今井遥インタビュー 滑る喜びを取り戻しました。

Absolute Skatingに掲載された今井遥さんのインタビューです。Absolute Skatingの元記事には今井さんの素晴らしい写真がたくさんあります。ぜひ、サイトを訪問してご覧になってください。

http://www.absoluteskating.com/index.php?cat=interviews&id=2020harukaimai

Absolute Skatingの許可を得て翻訳いたしました。


今井遥さんインタビュー

                     久利生亜津子

今井遥さんを覚えていますか? 全日本ジュニアチャンピオンで、冬季アジア大会の銀メダリストです。2010年と13年のオンドレイ・ネペラ杯優勝者であり、グランプリシリーズにも出場し、2014年の四大陸選手権では四位に入賞しています。今、彼女がどうしているかを知りたい人もいるでしょう。このインタビューをご覧になれば、わかります。遥さんがフィギュアスケート人生や引退後のことについて話して下さいました。

サンクスツアー
滑る喜びを取り戻しました。

Q: どういういきさつでこのショーに参加されることになったのですか? また今どんなお気持ちですか?
A: 去年の1月に浅田真央さんからショーに参加しないかとお誘いがありました。また、こんな風にスケートができるなんて、思いもしませんでした。最初はとても大変でした。思うように体が動きませんでしたから。でも、この素晴らしいショーに参加できたことで、私はまた滑る喜びを取り戻しました。

Q: このショーではどんな役割をしているのですか?
A: ソロパートが二か所あります。So Deep In The Nightと後半のタンゴの部分です。最初のはきれいな曲で、真央さんが試合に出ていたころに滑っていたのをよく覚えています。とても大好きな作品です。それとグループナンバーがあります。

Q: ほかの女子メンバーとくらべると、真央さんを除けば、実績の点でも知名度でも遥さんがだいぶ上だと思うのですが、どのような役割をしたらいいと考えていらっしゃいますか?
A: そうですね。正直言って、そういうことを考えたことがありません。私はこのツアーでは新しいメンバーで、私にとってはこれが一年目ですが、二*年目という人たちもいます。ですから、ほかの人達を引っ張って行こうと考えてはいません。実をいうと、真央さんからお話を頂いてから、最初の演技まで1か月しかなかったのです。グループナンバーや自分のソロパートの振り付けを覚えるだけでなく、他のメンバーとも動きを合わせなくてはいけませんでした。それに加えて、試合に出ていた時には使ったことがない小道具、ボールですとか、リボンですとか、そのほかの物の使い方もマスターしなくてはなりませんでした。ですから、そういう物に慣れなければならないし、グループナンバーでみんなと一緒に動くことも意識しなくてはいけませんでした。引っ張っていく役割なんて考える暇もありませんでした。
*インタビューした時点が1月

Q: サンクスツアーに参加して一番よかったことは何ですか?
A: 一番よかったこと…そうですね…私が引退を意識したころは、とてもつらかったのです。何もかもうまくいかなくて。練習したいと思っても、怪練習のし過ぎで怪我をしたりしていました。その頃にはスケートを楽しいと思えなくて、。滑りたいという強い気持ちが一時的になくなっていたんですね。でも、今このサンクスツアーに参加して、もう一度滑る喜びを感じられて、今は楽しいです。

Q: 真央さんや無良崇人さんとはどんな関係ですか?
A: もう10年以上も前から、お互いをよく知っていました。国際大会に何度か一緒にいったりして。すごくよく相手のことを知っているんです。お二人がいるおかげで、ツアーに参加することに何の不安もありませんでした。私が小学校の頃、真央さんにとても憧れていたので、もしタイムマシーンを持っていたらその時代に戻って、その頃の自分に今一緒にツアーに参加しているんだよと教えてあげたいです。どんなに喜ぶでしょうか。もちろん今の私もとてもうれしいです。

引退
ただ、もうそういう時期が来たのかなと…

Q: 引退についてですが、いつ決断されましたか?
A: 練習と怪我の繰り返しで悪循環に陥っても、試合は来ます。試合のために一生懸命練習したいと思っても、状況が許しませんでした。ジレンマに陥って、自分が若いころのようには滑れないという事実に苦しんでいました。その時24歳でしたから。だから、ただ、時期が来たのかなと思ったんです。

Q: 新潟が本拠地で、コーチと離れて練習していましたが、それも理由の一つですか?
A: 理由の一つではありました。でも、一番大きかったのは、若かったころのようにジャンプが飛べなくなったということだと思います。動きもどんどん悪くなっていくように感じていました。

Q: 引退した時には次に何をするか決めていましたか?
A: いいえ、全然。何にも考えていなくて、何をしたらいいのか、どこに行ったらいいのかと、引退した瞬間はぼんやり思っていました。

コーチとプロスケーターとしての生活
手一杯です
Q: 今は新潟で教えていらっしゃるんですか?
A: いいえ、東大和スケートセンターで教えています。スケートを始めたのがこのリンクでした。デトロイトに行っている間も、日本に戻るとここで練習していました。コーチの道上留美子先生がいらっしゃるということもあります。一番自分のリンクだと感じる場所です。

