人間が受け身になっていく構図

昔いた会社に早く出社した時に、タイムカードが近かったので気がついたことがあって、数人しか出社してない時には、みんな「おはようございます」って言うのに対して、ざっくり10人を超えた頃から、そういう言葉は言わなくなっていく。むしろコソコソっと自分の席につくような感じで、これは一体なんなんだろうなって思ってたんだけど、仮説としては、「どっちがマジョリティか」で決まるんじゃないかな?なんてのを思ってみた。

自分の行為に対して、予測可能な反応や、それをやってもいいというエクスキューズが、人が少ないほど簡単に予測できて、人が増えてくるとそうでない方向に行く。

つまり、人数が少ない時ほど、挨拶することが自然だし、誰かが返してくれる期待もあるし、一方で、人数がたくさんいると、反応返ってくる可能性が低いし、なんならみんな席にいるのに恥ずかしいから、黙ってタイムカードを押して席につくほうが無難だし、と。

もちろんこれにはいくらでも反論があるし、人によるだろってのはあるんだけど、空気を読む動物としての群集心理として捉えていた時に、自分にとって、どっちが有利な行動か?ってのに人の数ってのがあるんじゃないかとは思っている。

つまりスタートアップ初期においては、人は「自分がやらないと話が進まない」ってことを誰しもが知ってるから、比較的、能動的に動く人が多く、人数が増えてくると、「自分じゃなくても誰かやってくれるよね」ってのがマジョリティになるから、その逆になるってこと。

この思想の便利なところは、これを組織のフェーズや人の資質にする必要はなくって、単純に「人が多いから」というのを問題とするのであれば、解決法は「人を減らせば良い」ということになる。つまり人一人が見る担当領域、スコープを狭くするってことで「その人しかいない」って状況を作ればよい(可能性がある)

一方で、どうしてもそれだと困る事象があって、全員で問題解決しなくてはいけない、もしくは、幅広く視野を身につけてほしいので、社員の積極性にゆだねて、誰かが拾ってほしいというお気持ちベースのタスクがある時に、これを均等に実現するのは骨が折れる。

そうすると、そこを積極的に携わっていることを表彰して活躍してる人を目立たせていくとか、わかりやすく評価されてることを可視化していくとか、そういうのが必要なんだなと。個人の人事評価が必ずしも可視化されているわけではない組織においては、意図的にそこをやっていかないといけないんだろうな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?