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リモートワークにおける評価の難しさ

新型コロナが今よりも不安でいっぱいだった頃と比べ、僕たちの認識がアップグレードされた2022年は、コロナもなくなるようでなくならず、ワクチン接種で弱毒化扱いされても、一回感染すると10日は外出をロックされるというタチの悪い状況だ。今は、会社でのやりとりも、僕が教えている大学院の授業もこんな感じになっている。

・会社や学校には来ても来なくても良い

自分も含めたスタッフや学生の立場での視点に変えると

・必要があればオフィスや校舎に行くし、そうでなければ行かなくて良い

というモードに切り替わった。改めてこうなってみると、会社に行くとか学校に行くという行為が、 誰かから求められる から、自主的に機会を選択する ものとして認識されるようになる。

ここ数年で、求められた作業を求められるがままに行うことおいて、わざわざオフィスに行かなくてはいけないということはそんなにないことがわかった。というか、それが実現したのはzoomとslackなどの技術革新だ。

とくにzoomは、スムーズなネットワーク接続、遅延の少ない映像付きの会話を実現することで、人間の意思の交換がネット上でやりやすくなった。この技術的進化によって、リモートでもイライラせず、喧嘩にならずに議論ができる。zoomがなかったら新型コロナのリモートワークはもっと地獄になっていたハズだ。

大学院の授業なんてのも余計にそうだ。手を動かして作業をするならともかく、座学で話を聞くだけなら家から勉強できるので、わざわざ校舎に行く必要はないと考えるのが自然。

その判断は何も問題がない。

今回の話は技術は進化したもの、ボトルネックや問題は人間の認識力にあるというのが主題であるのだが、

そろそろ僕の授業パートも終盤で、成績評価を考える時期になってきたのだが、おっと、シラバスに書いてある評価項目に「授業中の発言や質問」というのがあるのだが、よくよく考えると、いくつかあったzoomのチャットでは質問は誰が発言したのかわからない。本当はわからなくもないのだけど、ちゃんと誰かを認識するほどの人間関係が作れてないことに気がつく。

やっぱり対面の授業の方が顔と発言が紐付いて記憶に残ってるし、会話の内容も増えるので、過去の学生の将来何をしたいのか?みたいなのは今でも覚えてる部分がある。

どうしてもリモートワークというかzoom越しだと誰が誰だかという印象は残らない。言うて、どんな顔であっても画像と音声の組み合わせという記憶しかないので画像を覚え続けるほど記憶力はないから、結局、忘れてしまう。

僕の授業は最終課題というのがあって、最終課題を提出さえすれば一定の点数が付与されるので授業をちゃんと出ていれば単位は取れるし、そんなに悪くない成績はつく。ただSという成績を取りたいのであれば、ちゃんとプレゼンテーションをしてほしいし、僕とのコラボレーションを他の学生の学びのために使ってほしい。つまり最終課題においては受け身の授業ではなくて、Sクラスの成績が取れる人材であれば、自らが同級生のリードの役割を授業の質を上げてほしい。そのことについて評価をしたい。

なんのために学校に行くのか、なんのために仕事をするのか、という事象には複数の価値観があると最近思うようになった。

その言語化って難しいのだが、差異をあえて表現すると、

・その機会を最小の手数でこなすのか
・その機会を最大化して楽しむのか

おおざっぱに言うとこんな感じか。評価者サイドの目線だとわかりやすいので、誤解を恐れずに書くと、、、

その機会を最小の手数でこなすのかの例で言うと、
・授業で質問や発言などはなく、聞くこと
・最終プレゼンテーションでも発言をしない
・チームメンバーや上司と会話しないで仕事を済ませる
・zoom等で顔出ししない(チームmtgは司会だけが行うmtgではない)
・slack等で発言せず、周りから存在が見えない
・言われたことだけを淡々とこなして、周囲をリードしたりはしない

などが挙げられる。いや、そんなの先生や上司がリードするのが仕事では?という意見もあるだろう。まぁそれもわかるし、受け止める。ただ、小学校や中学校ではないので人間性の育成まで役割は持ってないし、大人としては自分が情報発信してナンボだし、ましてインターネットの産業に携わる者であれば、ネットには情報をアウトプットしなければ存在が見えないことぐらいはわかって当然だから、リモートワーク上でROMみたいな立場では評価されにくいことは先読みしてほしいという気持ちもある。

双方の主体的なコラボレーションこそが重要だと考えれば、それができている人の方が高い評価を得られることは理解してほしいし、そういう人の方が新たなチャンスも得られて、結果給料が上がったり、大きな裁量や責任を得られる(大人なんで本人が望むならね。選択肢が広がるってことです)

その上で、唯一、上記が満たされてなくても評価される人は、

・圧倒的な成果(アウトプット)を上げる人

です。それであれば、それ以外では消極的でも、周りが認めざるを得ない。レアな寡黙な職人キャラと言う芸風はありだが、そんな人は一社に数人ぐらいしかおらず、多くの人はそれほどの力は兼ね備えていないので、レアキャラだと考えるのが良いと思う。パトレイバーにおける榊班長やシゲさんがそういうキャラかもしれないが、二人とも変人キャラとして描かれ、それ以外のメンバーは概ね普通の人として描かれている。そもそも二人はリーダー職についてますけどね。

こんなことを書いていると、評価されるために仕事をしているんじゃない、とか、上司に媚びへつらうために出社するなどの必要があるんですか?などの反論を持つ人もいるだろう。それもわかる。わかるんだが、上司や先生も人間なのでミスもします。ちゃんと見てないと、記憶に残ってないと、評価できないので、そのチャンスを逃すとわからないんですよ。

それは結果として、授業のクオリティや業績が伸びずに成果が出なくなって責任を取るのは上司や先生なので、それら全ては組織の能力なのだと思うのですが、その発覚には時間がかかるし、なんならわからない。それに、それを盾に、個々人が評価されないで、自分自身が機会損失をして給料が上がらない状況を作るのは勿体ないと思うし、仮にスキルの高い職人肌の人がいれば、それはアウトプットを起点として評価されるし、Webサービスを作った非モテ経営者とかはアウトプットが評価につながることを知ってますからね、結局の所、そこまでは力がない人が、リアルタイムの人間力を使ってどう戦うのか?という話をしてるんだと言う自覚はあります。そのためにも

その機会を最大化して楽しめる人が評価される

という状況で、どううまく立ち回るかを考えて、良い成績を上げるであるとか、高い給料をもらうようになるってのは、できた方が良いんじゃないかなぁと、一社会人のオッサンの老婆心としては思うわけでして。新型コロナで自己裁量の幅が強制的に広がったがゆえに、リモートワークの使い方は、会社や学校が教えてくれるものではなく、自分次第の判断に任せられて、まさに今、そのベストプラクティスを作っているのだと思います。

その結果、10年後に後悔したり、頑張ってるつもりなのに、自分が評価されていないことを他人のせいにするようなオジサンにならないように、みんな、うまくやってほしいなとバブル後に就職した就職氷河期の入り口世代の会社員経験者としては思うわけです。


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