令和元年 (司法試験)予備試験 参考答案 憲法、行政法

予備試験 令和元年 公法系の答案を作成してみました。

私が予備試験に合格した次の年の予備試験(2019)を、2019年の秋ごろに作成したものです。

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第1、Xに対する教育を受ける権利の侵害について
1、
乙中学校の校長が、Xの水泳の授業について代替措置を取らなかったことについて、X の教育を受ける権利を侵害(憲法、以下省略する。26条1項)しないか。

まず、Xは、外国人であるが、外国人であっても権利の性質上可能な限り、日本国憲法の人権享有主体性が認められる。
教育を受ける権利は、その性質上、自国民のみを対象としたものではないため、公立中学校に通う、外国人の中学生にもその人権享有主体性が認められる。
そして、Xは、水泳の代替措置が認められなかったために県立高校合格に必要な成績が取れず、教育を受ける権利が制約されている。
ここで、学校側は、義務教育が、中学生までを対象として認められることから、高校で教育を受ける権利までは憲法上保障されないと主張する。
たしかに、憲法上は、本人の意思と能力がある限り、中学校において、義務教育を受けさせる義務を負う(26条2項)と規定されていることから、この義務の裏返しとして、中学生は、教育を受ける権利を有する(26条1項)。
しかし、中学生と高校生はいずれも十代という思春期にあり、学習する内容も、中学校での学習内容が高校の学習内容の土台となっているという点で、両者は連続性を有し、密接不可分の関係を有する。
このことから、中学校の義務教育においては、県立高校に合格できる程度の教育を内容としているといえ、中学生は、かかる程度の教育を受ける権利を保障されているといえる。
したがって、Xも中学校で、県立高校に合格できる程度の教育を受ける権利を保障される。
そして、Xは、水泳の授業で、信仰上の理由により、参加を拒んだに過ぎず、Xの運動能力からして、その能力はあったといえるため、代替措置による成績評価を認めるべきであったにもかかわらず、これが認められていない点で、教育を受ける権利制約されている。
この点、学校側は、他の運動能力があっても、実際に実技として水泳をさせてみなければ、水泳の能力が測れず、またXが水泳を拒否したのも厳密には信教上の理由か分からない、と主張して、制約は「能力に応じ」た(26条1項)ものであると主張する。
しかし、Xが、日頃からB教の戒律を忠実に守っており礼拝も欠かさないことから、肌の露出を余儀なくされる水泳の授業を拒んだのは、信教上の理由だといえる。
また、Xは運動を得意としており、そのことは他の実技からも明らかであるといえ、Xは水泳が可能であるといる能力があったと合理的にいえる。
以上のことから、Xの教育を受ける権利が制約されている。
2、
もっとも、教育を受ける権利は、その能力に応じて「ひとしく」(26条1項)保障されるのであって、Xに、水泳の授業の代替措置を認めなかった点は、他の生徒と等しい扱いであったとして、同条の制約として認められないか。
ここで、教育を受ける権利が、その能力に応じて「ひとしく」保障されるのは、他の生徒との平等を図るためである。
そして、ここでの平等とは、絶対的平等ではなく、個々人の違いに応じて異なった扱いを認める、相対的平等である。したがって、合理的区別は認められる。
逆に、合理的区別をすべきであったにも関わらず、それをしなかった場合には、かかる平等が確保されなかったとして、「ひとしく」教育を受ける権利を侵害したといえる。
そこで、Xに対する学校側の上記扱いが、合理的区別の違反といえるか、その判断基準が問題となる。
ここで、合理的区別は、複数名の扱いについて、その扱いの前提となる基準が個々人で異なる場合には、それぞれ違った扱いをすべきである。
具体的には、個人に、その扱いの目的とは異なる理由があり、他の者と同一の扱いをすることが著しく合理性を欠くといえる場合に、合理的区別をすべきである。
ここで、水泳の授業を生徒に受けさせる目的は、水中を泳ぐという技能を測るためである。
本問において、Xは肌の露出を最小限に控えるという戒律のある宗教を信仰していることから、水泳の授業を拒んでいる。
つまり水泳をするのに必要な格好が出来ないために、拒んでいるのであって、その嗜好や能力を理由とするものではない。
これは、Xについて、B教を信仰しない他の生徒と同様に水泳の授業を受けさせる目的とは異なる理由がある。
この場合、他の生徒と同様に水泳の授業を受けさせることは、Xの信仰を認めないことにひとしく、著しく合理性を欠くといえる。
3、
これに対して、学校側は、B教を信仰する生徒は、同校に4分の1もおり、他の信者は、水泳授業を受けている者もいるため、Xのみに代替措置を認めることは、他のB教徒との平等を害し、合理的区別とは言えないと反論する。
しかし、B教の戒律にどの程度従うかは、個々人の自由であるし、B教徒で水泳の授業を受けている生徒も、葛藤を抱えている。
このことから、XをB教徒として、合理的な区別をすべきであった。
また、学校側は、かかる代替措置を認めると、他の多くのB教徒である生徒も同様の措置を要求し、授業の成績評価に支障をきたす、と反論する。
しかし、前述のように、B教の生徒は、水泳の授業を拒む理由が、その嗜好や能力によるものではなく信仰によるものであるので、代替措置を講じることの方が、水泳の授業の成績評価をすることよりも重要であるといえる。
ゆえに、かかる点での、反論は認められない。
以上より、Xに代替措置を認めなかった学校側の対応は、Xの教育を受ける権利を侵害し、違憲である。(26条1項)

