議論

論理的な議論に向いているテーマ、向いていないテーマが存在する。

向いているテーマ

メリットやデメリットで語れるようなもの。

向いていないテーマ

言葉の定義の争いになるようなもの。
たとえば、「エンジニアはコミュニケーションが苦手であるか。」というテーマであれば、コミュニケーションとはどういった類のものを指すのか、といった言葉の定義の争いがまず始まるようなもの。

価値観
たとえば、「目玉焼きにかけるのは塩コショウか、ソースか」などといった、もはや理屈では語れないようなもの。

そもそもなぜ議論をするのか

なにか物事を決めるのに議論は本当に必要だろうか?
誰か一人がエイヤっと決めてしまってはいけないのだろうか?
議論というと、相手を打ち負かしたり、自分の意見を押し通せば”勝ち”だなどと思うかもしれないが、そうではない。
議論とは、論理的に最適な結論を導き出すために行うのである。
そこに勝ち負けはない。
相手の発言に十分な根拠はあるのか、論理的に破綻していないかを十分に吟味し、また自分の論じているものも吟味の対象である。
互いに吟味し、議論するとより良い結論に至ることができるかもしれない。

注意しなければならないのは、勝敗にこだわってしまうことである。
前提として、人間は感情を完全に切り離すことは出来ない。
論理的に打ち負かしたほうはスカッとして気持ちがいいのかもしれない、一方で自分自身が論理的に打ち負かされたとしたらどうだろう?
その人とまた議論したいと思えるだろうか?
もしも、その人が仕事を進める上でのキーマンだったとして、その人がその結論に納得行かないまま物事を推進したとして果たしてうまくいくのだろうか?
残念ながら、それは失敗に終わるだろう。キーマンにやる気がないからだ。物事を成すには、実行に移す人間が十分に熱量を持ち、いかに自分ごととして進められるかにかかっているのである。


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