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十二国記における半獣の社会的地位

だまこ様のツイートhttps://twitter.com/tamagodamaco/status/1277512056262914048?s=21を拝見して、十二国記における半獣に関して思うことがいくつか出てきたので、ここでちょっと吐き出してみます。

上記ツイートの特に

どうしてもあの世界観的に里木になった我が子が半獣だとわかった時、未来のことを思うと安易に喜べないんじゃないかと思ってしまって(子を思えば思うほど)

という部分がすごく重いし、親の観点からはまさしくだと思う。十二国記にあるこの半獣差別は常世の人はどの国であっても肌で感じているのではないかと思った・・・。

雁や奏など富んだ国であっても払拭できない差別というか・・・。潜在的に常世には存在しているのかも、と。楽俊が雁の大学で、書物を囓るといったような偏見を持たれていることを鳴賢が『書簡』でも指摘していたし(p.157)。

半獣にもよるかもしれないけれど、個人的には半獣のほうが身体的な能力的では人間よりも優れているのではないかと思うのだけれど・・・。桓魋は軍人で特にその能力が発揮されたりするけど、でも軍人でなくても通常の人より力が強くて逆に重宝されていてもいいのに、と思う。

いるかどうかはわからないけれど、馬とか豹の半獣とかがいれば、そういった半獣のほうが早く走れたり・・・。鳥系の半獣はいないのかな・・・?それこそ飛べたら伝書や軍では斥候で大いに重用されると思うのだけれど・・・。

半獣の子がかわいいと屈託なく言えるのと同様に、半獣の身体能力的な部分もその人(半獣)の個性として国民が受け入れれるかどうかが決まってくるのが、やっぱりその国の王のあり方なのかな・・・。でも、楽俊の例からも、必ずしもそうとは限らないようなので、半獣差別は根強いものなのか・・・。

麒麟と半獣と見た目による差別

半獣差別を考えていて、ふと思ったのが、麒麟も言ってみれば、「半獣」だな・・・と。麒麟は半獣ではなく神獣としての扱い。

それを考えていて、斡由の以下の言葉が思い出される・・・。

「ここに獣がいる。この獣は主人を自ら選び、主人以外には従わぬ。獣は妖力無辺の妖、しかも性向は温和で理を知る。――この獣の不可思議な習性を珍重した先人が、ありがたがって世の理に押し上げたとしても、私は驚きませんが」
『東の海神 西の滄海』136頁(新潮社版)

この視点をすでに小野先生が、斡由に作品中で言わせていたのもすごいと思う・・・。『黄昏の岸 暁の天』や新刊の『白銀の墟 玄の月』で「天」の存在やその摂理の問題点にも触れられている。けれど、そのもっと前に、その摂理の一部である麒麟に関して、どちらかというと蓬萊視点的なことを、常世の人物に言わしめているのが深いと思ってしまう・・・。この意見は、わからないけれど、琅燦が同じ様に疑問視しててもおかしくないような視点な気もする。琅燦の場合は、考えるとしたらもっと根拠に従っているだろうけれど・・・。

話がずれたけれど、もし麒麟を「半獣」と捉えると、この半獣は、時には王より尊ばれているのに、その他の半獣はそうでなない・・・。麒麟は「王」=平和・安寧をもたらしてくれるから、常世の一般民としては大事に扱っているのかもしれない。でも、先にも述べたように、他の半獣も能力的に単なる人より優れている面が多そうなのに、なぜ社会階層の中で自然と上位の方にはこないのだろう、と思う。

これを考えていて、麒麟や他の半獣の身体的な能力に価値が見いだされているのではなく、もしかしたら、表層的なところでやはり判断されていたりするのではないかと思った。

というのは、麒麟の見た目が基本、黄や金を基調としていて、きらびやか。常世の世界でも宝石や貴金属は価値のあるものとして扱われているので、麒麟も外見がもともと華やかで美しい出で立ちだから、尊ばれるというよりは、贔屓されるというか好まれるというか・・・。

比較対照としてこの例を挙げていいのかはわからないけれど、私達の世界でも、”一般”傾向として白い肌の人が良しとされたり、金髪の方が人種間で好まれたり・・・。麒麟と他の半獣の社会的な扱われ方の違いを、「王を選ぶ」という面を除いた場合、そういった表面的な所で起こっていると考えてもあながち間違えではないのかも・・・と思った。

今アメリカを始め、世界で起こっているBlack Lives Matterの運動の一連の関連動画で、黒人の家庭では子どもに普段から普通の人(特に白人系)以上に丁寧な言葉遣いをするようにだったり、マナーに気をつけさせたり、警官との対応の仕方を教えている・・・というのを知った。それを、だまこさんのツイートを拝見して、十二国記の世界での半獣の親も、そういったことに気を配ったりしなければいけないのかも・・・と思ってしまった。

ファタジー的な要素を除いて十二国記を見てみると、自分のいる世界とも関連して考えさせられる・・・。

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