雑談:Re:Re: Web3というテロリズム

僕の書いた記事に反応いただいた。ありがとうございます。

https://kumagi.hatenablog.com/entry/re-web3-terrorism

昔、blogでwikiについての書き込みをしたら怒られて、でも、その後でWebSigというコミュニティに誘っていただいた時のことを思い出して、こういう感じ懐かしいです。今と昔で違うのはトラックバックがなくなってるのが悔やまれる。hatenablogとnoteの間でなら、とか、特定のフォロー関係があれば信頼関係取れるからトラバが送れるとかプロトコルとか作ればいいのに。

昨今、SNSの力が強大化した結果、レピュテーションリスクがリアル仕事にも影響でかねないので不確かなことが言いにくくなってる昨今、最後の一行に本音が現れてることは十分噛み締めつつも、紳士的な批評で勉強になり大変助かります。

前の記事に対する技術的不確かさについて、指摘の内容について誰かにお伝えしないといけないとしたら、僕の記事を読んで認識が誤解されてしまうことだろうから、後ほど元記事にリンクを貼らせていただきます。

で、この記事は言い訳というか、なんでそんな記事を書いたの?ってところだけに返信をさせてもらいたいと思っていますが、個人の趣味というか、お気持ちの話でしかないので、あんまり有意義な記事ではないです。ただの雑談ですね。

そもそもこういう事を言っていたので寒いポジショントークとは一線を画した冷静な観点を期待していたが、蓋を開けるとえふしんさんすらも判で押したようなポジショントークを重ねており正直失望したというのが正直なところである。

実は前の記事を書いた後で、Web3にコミットしてる方のお話をお伺いする機会をいただいて、いろいろ話を聞いてきた。その会を誘ってくれた友達は欠員補充という形で呼んでくれたのだが、それは僕が前回の記事で、Web3に関心があることを表明していたからだと思う。

Webで自分の認識をアウトプットするというのは、無知を晒すことでのレピュテーションリスクはあれど、ラッキーもある。ネットにはその日付のstaticな記事として無知を晒してしまうが、リアルな自分は昨日の今日は違うし、リアルで信頼してくれる人たちがいれば挽回の機会もある。こうやって返信すること恥ずかしい思いをすること自身が僕の成長を支えてきたのだが、今の立場で恥ずかしい思いをできるのは、本業に直接関係ないのと、Web3がまだ新しく存在価値がfixしてないからに他ならないと思ってるので、このタイミングは、ある意味ラッキーなのです。

ただ、それで勘違いされてしまう人を増やすのは本意ではないので、元記事の方はどうにかします。

話は戻って、実際に話をお伺いする機会から得たものとして、Web3の現状認識としては、玉石混交であり、成功するには成立要素が足りないと思っているし、一回二回はバブルめいたものが弾けるという認識を持っていることはよくわかりました。そして、確かにWeb2.0で実現できなかったものというのがあって、多分、僕たちが資本市場において諦めてきたもの、大人になってしまったもの、それを挽回するチャンスはありそうな気がしてきました。別に資本主義が変わるとは全く思ってませんが、新しい資本の再分配のフレームワークにはなる可能性があるし、既存の上場企業では選択できない資本配分になるので、参入障壁にはなりうるのだとは思います。もちろんその分、時価総額、市場規模が大きくならなければリスクテイクする起業家のお得感が低いので、その辺が壁になることもわかっています。

その上で新しい概念を信じるのか、推し進めるのか、時が来るまで様子を見るのか、という選択をするのは人それぞれだと思っています。

一方で、僕の視野では全くわからないこととしては、海の向こう側のWeb3の熱狂度である。多分、これが可能性について関心を持つ意味の全てだと思う。

基本的には失敗した数の分だけ、進化が生まれる可能性があり、お金と若者のやりがいがなくならなければ、その技術は進化するという認識を持っています。その試行可能なトライの回数が日本とアメリカでは全く違っているようで、いつも気がついたらアメリカが成功のきっかけを生み出すのだが、ただその一点だけで、現在進行系におけるWeb3がどうなるのかは全くわからないし、インターネット自体がそういう歴史だったのではないだろうか。

TCP/IPなんてクソ、インターネットはおもちゃって言っていたネットワークの専門家は多々いたはずですが、Web3においては、それとこれが比較可能か否かというのを、反論いただいた記事を改めてゆっくり読ませていただいて、汲み取りたいと思っています。

それはさておき、GoogleがYoutubeを買収した時には、テレビの代わりになるだろうか?という印象はなかった。そもそもアップロード可能な動画は10分だし、Flashのcodecでは画質は悪いし、 lighthttpdを大量に並べてhttpで配信する構成で、当時はストリーミング技術を無視して無理くり実現している世界だったと記憶してる。YoutubeはGoogleの手助けを借りて、著作権を前提としたコンテンツ配信のありかたを変えていくわけだが、そうは言っても、確か有名歌手のライブ配信にAkamaiに手助けを借りていたハズで、到底テレビの代わりになるだなんて思えなかった。

