エンジニアのイベントへの登壇をどう評価に結びつけるか

エンジニアイベントに積極的に参加している人は、自分の活動を仕事としても評価されたいと思っている人がいるんじゃないか?と思う。とりわけその会社内においてイベントに参加している人たちは往々にしてマイノリティであることが多く、高い意識レベルの中で余計に頭の中でモヤモヤがあるんじゃないかと思う。

このことについてどう考えていくか?まだ固まってるわけじゃないけど、試しに世に問うてみる。

基本的な考え方

エンジニアのイベントへの参加は、ある種の趣味であるべきだと思う
テックリードなどのリードの取り方には種類がある
直接貢献と間接貢献を意識する

エンジニアのイベントへの参加は、ある種の趣味であるべきだと思う

なにかの活動を評価に結びつけるのであれば、成果について上司との握りが必要だ。時間の使い方を営利業務にどう結びつけるか?を最適にするために目標を設定して、上司と握って、達成して評価につなげる。普通の仕事における評価システムは大体そんなところで、マネジメントサイドが想定する成果を業績につなげるためにも計画として想定可能な成果を目標として設定せねば評価はしにくい。そうじゃないと、うまくいかなったことに対する評価ができないからね。「この期間、何も起きなかった」はWebの企業においては明確な退化なので、何が我々にとっての進化なのか?は定義して目標を設定しておかないと近い将来、普通に会社が死ぬ。

そう考えたときに単純に思うのが、エンジニアのイベントの参加について、成果をコミットし活動させてしまったら、それは本当に面白いのだろうか?と思う。せっかくの自主的な学びのモチベーションや友達を増やして個人のプレゼンスを増やす機会なのに、仕事になって成果を求められるのもなんだし、休日出勤として「でなくてはいけない」モードというのは結構辛いのではないか?なんなら風邪引いてイベントに不参加だったら評価不可能な状態を作ってしまっていいものか?それでは文字通りIT芸人になってしまわないか。

もちろん過去の他社の事例を見ると、自発的にイベントで登壇したものはエンジニアとしての評価とみなすという取り組みもあるようだ。個人的に思うのは、役割として一切定義せずに加点要素にするとしたら、それ以外の業績コミット型の人材との折り合いがつかない気はする。フローとしての活動にボーナスのように値段をつけてしまうこともできるが、ただのアルバイトみたいになってしまうので、それはそれでイマイチである。それであれば、イベントへの登壇やスタッフ参加は休日出勤扱いにするとか、旅費交通費の支給や、会社としてスポンサードしたりと同じくコミュニティへの貢献として盛り上げるなどの方がよいのではないだろうか。

エンジニアは休日に勉強すべきか?というお題は、この業界には常に付きまとう。これの答えは正解であり否でもある。そもそも趣味のように関心を持って情報を取り入れてる人に勉強という感覚はない。それはイベント登壇にも言えることで、何も無理して休日に仕事として勉強をする必要もないし、無理にイベントにも参加する必要はないと僕は思う。それに会社側も事業に必要な業務の学びの時間は、休日に勉強せずともちゃんと投資として取るので、そこに依存するつもりは更々ない。

とはいえ、空気のように情報を取り入れて、自分の技術として身につけていたり、その準備をしている人が瞬発力の面でも強いのは事実であり、それを否定しようが、ずるいだのルール違反だと叫んだところで、どうにもならない事実である。それに現時点で業務に必要にない技術に対する関心を広げ自分の幅を広げられるのも、イベントで情報交換をするメリットになる。

よくイベントに登壇する人が一番美味しい思いをするという話がある。イベントで人に情報をアウトプットするために、そのカテゴリの情報を言語化できるようにまとめる作業において、知識は強く定着し、結果としての技術力の向上に繋がる。

結局のところ、イベントに登壇したり、ブログを書いたりするのは、結果としての技術力にフィードバックされ、それが業績への貢献をもたらすことで間接的に業務に貢献することが期待できる。会社として必要になるのは、その結果としての技術力やアクティビティを事業成果につながるように結びつけ、如何に評価に結び付けられるか?をマネジメントすることだと思う。

テックリードなどのリードの取り方には種類がある

自分がいる会社にもテックリードが数人いるし、候補としたい人の特徴についても話し合うが、いろんな形があって良いというのが僕らの見解だ。

・イベントの登壇を主導し、会社の開発メンバーの意識を高める
・イベントの登壇を通じて、強い技術力やアイディアを世に知らしめるという手段を通じて社内のメンバーのロールモデルとなる
・社内の作業を通じて、技術的にメンバーを引っ張るし、業績に直接的にコミットする
・学会等への登壇や論文発表を通じて、アカデミックに技術成果を世に問う