Q: コーチとスケーターとどのように時間を分けていらっしゃいますか? どうやって技術を保っているのでしょうか?
A: すごく難しいです。生徒を教えるのに時間をたっぷり使っていますが、同時に練習もたくさんする必要があります。ですから、コーチをする前後に練習しています。練習して教えて、練習して教えての繰り返しの毎日です。できる限り両立できるように頑張っていますが、練習時間を見つけるのは本当に難しいです。自分の体の手入れもしなくてはなりません。

Q: それはたいへんでしょうね。
A: ええ、もう手いっぱい。

Q; 生徒さんのことについて教えてください。
A: 一番上のレベルの生徒は三回転を跳べます。一番小さい子が小学四年生です。ベトナム人の女の子も教えています。一緒に練習できないとき、ベトナムに帰っているときとか、私がリンクにいないときは、オンラインで教えています。

Q: このツアーが終わったら、コーチに専念するおつもりですか?
A: はい、そのつもりです。自分が持っている生徒もいますし、他のコーチから頼まれて個人的にスピンやスケーティングの指導などもしていますから。


現役時代
最初はいとこと遊ぶためにリンクに行きました

Q: 9歳でスケートを始められたんですよね? フィギュアスケーターとしては少し遅いスタートではありませんか?
A: そうですね。9歳で始めました。ノービスの頃には全然目立つ生徒ではなくて、いつも地方大会の予選で落ちたりしていました。中学に行くまでは全然ダメでしたね。

Q: でも、中学二年生で全日本ジュニアチャンピオンになりましたよね。すごく進歩が速いと思うのですが?
A: そレは…、中学二年生で初めて全日本ジュニアに出場しました。その時は7位で、強化選手Bに選ばれました。チャンピオンになったのはその次の年です。すごく速く成功したように見えますが、その時はそんな風に感じていませんでした。9歳で始めた時には試合に出るなんて考えてもいなくて、ただ楽しもうと思っていました。最初の頃は、いとこと遊びたくてリンクに行っていました。でも、試合に出始めるとうまくなりたくて、もっと上達したいと思うようになりました。だから、だんだん練習の回数も増えてきて、ついには毎日リンクに行くようになりました。

Q; コーチから試合を目指すように言われませんでしたか?
A: 言われました。最初は全然ダメでしたが、諦めずに続けていたら、結果が出るようになりました。中学二年生ですべての三回転が飛べるようになり、強化選手にもなれました。そうなると中京大学のナショナルトレーニングセンターが使えるんです。そこに行けば、トップスケーターの皆さん、真央さんとか、安藤美姫ちゃんとか、他にもたくさん。そういうところで、その人たちを見ているだけでも多くのことを学べました。次の年に全日本ジュニアで優勝できたのは、そのおかげと思っています。

Q: スケートを始めたいという小さい子たちに何かアドバイスはありますか?
A: 早く始めれば、有利でしょう。早ければ早いほどいいと思います。でも、大きくなったからと言ってあきらめる必要はありません。スケートを楽しんでほしいと思います。

Q: 途中でデトロイトスケートクラブにいらっしゃいましたね? なぜですか?
A: 2011年の秋に行きました。その年の春に振付にそこに行ったんです。日本ではリンクは一つしかないのに、そのクラブには3つもリンクがありました。デトロイトでは一日中練習することができるので、私にとって、スケートをするには一番いいのではと思ったのです。

Q: そこで得たものは何ですか?
A: スケーティングスキルとスピンですね。ジュニアの頃はジャンプのことばかり考えていました。クリーンに飛べたらそれで十分だと思っていたのです。デトロイトでは、佐藤有香さんに習っていたのですが、スケーティングスキルやほかの要素の重要性を知りました。有香さんのおかげです。

Q: リンク状況のほかに教え方に違いはありましたか?
A: (アメリカでは)他に行ったことがないのでよくわからないのですが、デトロイトでは個人レッスンが多かったですね。日本ではグループレッスンが中心ですけれど。たぶん、コーチによるのだろうとは思いますが、有香さんはほとんどの場合1対1で教えてくださいました。

Q: とても集中して教えていただいたんですね?
A: そう思います。

Q: 多くの日本人スケーターがレッスンを受けに海外に行っています。それについては、いいことだと思いますか? それとも、日本でも十分に学べると思いますか?
A; 正直言って、リンクがたくさんあるとか、そのほかの状況を考えても、海外に行くほうがいいと思います。でも、日本でも十分学べることは確かです。

Q: 生徒さんが海外に行きたいと言ったらどうされますか?
A: もし行きたいと言われたら、喜んで送り出します。

コーチと振付師に着いて
なんてたくさんのコーチに着いたんでしょう!

