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合法的に他人にお金をあげる

いわゆる夜のお店で売られているシャンパンというのがある。お店の仕入れ値は1000円ぐらいのものから数万円と高額ではあるが、店頭価格はバーやクラブなどで3倍ぐらいが比較的ミニマムの設定となる。ホストクラブだと10倍程度の価格設定になるそうだ。さらにそういうお店はサービス料なるものが20%〜50%程度乗るので、結果として750mlのボトルが数万円となり、1ml単価を考えるのは無駄。それそのもののに対してコスパなんて概念は一切ない。

さらに、そういう飲み物を当人たちが本当に飲みたいのか?というと実際のところそうでもない。そもそもひたすらシャンパンを飲むと酔うし、気持ち悪くなる。ブーブと呼ばれる決して安くないがその世界では手軽とみなされるカローラのような位置づけの高級シャンパンがあるが、キャバ嬢からはゲ○の味などと評され、それはただ単にひたすら飲まされた嫌な思い出があるだけだろとブーブが不憫でならないのだが、結局、そんなことまでして飲まされている意味はなにかというと、お客からお店の人に贈与税を支払うことなくお金をあげる手段だと考える。

この合法的にお金をあげるという行為は誕生日にシャンパンを開ける、お店がオープンしたらシャンパンを入れて現金で支払えば資金繰りの支援もできる。口説きたい相手がいたら関心を得るために貢ぐなど、さまざまな用途で使われる。

なんなら税制も後押ししていて、未上場の中小企業の社長とかだと年間一定額まで経費で落とすことができるようなので、節税の手段としても使える。その意味がわからないかもしれないが、税務署もお金持ちからの富の再分配の手段として見ているのではないかと思う。やりすぎはダメだが一定額までは許されるのは、それによって救われる人がいるからだと思う。

あと余談的に追記しておきますが、この文章に所得税とか消費税の話は当たり前に払うものとして省略していますので、脱税スキームみたいなことが論点ではありませんのであしからず。

最近、話題になってる某会社の人が一晩で1億円使ったとかで話題になってて、それがたまたまYoutubeで密着されているキャバ嬢だったりして、若干の炎上モードに入ってるようだが、インフルエンサーであるキャバ嬢のインスタにタグ付けして登場することで、フォロワーが増え、目立つことで新たなクライアントが増えるのか、そういう行為そのものが広告宣伝としてワークしているようだ。

類するものでオンラインにおいてもライブ配信などで送るデジタルアイテムがシャンパンの代わりにお金をあげる手段として存在している。これもシャンパンみたいなものだ。キャバ嬢がライブ配信にシフトして稼いでるという話を聞いたことがあるが、本質的に似たような概念なので得意技を生かしたということだと思う。スパチャを送ることでひろゆき氏やDaigo氏に質問を取り上げられるという行為も、その中に含まれる。

それぞれの特徴は「コミュニティの中で優位に立つための行為」だということ。おそらくWeb3におけるNFTも汎用的なお金をあげる手段としてワークさせることが成功したら、その価値が認められていくだろう。

NFTも今は単品の画像の売買だけがクローズアップされ、画像の価値そのものに疑いの目が向けられているが、それは実際のところシャンパンも同じで、それ自体は謎に金額が高い炭酸入のワインでしかない。美味しいのかもしれないが原価に比べて3倍から10倍にレバレッジして、さらにサービス料がついた金額は明らかに高いわけだが、何故、そういう取引が成立するのか?を考えることは大切。

同じくNFTの真正性などは適切にお金を支払う手段として成立していればいいので、それ自体の価値を語るのは正直言って無意味だと思っている。大切なのはそこではなくて、特定のコミュニティの中で、この合法的にお金をあげる手段から便益としてのベネフィットが生まれお金の流れが生まれれば、それで勝ちなのだ。

Web3のプレーヤーの人たちがやることは、承認欲求を生み出し、その解決の手段としてお金の流通を生み出し、なおかつ、その金額がレバレッジ可能なコミュニティをUXとして成立させることが仕事である。

昔のインターネットは嫌儲や原価厨などと言った、いかに安く合理的に済ませることが頭のいい人の論調であったので、こういう概念を理解するのが根本的に苦手な人が多い。一方で、少し前のイケハヤ氏もそうだし、VALUのような謎のサービスもあったし、岡田斗司夫氏の評価経済社会など、その価値そのものが謎にレバレッジしていくのは人の欲や感情に根ざして存在している。それそのものの感情の基盤が、承認欲求、人の寂しさや不安に基づく。それを虚しい行為であるとか、アホだなぁと思う頭のいい人も沢山いると思うが、実際、この世でワークしていることは認めていくしかないだろう。

言い換えるとNFTで示されるデジタルコンテンツにそれほどの価値がそれほどなくても、コミュニティを通じてお金をあげる価値を生みだしていくことがWeb3の一つの魅力なのだと思っている。別にそれそのものが分散環境でワークする必要はないような気もしつつ、デジタルウォレットを中心に汎用的な手段で富の再分配が行われるプラットフォームが生まれてくれば、新しい取り組みのコストは下がる。それを下地として特定の才能のある人たちが報われる世界が一つでも生まれるのであれば、それは確かに価値のあるものであるかもしれない。



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