しかし、今ではどういう配信サーバの構成なのかはちっともわからないが、何万人もの同時視聴をライブ配信で実現しているし、同様にAppleもWWDCを世界中にライブ配信することで、次の日の朝から新製品の予約に熱狂している僕らという存在がいて、向上した動画配信技術が行動変容を促しお金の流れを生んでいるのは間違いない。

技術的な学びとしては、2000年代前半で流行っていたRTSPなどのストリーミング技術が本当に使われるようになったのは、一旦、Flash Streaming(HTTP)を使った軽量配信技術を活用したYoutubeで人々の動画配信に対する認識をアップデートし、コンテンツホルダーには、無理やり著作権の運用の仕方を変えさせ、当人達は配信スケーラビリティを解決しながら、インフラにおいてもネットワークがブロードバンドや4G等でアップデートされた先にある世界だったってこと。基礎となるストリーミングプロトコルの考え方は、たぶん今も変わってないと思いますが、特に国内で2000年頃にReal MediaやWindows Mediaに託しストリーミング技術や重量級DRM技術を活用し動画配信にチャレンジした大手企業の配信事業は軒並み消滅するわけです。

そして今では動画配信技術のビジネス活用のお株は、YoutubeやNetflixが持っていくわけです…

今、僕のFacebookのタイムラインには、Web3を推進してる人、それに向かって起業してる人、投資してる人、違う角度から見たい人、批判してる人、嫌がってる人というあらゆる人がいました。議員さんにNFTの話をさせたのはあなた方なのですか!みたいなのも見えてくるのか、と…。

でもって、僕の話なんですけどね、40代になってから、ようやく気がついたことなんですが、僕の仕事感として、自分自身にはあまり理念はなく、信じている人を信じたいという芸風で生きてきたというのがあります。故に、誰なら信じられるのか?期待を持てるのか?というのを見極めたいという気持ちで物事を見てるところがあります。言葉を返せば、自分が騙されてお金や時間を失わなければ、その内容自体は、案外どうでもいいと思ってるところがあります。

何故かと言うと、新しい世界は、明確にこういう技術があればできるというものではなく、ぶっちゃけ奇跡が支えます。成功要因はいつも後付け。だからこそ今、解決できてない問題を解決するための試行回数が多い方が強く、試行回数が積み上げられる状態であるかどうかが一番重要だと思っています。

Googleが成功したのは、最もインターネットの可能性を信じていた人たちだからという言葉を聞くことがありますが、ブロックチェーンによる革命自体は僕自身はよくわからないけど、信じている人がいるなら、それが信じられる言説なのか?というのを理解したいと思って書いています。

僕の書き方がWeb3に対して肯定的なポジショントークみたいに見えるとしたら、それは申し訳なくて、あの記事の段階では、肯定的な意見も否定的な意見も、変な言い方ですが誰も信じていないです。

でも、こないだ知人と直接話したら、それよりはもうちょっと信じられたかな。信じられるってのは荒唐無稽にバズワードに乗ってるわけじゃなくて、そういうトライをする妥当性があることに期待するって感じですね。

僕自身は今携わっている仕事でありプロダクトの強みが無効化されないように気をつけておくってのが一番の重要なことですかね。そして、それはない話ではないので、ちゃんと考えないとなってところですかね。何年先の世界かはともかくですが。

こういう風に書くと、すごい適当なやつだなって嫌われることも一度や二度でもないんですが。そう思われたらほんとすいません。

ちなみにトラストが指し示すものや意味がずれるってのは、他人の記事でもほんとによくある話で、僕も気をつけなきゃと思っているのですが、ホント、それはすいません。話が明確に間違ってるというのと、指し示す対象が間違ってるのはホント恥ずかしいのですが、それ以外の批判は、適当なやつだと思われるかもしれないのですが、そんなに違和感はないのです。

例えば、「トラストレスであることに夢を見るのはやめろ」って件に同意してるのはホントにPDF読んだの?って思われてた部分ですが、そういう前提条件がある上で、どうなるのかなぁというあたりは今の僕にはわからないので。

それこそYoutubeが初期のブレイクを見せた2005〜2006年の段階で、今の状態にあることは、2000年頃に動画ストリーミングの技術に端っこで携わっていた僕には全く予測できませんでしたって話なんですよね。でもGoogleは買収したわけですが、そのビジョンは残念ながら自分は持ち合わせてないことを認めざるを得ないわけです。Youtubeは間違いなく動画コンテンツ業界に対するテロだったと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?