Q: たくさんのコーチについていらっしゃいますね。このコーチから特にこういうことを学んだというのはありますか?
A: 最初のコーチは道家豊先生でした。このツアーでも滑っている林渚ちゃんのお父さんです。道家先生からはスケートの楽しさを学びました。もしほかのコーチだったら、たぶん1年もたたずにスケートを辞めていたと思います。次のコーチは杉浦幸恵せんせいで、私が全日本ジュニアチャンピオンになった時に教えてくださっていたコーチです。当時、私はいろんなリンクに行っていて、神宮や東伏見ばかりでなく、もっと遠く中京大学まで練習に行ったのですが、どこにいくにも一緒に来て教えてくださいました。あんな風に親身になってお世話をしていただかなかったら、全日本ジュニアのタイトルは取れなかったと思います。その後は長久保豊先生に教えていただくために中京大学のリンクに移りました。チームティーチングの形を取っていて、多くのコーチがそれぞれのエレメンツを細かく教えてくださいました。ちょうどジュニアからシニアに移る難しい時期で、そんな私を皆さんが支えてくださいました。それで、デトロイトに行って有香さんに習いました。まあ、なんてたくさんのコーチに習ってるんでしょうね。そこでは、さっきお話ししたようにスケーティングスキルとスピンを重点的にならいました。このころ、私が日本に帰っている間は、道上留美子先生が面倒を見てくださいました。それから、日本に戻って、道上留美子先生につきました。先生は私にとってはお母さんのような人で、試合のときでも一緒にいてくれるというだけで落ち着くことができました。

Q: たくさんのコーチに教わったんですね! 遥さんご自身はどんなコーチになりたいと思いますか?
A: 私はそれぞれのスケーターの願いや目標に沿って教えられるコーチになりたいです。もしスケートを楽しみたいのなら、スケートがどんなに楽しいかを教えたいと思います。トップレベルを目指すのなら、私以上のスケーターになれるよう一生懸命教えます。

Q: いろんな振付師の方にもついていますね。一番印象的だったのは誰ですか?
A: そうですね、選手生活の最後の年に、パスカーレ・カメレンゴさんとフィリップ・ミルズさんに振付をしていただきました。すごく面白かったのは、お二人が全然違うということでした。フィリップはすごく几帳面で、エレメンツや構成を、振付を始める前に全部書き出すんです。氷に乗った時には、ほとんど出来上がっていて、すぐ始められます。教え方がとても細かくて、音楽と動きがプログラムのどこでもぴったりと一致しているように滑ることを要求しました。対照的にパスカーレはすごく自由です。振付をするためにデトロイトに着いた時、まだ音楽も決まっていなかったんです。そこから二人で何の曲をやるか話し合いました。翌日はまだ編曲も出来上がっていないのに、「さあ、先に振付をやろう」っていうんです。ある日は「こうして」と言ったことが、翌日には変わることもあります。とても面白い体験でした。でも、驚くことに、どちらのプログラムも同じように素晴らしいものになったんです。

Q: オリンピックの金メダリストのナタリア・ベステミアノワとイゴール・ボブリンに振付をしてもらったこともありますね? どういういきさつで教えてもらうことになったんですか?
A: 合宿で会いました。実際には、最初から振り付けたというよりは、前にやったプログラムの手直しをしてもらったんです。韃靼人の踊りとメンデルスゾーンの無言歌集です。いつも二人で一緒に振付をして、フィリップともパスカーレとも全然違うやり方でした。二人はずっと話し合いをして、新しいアイデアを思いつくんです。二人とも知識が豊富でもとても芸術家肌でした。

遥さんからのメッセージ;
リクエストがあれば、喜んで教えに行きます。

Qフィギュアスケーターのセカンドキャリアについてどう思いますか?
A: とても難しい問題です。もし、スケートの知識や経験を活かしたいというなら、スケーターには三つの選択しかありません。一つはコーチになること、二つ目はプロスケーターになること、そして三つめは、日本スケート連盟で働くことです。でも簡単にどれもなれるわけではありません。セカンドキャリアについては現役時代から考え始める必要があると思います。

Q: 趣味として滑るアダルトスケーターの数が増え続けていますが、そういう人たちを教えるお気持ちはありますか?
A: はい、もちろん! もうすでに何人か教えています。私に教えてもらいたいというのなら、喜んでどこへでも教えに行きます。

Q: どうやってお願いしたらいいのですか?
A: 私のインスタグラム@haruka_imai_831)を見ていただければ、e-mailのアドレスがあると思います。

Q: 若いスケーターに何かアドバイスはありますか?
A: 最近の技術の進化は目覚ましいものがあります。女子でさえ四回転を跳びます。結果的にフィギュアスケーターとしての生命は短くなる傾向です。私は若いスケーターの皆さんには、怪我に気を付けて、長くスケートを楽しんでいただきたいと思っています。

Q: 最後の質問です: 遥さんの引退は割と突然だったので、何かファンにメッセージを頂けますか?
A: はい。皆さんには、ぜひショーを見に来ていただきたいと思います。皆さんに最高の演技を見ていただけるよう、一生懸命練習しています。皆さんに私の演技をもっとたくさんお見せできたら嬉しいです。インスタグラムにも皆さんと交流するために投稿するので、是非、見に来てください。皆さんに喜んでいただけるように頑張っていろいろやっていきたいと思っています。

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