小説「くじゃく」

【自分生誕41周年記念】

1998年5月。19歳から20歳になる誕生日に起こる小さな出来事を書いた小説「くじゃく」の原稿をアップします。拙すぎるけども、自分が詰まって愛おしい文章で、今や心の故郷。故・小川国夫先生は褒めてくれたというか、励まして下さいました。

あの頃、もっと人に見せたり、書くことに向き合っても良かったのかもしれないけど、若すぎて楽しすぎて原稿用紙だけになんて向かって居られなかった。

それでも、その後色々書いて、自分らしく働ける環境を探して、この作品ではない他の小説を持って、就職活動していく先々で何故か笑われてました。こっちは真剣なのにねぇ。

就職活動、心に残っている会社は3つ。

一つ目は、コピーライターとしての枠で最終面接まで行った大阪の会社。面接官の先輩が素敵だった。趣味は考えごとです。と、言うと喜びながら「ウチ向きだね」と言ってくれたが、その後失恋の話が長すぎたのか?不採用。

二つ目は、企画部としての枠で最終面接で、同世代3名ほどで社に呼ばれた京都の会社。最後は候補者皆んなで遊びながら、、、という話で会社に呼ばれたんだけど、集まってる時に裏から社長の怒号が。。。
「誰?こんな小説書く子呼んだの?この子企画力ないよ!」待合室で、皆で顔見合わせ小説を持って来ていたのは自分だけと知り、辛くてその後の時間が拷問の様で吐きそうだった。今なら、いやいやそれは一つの表現方法に過ぎないから、まだまだ他の考え方も出来ますとか、御社の為にアホな小説書くのなんて辞めます!とか、呼んでくれた担当者に食らいついて逆転狙う根性あっても良かったのに、とにかく周りに引けを感じて撃沈。何年後かホームページから連絡したりしたっけ。。。

最後3つ目は、今働いている(ていっても身売り前のだけど)会社。入社試験が面白くて、面接官も垢抜けたカッコいい爺ちゃんで、あぁ、こんな大人になりたい。と、思ったら、最終面接で、普段通りに落ち着いて話せた。背伸びしてたこともあるけど。。。入社決まった後、超期待新人と言われたのに、全然使えなくてボロカスに言われる日々。そりゃそうだメッキもメッキ。今迄映像には憧れてても、そのプロたる意味がわからなかったんだもん。今考えると一緒に働いて下さった書先輩方に頭が上がらない。恥ずかしい。紛いなりにも今まで首切らずよく続けさせてもらったものだ。ま、それなりに頑張ったんだけど。ホンマ皆さんごめんなさい。て感じ。でもしょうがないよね。

社会人になり20年目のシーズンを迎える今年。
今迄に無い重い5月病を患っている。

もう何もかもさらけ出して、他の誰でもない、自分の人生を生きる為に、自分が生まれた夜の10時17分に、
変な小説を記念投稿をします。

小説「くじゃく」1998年5月11日 筆
※画像なので読みにくいんお許し下さい。

最後までお付き合い下さりありがとうございます。また、どこか生身で会話出来たら面白いですね。良きご縁に感謝します!