見出し画像

JFK暗殺の首謀者は誰か

7月 16, 2023 
第107回「JFK暗殺の首謀者は誰か」

1-1
1-2
1-3
1-4
1-5
1-6
ロバート・ケネディ・F・Jrは、ニューハンプシャー州に力を入れている
この数字は大地殻変動の表れでないか
1-7
2-1
2-2
ロバート・・F・ケネディ・Jrが「アメリカン・バリューズ」の著書を出す
2-3
ジャック→JFKのこと
2-4
JFKとRFKは、議員時代に、一緒にベトナムを訪問
2-5
2-6
JFKは、ベトナムの植民地時代の歴史について勉強。
ベトナム史を4冊手に入れ、知り合ったフランス語に堪能な美人記者の助けを借りた
その名はジャクリーンでロマンスが花を開いた
2-7
アイゼンハワーからフランスの援助要請を受け入れたと非難され
JFKは、民主党内で孤立
2-8
ペンタゴン・ペーパーで
南ベトナムの国家とその腐敗した政府はCIAが作ったものであることを暴露した
CIAはベトナム国内の41の州のうち、20の州で影の政府を運営し
官民軍のあらゆるレベルにスパイをおいた
2-9
アイゼンハワー大統領は685人の軍事顧問をベトナムに派遣
ドミノ理論を展開しベトナムへの介入を正当化した
2-10
国防総省雄はJFKに3600人の地上部隊をベトナムに派遣することを要請したが、
新任のJFK大統領はこの派遣に嫌悪感を示し、100人だけの軍事顧問を承認した
「米軍はアジア本土に関係がない」
「戦争部隊は断固として否定した」
共産主義に弱腰だと、ジョンソン副大統領、マクナマラ国防長官、国務長官、
国家安全保障顧問、色々な将軍の反感をかった
2-11
JFKの要請でジョンソン副大統領はベトナムを訪問視察後、
軍事顧問や装備を送るだけでは不十分で
勝利には、米軍の戦闘部隊が必要だと強く主張。
JFKは、南ベトナムを支援することは出来ても、ベトナムのために
戦うことは出来ないと断固として抵抗した
2-12
JFKは、テイラー将軍をベトナムに派遣させる
テイラーの報告では、ベトナムの崩壊を防ぐには、
当初は8000人規模の米軍が必要で戦闘部隊を6個師団(20万5000人)まで拡大する必要があると報告
JFKは、既に1962年の春に、マクナマラ国防長官に
1965年末までにベトナムから米軍を完全撤退させるよう命じていた
1963年の夏から秋にかけてJFKのまわりは抵抗者だらけでコントロール出来ないことに気が付く
JFKはCIAは悪性腫瘍のようだ、とてつもない権力を持ちながら、説明責任をはたしていない
1963年10月、国家安全保障命令を発行。
1965年末までにベトナムから米軍撤退するという命令を出した。
1963年11月20日、テキサス州ダラスでベトナムからの撤退を公表した。
2-13
1963年11月22日、ダラスで暗殺される

(一連の流れと背景を理解すると誰が暗殺を企てたか理解できるね)
(JFK、RFKは完全孤立無援状態だったんだ)

11月24日、ジョンソン副大統領が大統領に昇格
50万人の米兵ががベトナムに行き、58,000人の米兵が死亡
2-14


3-1
3-2
3-3
3-4
3-5
3-6
3-7
3-8
JFKの就任の3日前に演説
バーナードバルークがアイゼンハワーを大統領に担ぎ上げた
3-9
3-10


3-11
3-12
3-13
スメドリーバトラー将軍
連邦議会議事堂前で演説
3-14
3-15

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?