第2、Xに対する信教の自由の侵害について
1、
Xに水泳の授業についての代替措置を認めなかった点が、Xの信教の自由(20条)を侵害し違憲とならないか。
ここで、信教の自由も、その権利の性質上、外国人についても人権享有主体性が認められる。したがって、Xにも信教の自由が保障される。
2、
本問において、Xは、顔や手以外に肌を露出しないという戒律のB教を信仰しているところ、中学校の水泳の授業を受けることは、その戒律に反するとして、拒んでいる。
かかるXに、代替措置を講じず、その授業の欠席をもって保健体育の評定をつけた行為は、間接的に、Xの信教の自由を制約するといえる。
ここで、学校側は、評定は、あくまでXが水泳の授業を拒んだことによってつけたものであり、B教を信仰していたことに基づくものではないため、信教の自由の制約はない、と反論する。
しかし、Xの水泳の授業の拒否は、専らB教の戒律を理由とするものであったため、この拒否に代替措置を講じず、評定をつけることは、信教の自由への制約である、といえる。
3、
もっとも、信教の自由の制約も、必要最低限度に限り認められる。
そこでいかなる程度の制約が認められるか、その合憲性判定基準が問題となる。
ここで、信教の自由は、人格的生存に関わるものであり、人間の人生にとってとても重要である。また自己実現の価値をも有する重要な権利であり、容易に制約されてはならない。
この点についてはXについても同様である。
さらに、Xへの制約態様は水泳の代替措置を認めないことで県立高校進学に必要な評定を得られなくする、というものであり、これは強度のものであるといえる。
なぜなら、我が国において、ほとんどの子供が高校に進学するという現状に鑑みると、高校に進学しないことは、将来の就職等社会生活において、著しく支障を生ぜしめるものであることが容易に想像できるからである。
したがって、判断基準は厳格にすべきであり、①制約目的がやむにやまれぬ重要なものであり、②手段が、目的達成のため他により制限的でない選びうる方法がない場合に限り合憲である、とすべきである。
4、
本問において、代替措置を講じずに評定をつけた行為は、体育の技能を正確に評価しるものであるという点において一定の重要性を有するものの、それがやむにやまれぬ程であるとは言い難い①。
また、体育の技能を評価するためには、必ずしも水泳の技能が重要性が特段に高いとは言えない。少なくとも、水泳の技能が、体育全体の技能の半分以上を占めているとはいえない。
とすれば、水泳の授業を拒んだことを理由に5段階評価の2を付けることは、水泳の技能について過大評価しているといえる。また、Xは代替措置を受ける意思を有していたため、代替措置を設けることは可能であったといえる。
また、レポート等の代替措置と水泳以外の他の実技を組み合わせることによって、体育の技能を評価することはできたといえる。
したがって、より制限的でない他の選びうる方法があるといえ②、学校側の代替措置を認めずにした評価は、違憲である。
以上