なんにせよリードとはなんぞや?という部分が重要だ。リードというからには人を引っ張っていくことで、引っ張られた人たちの成長や意識を変容させることで業績や事業継続性にコミットするというのがリードたるやの部分。

人一人でできることには限りがあるということにどれだけ向き合えるかがおポイントである。プログラマの生産性の話で、ハイスキルな人とそうでない人の差が大きすぎるという話はよくあるが、その人じゃないと解決できない問題を解決するということは素敵なのだが、日常的にその人じゃないと解決できない問題がぽいぽい発生するビジネスもまたリスクが高いとも言える。属人性を廃したいとは一切思わないが、属人的すぎるのはよくない。

リードたる役割はハイスキルな人材を増やすのにどう貢献するか?などの文脈で評価可能な状態を作らねばならない。対象が社内外かは問わない。それが人を技術で引っ張るテックリードなどの役割になる。

マネジメントサイドとしては、どんな役割の人であっても、定常的に何かを守る責任と役割を設定し、それに対し、成果目標を握って実現していくという評価に必要な基本のフレームワーク構造に落とし込むことが重要である。

とはいえコミュ力なんてないし、というハイスキルな人も少なくなかろうが、ピープルマネージャがコミュ力を通じてメンバーを引っ張り業績への貢献を評価させるのに対して、テックリードはコミュ力を使ってもいいし、業界のプレゼンスを利用してもいいし、プロダクトや技術を武器にしても良い。別に饒舌に語れる必要はなく、高いバーの成果物を通じて背中を見せるという職人気質のような方法もあるだろう。

ただ一点、重要なことは、どんな大学教授による高尚な研究だって、再現可能な論文に落とし込まなければ世の中で評価されないのと同じで、イベントだろうが社内ドキュメントだろうが、アウトプットして部下や業界に周知し、理解され影響を与えることで初めて評価されることになる。イベント登壇を代表とされる個人の活動は、方法論として自分の成果や影響力をアピールする格好の手段とも言える。ネガティブに言い方を変えると、あくまでも現存する一手段でしかないと考えても良い。

直接貢献と間接貢献を意識する

業績に直接貢献して、結果として評価を上げるのが直接的な貢献。イベントを通じて作られるものは、社外問わずの意識高揚などの間接的な貢献と言えよう。

直接的な貢献を評価するのは比較的簡単である。実際に困っていることを、その人だからこそ解決できたというのであれば、それはわかりやすい。

それに対して間接的な貢献への評価は難しいが、回り回って直接的な評価につながっているところを評価することになるだろう。それが採用のされやすさや、技術ブランディングへの貢献、社内メンバーへの働きかけなど。多くはリード職などへの役割にインクルードされて評価されることになる。単純に登壇を何点などと積み上げるとかではなく、結果としてのその人がもたらせた周りへの影響を評価するし、それがリード職という職位において求められる要素の一つと言える。

ジュニア級のエンジニアを育てるのであれば、登壇を学びの機会と設定し、N回登壇したらこれぐらいの成長に繋げられるよね?などの目標は設定できるだろうが、すでに一定以上の評価を得ている人であれば、質に転換された業績への貢献が重要になってくる。

また言語のコミッタなど自社の技術の下支えする技術を担う人を雇う際にも、それそのものが直接収益を産まないものの、エコシステムを盛り上げて、特定技術の継続を実現し、事業安定性を確保するディフェンス的役割としてどう評価していくことが可能か?についても考えていく必要はある。こちらは大学の研究者のように活動に対する成果は求められる役割だとは思う。

さいごに

業績への貢献とは売上を上げるか、コストを下げるかのどちらかであるが、ここまで書いた通り、イベント登壇については評価経済を利用して誰かに影響を与えることができる役割に対する評価になるだろうだろうとは思う。つまり、テックリードを始めとする「そういう役割」を構成する一要素として存在するもので、ストックとして血肉になったこと対する市場価値的な評価ということになるだろう。当然、直接的な貢献によって事業貢献した方がわかりやすく評価は上げられるので、得られた技術力や技術的知見を元に大暴れしてもらうことが一番、望ましい姿ではある。

いずれにせよ思うのは、影響力を行使して周りに良い影響を与えるためには、「影響を受ける周りの人」が必要で、会社であれば採用で人を増やすという会社としての活動とセットになる。会社が成長しているからこそ可能になることもあるし、ピープルマネージャやHRによる採用活動の結果によってもたらされている機会と見ることも可能かもしれない。また、先行投資は費用対効果が見込めて初めて実現するので、いろんな人たちの活動の歯車が噛み合ってこそ実現できるという部分は、すべての人が広い視野でしたたかに思っておいても良いのだとは思う。







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