彷徨えるプロデューサー 「忘年会挨拶」の巻

こんばんは。皆さまはじめまして。彷徨えるプロデューサーfruits0509です。2年くらい前、大好きな妻と離婚し、ほっぽり出されてから2回目の冬とクリスマスがやって来ました。
今の一人暮らし、孤軍奮闘物語は、全て自業自得の結果であると同時に、自分の未熟さをこれでもかという程見せつけてくる現実世界が、とてもリアルな夢にも思える今日この頃です。
何故?noteの扉を開いたか?それは私が文学少年崩れだからに他なりません。若い頃から正確な会話が苦手で、なんでも手紙に書いたりしないと100%届いた気がしない性分からでしょう。会話だけでは、きちんと言いたいように言えてないと思うことが多いのです。
特にこの時期、会社の忘年会の挨拶なんかでは、常に毎年言いたいことが言えない。1年過ごした仲間達と労い合い、あん時こうでね、なんてね、と、本音で話せる唯一の日に、莫大なボリュームの1年に対して、2分以内でまとめるなんてなかなか出来ない。

自分にとってはさらに、今年劇的な降板ごとがあったから。つい。本当の自分をさらけ出したくなって、辛かった気持ちを、そういうジャッジを下した当事者とも他の人とも共有したくなってしまう。決して慰めて欲しいわけでなく、自分の未熟さが引き起こした出来ごとだから。と反省して皆への詫びと。でもでもでもでも!その幕引きの強制的なやり方は、確実に人の心を引き裂くやり方です。それはパワハラです。もうこういうやり方でコントロールする昭和なやり方辞めませんか?というやり場ない心の叫び。

順番が回って来るまでに、言って良いこと、悪いことを考えながら、社会的な挨拶に頭を置き換える。

順番が回って来て、立ち上がるまでにはまだ、心の叫びは「忙しかった。何本も何代理店、クライアントも重なって心底辛かったんじゃー!」と、働き方改革を隠れ蓑に、リングへ白タオルの投げつける妄想が続く。

自分はこれまで、広告で、クライアントの為、代理店様の為、部の為、世の為、金の為、に中堅としては博打的行為しながらも先頭に立って、頑張ってきたつもりだったが、もうこれ以上は、心が折れて仕事を取って来れなさそうなこと、もっと若い世代が頑張らないとならん。って剥き出しにして伝えたくなる衝動も、全て空回りして、シュルシュルとその場、部に居させてもらうことの出来る幸せにストンと着席してしまった。

それは普段、毎日毎日あくせくとすれ違いで働く皆が、同じ時間に、昔の昭和の家族のように、飯を食う為だけに集まり、団欒しながらの食事をすることの尊さが自分の価値観の中の最上級を行ってしまう。そんな場を汚したくない。第2の家族と思える唯一の瞬間。神聖な苦労の歴史を辿っての唯一のオアシス。そして酔いが回る。

当然、自分の挨拶はうまくいかなかった。65%位、伝わる人には伝わったかなぁ。まあ、そんな自分のハートが100も伝わらなくてもビジネスは動く。心の問題は大事に共有しよう!って言ったって、自分が5年やらせて頂いたクライアントを降ろされても、会社は何も変わらないように、別の人がやったって平気に回る。それは割とものすごい落胆である。

自分1人このチームを辞めたってなんも変わらない。現実はいつもやや冷たい。角度なら斜め30度。温度ならマイナス5度近く、心象と現実に差が生まれている。

語らいあえる空間や人の温度は「自分ごと」なんか関係なく素敵な雰囲気だったから。きっとこの会社、チームは良い環境なんだと思う。

こんな時、人は自分の職業と環境を再考するのであろう。無論言うまでもない。悪いのは選択して継続して働いていながら悪態ついている自分である。しかし確実に、今僕の心は傷ついていて、3分の1異常なのである。

2018/12/16

最後までお付き合い下さりありがとうございます。また、どこか生身で会話出来たら面白いですね。良きご縁に感謝します!