行政法
第1、設問1
1、
Cは、本件取消訴訟1(行政事件訴訟法3条2項)について、処分の名宛人ではない。
このため、原告適格である、当該処分の取消しを求めるにつき、「法律上の利益を有する」者といえるか、問題となる。
「法律上の利益を有する」者とは、当該処分によって、法律上認められた権利利益を侵害され、又は侵害される恐れがある者をいう。
そして法律上認められた権利利益は、個々人の具体的権利を一般公益に吸収解消するにとどめず、個別的利益としてこれを保護する趣旨である場合に認められる。
これが存在するかどうかは、根拠規定の文言のみならず、当該法令の趣旨目的、及び当該処分において考慮されるべき利益の内容性質を考慮して決するべきである。(9条2項前段)そして、この判断にあたっては、同条2項の事項を勘案する。
2、
Aは、Cの景観を得る利益及び風致を維持される利益は、法によって個別的に保護されているとは言えない、と主張する。これについて以下検討する。
本問において、本件許可処分は、法6条1項に基づきなされている。
ここで、法が都市計画区域(1号)において、広告物等の表示について許可制としてのは良好な景観を形成し風致を維持し、公衆に対する危険を防止する点にある。
この規定のみでは、広告物等の近隣住民の利益について、一般公益に吸収解消させるにとどまるといえる。
そこで、法の要請を受けて(法9条)許可基準を規定している規則別表を勘案する。
別表4には、良好な景観の形成、風致、交通の安全が明示されているに過ぎないが、別表5には、広告物等について具体的な大きさや、距離制限が、規定されている。
このことから、近隣住民の良好な景観等に関する利益を個別的に保障しているといえる。
また、現代で頻繁に見られる、派手な色彩や動きの速い動画の表示される広告物が、深夜にわたり表示されることにより安眠が害されると、日常生活するための健康を損なわれ、容易に回復することが困難である。このことから、本件許可処分が違法であることによって、Cに重大な損害が生じることになる。
また、かかる広告物による損害は広告物と居住地との距離が近くにつれて拡大するところ、Cの居住地は、本件申請地点の隣地であり、かかる損害を直接的に受けるといえる。
以上のことから、Cの、良好な生活環境を害されない権利は、法律上個別的利益として保護されるといえる。
よって、Cは以上の主張をすべきである。

第2、設問2
1、
Bは、本件基準1違反を理由としてなされた本件取消訴訟2において、基準1が、地下鉄の電車を除外していない点で、法律を受けた条例の趣旨に反して違反である、と主張する。
2、
ここで、条例は、前述のように法律の要請を受けて許可(法6条)の基準を定めているといえる。
したがって、かかる法及び条例の趣旨である、良好な景観を形成し風致を維持し、公衆に対する危険を防止の範囲を超えた制約は、条例に違反するといえる。
そして、条例に違反する場合には、法に違反するといえ、違法無効である。
基準1が、条例に違反するか、以下検討する。
3、
基準1は、広告物等について鉄道等までの距離を100メートル以上設けることとするものである。
この規定は、広告物等を、鉄道を利用する人が見ることを想定して、良好な景観の形成、風致を維持することから設けられている、といえる。
しかし、地上にある広告物について、地下鉄をはしる電車であれば、たとえ100メートル以内をはしっていても、その利用者は広告物を閲覧できない。
このことから、地下鉄については、基準1の規制から、除外すべきである。
にもかかわらず、これを除外していない点について、条例違反であるといえる。
4、
以上より、基準1は、条例の趣旨を超えた制約といえ、無効である。

以上


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