から指令を受けただけでなく、
報酬も受けていました。

クーデターの2カ月前の2013年12月、ヌーランドは
講演でこう述べていました。
「我々はウクライナの繁栄、安全、民主主義を保証するために
50億ドル以上を投資してきた」(7)。

これには、米国でも批判が出ました。
元米下院議員のロン・ポール氏は公の場でこう尋ねています。
「米国のビクトリア・ヌーランド国務次官補がウクライナの政権交代に
50億ドルを費やしたと自慢しているが、そんなことが許されるのか?" (8).

ウクライナのデモ隊の中にお金をもらっている人がいることは、
当時公然の秘密でした。
米国の大富豪ジョージ・ソロスのように、
革命に資金を提供する人たちがいるのです。
ソロスはマイダンを支援し、そこにいる人々に給料を払っていました。
「彼らはマイダンで2週間過ごすと、
西ウクライナで4週間働くよりも多くの収入を得た。」
ウクライナ専門家のイナ・キルシュは『Wiener Zeitung』で
そう書いています。
マイダンの抗議デモと、それに反対するカウンターデモ
「アンチ・マイダン」の両方で、
人々が支払いを受けていたという十分な証拠がある」と、
キエフの現場にいたイナ・キルシュは言います。
「デモごとに報酬が与えられた。
朝、アンチ・マイダンのカウンターデモでお金をもらい、
その後マイダンに行ってまたお金をもらっている人を知っている。
ウクライナでは何も珍しいことではない」(9)。

「EUなんか糞くらえ」:クーデター前の電話
ウクライナのクーデターに米国が関与したことを示す証拠の中で
最重要なものは、クーデターの数日前、2014年2月7日に
ビクトリア・ヌーランドとジェフリー・パイアット大使が交わした
電話の会話です。
ヌーランドは電話会談で、
クーデター後のウクライナの新政府を誰が作るべきかについて、
「クリチコは新政府の一員になるべきでない。
その必要もないし、いい考えだとは思わない」と断定しました。
「私はヤツェニュク氏が適任だと思う。
彼は経済と政治に必要な経験を持っている。」
実際、クーデター後のウクライナでは、
アルセーニ・ヤツェニュク氏が首相に就任しました。
元ボクサーのビタリ・クリチコは、キエフ市長のポストで
満足しなければなりませんでした。
これは、ビクトリア・ヌーランドが米国のためにクーデターを計画し、
成功させたことを証明しています。
「この問題を解決するのに」国連の潘基文事務総長が「役立つだろう。
EUなんか糞食らえ」とヌーランド氏は盗聴された会話で語っています。
これを聞いたメルケル独首相は腹を立てました(10)。

2014年2月20日、狙撃手が状況をエスカレートさせる
2月末、マイダンの状況がエスカレートしました。
2014年2月20日、正体不明の狙撃手が複数の建物から
警察官やデモ隊に発砲し、40人以上の死者を出すという大虐殺が発生し、
状況は混乱しました。
ただちに当時のヤヌコビッチ政権とその警察組織ベルクは虐殺の責任を
負わされましたが、
彼らには事態をエスカレートさせることに何の得もありませんでした。
彼らとしては政権の転覆を避けたかったからです。
「国際社会は独裁者が国民を虐殺するのを傍観していてはならない!」。
政権打倒を目指していたボクサーのビタリ・クリチコは
ドイツのタブロイド紙『ビルト』にそうコメントしました。
政権転覆は成功しました。
ヤヌコビッチ大統領は失脚し、ロシアに逃れました。
その後、億万長者のペトロ・ポロシェンコが大統領に就任し、
ウクライナをNATOに導くと即座に宣言しました。

オバマ大統領、クーデターについて語る
クーデターから1年後、
オバマ米大統領はCNNでウクライナの政変について語りましたが、
米国が演じた役割については口を濁しました。
「プーチンはマイダンの抗議行動で足元をすくわれた」
とオバマは言いました。
「ヤヌコビッチは政権移譲の交渉の末、逃亡した。」
ウクライナの政府を転覆させたのは本当はオバマだったことは、
CNNの視聴者には明かされませんでした(11)。

プーチンがクーデターについて語る
しかし、ロシア人はア米国がクーデターを組織したことを知っており、
激しい怒りを覚えていました。
「この危機は意図的に作り出されたものだと考えている。」
プーチン大統領は
イタリアの新聞「コリエレ・デラ・セラ」にそう語りました。
NATO諸国はクーデターを防ぐことができたはずであることを
プーチンは確信していました。
「もし米国と欧州が違憲行為を行った者達に対して、
そんなやり方で政権を取っても決して支持しない。
選挙をやって勝てばいいんだと告げていたら、
状況はまったく違っていただろう」(12)。

クリミアの分離独立
プーチン大統領は、手をこまねいたままウクライナを
手放すつもりはありませんでした。
ヤヌコビッチ政権崩壊直後、
2014年2月23日未明にクリミアの「奪還」開始を指示したのです。
2014年2月27日、クリミア半島最大の都市シンフェロポリで、
記章のない緑の制服を着たロシア兵がすべての戦略地点を占拠し
2014年3月16日、クリミアの人口の97%がウクライナから離脱し、
ロシアに加盟することに票を投じました。
それ以来、クリミア半島はウクライナではなく、ロシアに属しています。
ウクライナ戦争では、米国もロシアも国際法を遵守していません。

まずオバマが2014年2月20日のクーデターで国際法を破りました。
これに対し、プーチンは2014年2月23日にクリミアを占領して
国際法をも破りました。
ロシアのクリミア占領は「現行の国際法に対する侵犯」であり、
「ウクライナの主権と領土保全が侵害された」と、
元連邦行政裁判所判事のディーター・デゼーロートは説明しています。
西側諸国は現在、プーチンを厳しく批判していますが、
西側諸国も数々のケースで現行の国際法に繰り返し違反しています。
コソボ、イラク、アフガニスタン、リビア、ドローン戦争、
グアンタナモです。
プーチンを批判する資格に疑問符が付されます(13す。

ドンバスの分裂 キエフのクーデターとクリミアの分離独立後、
ウクライナは内戦状態に陥りました。
新首相のアルセニー・ヤツェニュク氏は、
軍、諜報機関、警察の力で国全体を支配下に置こうとしました。
しかし、兵士、警察、シークレットサービス関係者は
必ずしも全員がクーデター政府の指示に従ったわけではありません。
ロシアと国境を接するウクライナ東部のロシア語圏では、
ドネツク地区とルガンスク地区がキエフのクーデター政権を
承認しないことを宣言しました。
分離主義者たちは警察署や行政庁舎を占拠し、
新政府は不法に誕生したものであり正統性がないと主張しました。
ヤツェニュク首相はこれに激しく反発し、
分離主義者はすべてテロリストであると断じました。
CIA長官ジョン・ブレナンはクーデター実行者に助言するために
キエフに飛びました。
2014年4月15日、ウクライナ軍は米国の支援を得て
「対テロ特別作戦」を開始し、
ドネツク地区のスラビャンスク市を戦車や装甲兵員輸送車などで
攻撃しました。
これがウクライナ内戦の始まりで、
8年間で1万3千人以上の命が失われ、
それが2022年2月24日のプーチンによる不法侵攻につながったのです。
キエフでのクーデターは、プーチンのウクライナ侵攻を
正当化するものではなく、
それが国際法の侵犯であることに変わりはありません。
しかし、私たち西側諸国が2014年のクーデターを無視するならば、
ウクライナ戦争を理解することはできないでしょう。

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