Twitterを初めて14年目に入るらしい

Twitterをはじめたのが2007年4月、2020年に入ると14年目ということになるのかな。14年もツイートしてるなんて笑える

そもそもTwitterは、昔ながらのパソコン通信の代替のような空気感だった。高校1年生の夏休みに初めてパソコン通信でとあるサイトにアクセスして、鉄の箱から大人とチャットできたことに感動し、夏休みに渡って10万円もの電話代を使ってしまい、のちの言葉で言う「パケ死」した。その後、お金を稼げる大学生になるまでパソコン通信を封印し、大学から復帰して学生生活のたくさんの時間をネットワークと共に過ごし、その後、就職してからインターネット時代で2chやメーリス、その後のブログなどとパラダイムシフトするまで毎日アクセスしていた。

そのような経験の下地があるので、空気のように毎日Twitterにアクセスし続けることは他愛のないことである。問題はそれがTwitterであり続けたことが素晴らしい。自著にも書いたが、ツイッターは始まった頃から誰もが代替手段に対する危機感を語りたくなる不思議なサービスだった。その後、日本でもFacebookが主流になり、インスタがでてきたりYoutubeがコミュニケーションの文脈においても本格化したりTikTokが出てきたが、なんだかんだ人々はTwitterに帰ってくる。そんな不思議なサービスである。

僕自身は生活の変化に伴い、最近、自分よりも明らかに若い若年層のコミュニケーションもちょいちょい増えているのだが、彼ら彼女らがTwitterを使い続けていることが大きい。ネットワークが維持可能な条件に、人の流動性が存在することが挙げられるが、分散型コミュニケーションであるTwitterにおいては、自分自身のソーシャルグラフに流動性があるか否かで、その人自身のネットワークがタコツボ化するか否かが決まる。もちろん内輪的なネットワークが快適な人もいれば、流動性がないと飽きてしまう人など、趣味趣向はさまざまなのだが、僕自身は流動性がないと飽きてしまう派なので、現在の状況は悪くない。

そもそもなんでTwitterがスマホ時代に使われ続けるのだろうか?というとスマホデバイスにとってのリアルタイム情報の検索サービスであることと、ひとことコメントを気兼ねなく発信しやすい手段だからということになるだろう。つまりスマホに限りなく密結合していることがスマホネイティブの座を取り続けるということになる。これが個人のやりとりであればLINEだし、写真であればインスタだが、テキストコミュニケーションは偉大なので、そこをTwitterがキープし続けているということになる。

まぁ特にオチはないのだが、2019年の振り返りなどを考えていて、そういえばTwitterずっとやってるし、モバツイも言ってみればTwitter応援団としてのサービスだったわけだし、今も気になって仕方ないよなぁと思って、なんとなく書いてみた。あわよくば末永くTwitterも変化をしながらもTwitterらしくあり続けてほしいと思う今日このごろです。2020年もよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?