コミュ力を上げる必要性

あくまでも個人的な最近の課題感というか。

高校一年生の夏にネットワークに触れたのは、X68000という憧れのパソコンを購入して、夏休みに安いモデムを秋葉原で買ってきて、とあるパソコン通信ホストに接続したのがきっかけだ。パソコン通信ホストとは、XとかFacebookのごくごくスモールなものと思ってもらえば良い。

ちょうど、この記事を書いているような夏の真夜中にパソコンという鉄の箱からネットワークにつないで、最初に大人の人とチャットしたのが感動だった。相手は夜勤で監視業務などに従事している20代のお兄さん。なんで仕事中に電話回線を使えるのかはよくわからなかったが、そんな人、他にもいた記憶があるので、ガバナンス的にも牧歌的な時代だったのだろう。

高校に入学して、あまりにも平和な進学校の風景に必ずしも満足していなくて、ぶっちゃけ物足りなかった。その影響もあってか、中学時代の友達と朝4時からのアルバイトをしてお小遣いを稼いでいたのは、精神的にも時間的にも暇だったからに他ならない。

そこを埋めてくれたのがパソコン通信だった。初めてチャットした日は、あまりにも感動して、朝のバイトをすっぽかした。友達が迎えに来てくれて、窓に石を投げて呼んでくれるのを、寝たふりをした。まだ携帯電話なんて持てない時代、そこからネットワークにハマっていくことになる。

まだ時代は16ビットパソコンの時代、Macはあったけど、Windowsはまだない。Macは車で言うフェラーリみたいな存在で、Macを持ってる人は、東大に通う塾の先生の家で、研究用に数学の数式モデリングをするような世界でしか実物を見たことがない時代

まだまだパソコンの進化、ネットワークの進化に夢があった。

その後、インターネットの進化と共に、パソコンが進化して、それを縮小化したiPhoneが出てきて、パソコン通信ネットワークだったものは、インターネットに進化し、LINEやX、Facebookになった。

パソコンが趣味、インターネットが趣味と言っていたものは、ただの日常に埋没し、もう、これからはAIの時代。主役は人間ではなくなり、AIが人間を支えていく時代に変わっていく。VRやARは、今のところデバイスで無理をしていて、まだ興味は全然持てない。
Web3も無理くりに経済を作る世界に見えて、あんまり興味を持てない。Work to Earnは一瞬素敵だったがポンジスキームを超えられないで止まった。そこには人間性が伴ってないから、なのか。ポンジになるってことは人間のエンパワーメントよりも経済性の方が優先されているってことだから。

・・・否、もしかしたら内気なオタクでは楽しめない世界になってるだけなのかもしれない。

新しいものは否定はしてはいけないので、VR/AR、Web3を進化させていきたいと思ってる人たちには、あっと言わせる変化を期待しています。

話は昔に戻る…

ブログを書いていた頃は、ブロガーという個人のアイデンティティに支えられた世界があった。それまで流行っていた2chは、匿名の世界に身を委ねられる楽園だったが、僕がアクセスしていた板ではスレが更新されるたびに、僕と違う人生観で同じような言説が無限ループする世界には、僕の考え方とはあわなかった。だから、自分の名前で発言をして、RSSやアグリゲーションサービス等で他人との接続性を兼ね備えたブログシステムにハマった。

今は、SNSが人々の可処分時間を取っている。個人の発言はタイムラインの素材の一つとして扱われる。タイムラインはコンテンツリコメンドとして生成される。コンテンツリコメンドとしての表示ロジックは、「他の人が賛同しているか」、つまり一定期間の良いねやコメントに対してタイムラインに浮上していくロジックだと思われる。キャッチなーコメント、多くの人に共感されるコメントが上がってくる。これが残酷にもリアルタイムに計算され、優先順位が設定される。

