読みやすい長文とは何か
長文でも読みやすいものと読みにくいものがある。その違いは何か。
文体が平易かどうか、ではないと思う。
文を読む行為とは、絵を描いている過程を見せられているようなもの。
たとえば人物像。輪郭から大まかに描いていくのか、まつ毛から描いていくのか。
物語であれば、まつ毛1本から描いていくところを見せられ、やがて「ああ、人物を描いていたんだ!」と途中で気が付かされるという展開が、面白いかもしれない。
一方、相手に理解させる文章の場合は、まず輪郭から着手し「人物を描いている」ことを早めにわからせてから細部に取り掛かるほうが、理解してもらいやすいはず。
ただ、どのような長文でもつきまとうリスク、読まれなかったら無価値という罠がある。読んでいる途中でつまらなかったり、自分には必要のない情報だったと感じさせたらジエンド。
最近読んだ長文(※書いた本人がツイッター140文字と比較しての「長文だ」と自ら断りを入れている)で2つほどあげてみる。
河合氏による石丸氏の評価
それに対する著名人の反応
奇抜な見た目とのギャップが加点要素になっている点も否めない。
古市氏による石丸氏の評価
選挙戦における枝葉のエピソードから書いている。
急いで書いたからなのか、コンテンツに蛇行感が感じ取れるが、主張のポイントは把握できた。
なお、河合氏も古市氏も、どちらも言いたいことは同じである。「石丸氏は政策がない」ということだ。その理由説明の仕方が、「仮説検証タイプ」か「エピソードで裏付けしていくタイプ」か、アプローチの仕方が違うだけ。
ツイートの元となった古市氏炎上のやりとり、これを表面的にみて、こいつは頭良いとか悪いとか、一般人が決めるのはちょっとリスキーだ。どちらも、頭悪いフリをあえて演じてやっている感、私には感じられた。
「政治家」も「政治屋」もどちらも変わらない概念であると批難しはじめる古市氏と、「定義」の誤用(正しくは「相違点」)を指摘し本来の議論から話を逸らそうとする石丸氏。
頭良いかどうかは、一つの目安として学歴を見たらわかる。実家の経済状況に左右されがちな最終学歴よりも、出身高校の偏差値で見てみるのが、個人的には良いと思っている。
河合氏:京都市立紫野高校 62-65 → 京都大学→ 同志社大学大学院
古市氏:埼玉県立越谷北高校 66-68 → 慶應SFC → 東京大学大学院
なお、批判の対象となっている石丸氏は、
広島県立祇園北高等学校 58 → 京都大学
この高校からの京都大学進学は石丸氏が初のようで、相当の努力家。
使い分けたらよい
どちらがいい悪いではなく、アプローチの仕方はTPO重視であり、書き手と読み手との関係で使い分けるのが良い。だが、複数のカテゴリーに属する読者が想定される場合、選択に悩む。どんな場合においても、最後まで読ませる必要があるので、なるべく平易な言葉で、なるべく短文で、要点を理解させるものを作ることが、最終目標ではある。
最後に
長文の口コミは相手の命を奪っているかもしれない・・・。同時に自分の命も浪費しているかも。
このnote記事は朝起きて書きだした。履歴を見たら、完成まで1時間半ほどかかっているようだ。
口コミも、2,000文字一気に書くと2時間ぐらいかな。内容を見直したりして、さらに2時間ぐらいかかっている感じ。非掲載になれば、再提出に1時間。110分≒およそ2時間のプレイにたいして、口コミはその倍以上の時間をかけているという現状なので、もっとスピードを上げたいところ。
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