その結果、僕のタイムラインには、しょうもない書き込みだが、多くの人が反応しているアンケートみたいな、、低いレベルだからこそたくさんの共感を得るようなツイートがかなり目立つ。そして、その言葉が思いつく人は賢いなと思っている。僕には到底、並べることが無理な言葉を紡いでいる。同時に、全然楽しくないimp稼ぎ前提のテクニカルなコミュニケーションの世界だなとも思っている。

自分の考え方が変わってるとは思わないけど、一般的なコミュニケーション能力を兼ね備えているとも思っていない自分にとっては辛い世界だ。どちらかというと、自分独自の視点で、数少ない誰かに興味を持ってもらって、異論反論をもらうことも含めて、比較的狭い世界で議論するのが楽しいタイプなので、マス的な共感で持って露出が決まるAIタイムラインの世界には馴染まない。炎上もするタイプじゃないので、自分の意図から逸れた広がりも得られない。かつてのイケハヤ氏とか、フォロワーが増えるとアンチが増えると言っていたが、自分はアンチすら増えないし、あまり多くのアンチを増やさない行動をしてしまうタイプかもしれない。

はてなブックマークで言うと、100人ぐらいに共感してもらえるのが自分にとっては心地よい世界で、1000以上を叩き出す言説を書くような文章作成能力はない。今のリコメンドタイムラインでは確実に書き込みが埋もれてしまう。Xには事情があってフォロワー数だけがたくさんいるが、その数は昔から全く活かせてない。

ただ、だからと言って今を批判するだけでは、今後の世界に適応できないので、適応したい、改善したいと思っている自分がいる。

一つは自分の世界で新しいネットワークを作れないか?というエンジニア的な野望。もう一つは、コミュ力を上げて人並みに他人と仲良くなって、その時間を楽しめるスキルを身につけること。前者は、いろんな意味でハードルが高く、後者は主観的な世界だ。

望むコミュニケーション能力は、簡単に言えば、「僕の人となりを知らない人に対峙した時に、すばやく相互理解をし、共感を得る能力」とも言える。いわゆるラポール(信頼関係)を形成した後に、人と仲良くなることはできてるような気がしているが、その過程における入口でのコミュニケーションスキルが決定的に不足している。

プロダクトを作る人は、コミュ力がないから名刺としてのプロダクトを作るんだという話があって、そういう意味では、昔のえふしんというブロガーの名前、モバツイの作者という名前、今、一番ウケが良いのはXのフォロワー数であるし、BASEという社名だろう。ここまではなんかうまく行ってる気がする。だから会社での立場が生きるコンフォートゾーンの中では、足りないコミュ力を周りの認知が補ってくれる。

しかし、いずれやってくる自分の肩書や職業がなくなる時代に対する準備をしていかないといけないということかもしれないし、更に、そこから新しい世界を生み出す基礎力をつけることに繋がるかもしれない。そこに向けた自分自身の能力開発の必要性を感じている。

ちなみにぶっちゃけ一番困ってるのは、文字列として人の名前を覚えられないことなんだけどね…接客業や営業の人で、一回会っただけなのに名前を出してくれる人をマジで尊敬する。相手に関心がないわけではないつもりなのだが、まずはそこからだという話なんだが。ただでさえ単語が出てこなくなる年齢なのに。

ちなみに言い訳させてもらうと、覚えてないんじゃなくて、目の前の状況に釣られて脳のシナプスが繋がらなくて出てこないって感じなんですよね。あとで思い出すことはできるので忘れてはいないという自信はある。ただその記憶を活かせてないだけ。それだけに苦しい。それって結局、頭が悪いって話だから。ましてお酒を飲んだ時の脳の回転能力の低下は顕著になった。そのうちVRメガネで、相手の公開プロフィールがリアルタイムに確認できる世界になることを期待してるが、まだ早い。

50歳になってこんな基本的なところに解決すべき課題が返ってくるとは。いやはや。でもなんか子供の頃からやってることが変わらない気がする。よりプリミティブな課題に取り組んでるという感じか。自分は技術の人じゃないんだなってつくづく思う。


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