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戦慄と混乱の出産立ち会いレポート ――出産は宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)

夫として出産立会い(分娩立会い)をしました。
はっきり言って恐怖体験でした。
当日の出来事・心の動きを、時系列順に書いていきます。



■午前1時43分 出発

午前1時43分。
産婦人科にいる妻から電話がありました。

「もうすぐ生まれそうだから、旦那さんを呼んでって言われた」

妻は既に昨日から陣痛で産婦人科に入院しているのですが、
なかなか産まれないため、僕だけ帰宅して寝ていたのでした。

そんな中、突然の電話。

とはいえ勿論想定していたので、
「分かった、すぐ行くね」と伝え、スマホアプリ『GO タクシー』でタクシーを呼びつつ着替えをします。

タクシーが1分で到着することは確認済み(昨年、痔になった時にタクシー使ったので……)。
急いで飛び乗り、病院へ向かいます。


■午前2時3分 到着

午前2時3分、病院前到着。

受付の照明は落ちていて、外からは物音ひとつ聞こえず、まるで施錠された後のオフィスのようです。
この中に妊婦や新生児が居たり、人間が生まれようとしている風には見えません。

正面のインターホンを押し開けてもらい、検温をしてから分娩室へ。

分娩室では、妻が分娩台に寝ており、あとは助産師さんが一人何か計器をいじっていました。
僕は、妻から見て右側の頭の近くに座ります。


分娩台に寝そべる妻は、大慌ての僕とは対照的に、割と落ち着いており、涼しい顔をしていました。

聞いてみると、どうやら昨日に無痛分娩の先生が休日出勤してくださり、麻酔の管を通してくれたので、
先生は居ないけれど麻酔が使えている(無痛分娩が出来る)という状況とのこと。

つまり今現在も麻酔が効いており、今現在もほとんど痛みは感じていないというのです。

それを聞いて一安心しました。
妻は痛みに強い方ではないし(だから無痛分娩を希望していた)、昨日「タイミングによっては通常分娩になる」と言われていた際には恐怖に駆られていたのです。

ただ、「無痛分娩とはいえ痛みがゼロになる訳ではない」と説明を受けていたので、僕自身はあまり楽観視していなかったのですが――目の前の妻を心配させるのも違うかと思い、黙っておきました。

あらためて部屋を見渡します。
部屋の中では、妻への点滴や大型の計器があり、ドラマの手術室みたいに「プップッ」と心拍数を示す音だけが響いています。

この心拍数は胎児のものらしく、ちょっとびっくりするくらい早いテンポで鳴っています(おそらく180BPMくらい)。

あと印象的だったのは、妻の脚側の壁上部にモニターがあり、イルカが泳いでいる映像が流れていること。
イルカセラピー的な効果があるのでしょうか。

咄嗟に、頭の中にgroup_inouの『THERAPY』が流れます。

「イルカのヒーリング効果 自宅で簡単イルカセラピ~♪」


あとは別の部屋から「アーア、アーア」といった低い断続的な声が聞こえていました。
「新生児の赤ちゃんってあんな声で泣くんだね」と妻に言うと、
妻は少し笑い、「違うよ、これは妊婦さんの声だよ」と言いました。

別の部屋では、別の方が自然分娩を行っているらしく、その声がこちらまで響いていたのです。

僕はまた怖くなりました。
妻もこれだけ痛い想いをするのか?

無痛分娩とはいえ、本当に大丈夫なのか?

結論から言うと、この予感は悪い方向に当たります。


■午前2時30分 中断


午前2時半ごろ、陣痛の頻度が高くなってきたとのことで、
助産師さんが「そろそろ生む準備をしましょう」と言いました。

そして現れた後輩の助産師さんと二人で準備を始めます。
具体的には、「足をのせる台」を使ったり、
「赤ちゃんを受け止める板(金属製?)」などの準備をしていきます。

「陣痛が着たら、鼻から吸って、そのままトイレに居るときのように強く踏ん張りましょう」

そう言われた妻は、ふん、と歯を食いしばりを込めます。
手を握った僕も、思わず息を止めて歯を食いしばります。

妻の顔色を伺いますが、痛くはない様子なのでほっとします。
このまま生まれてくれれば助かる。
案外、無痛分娩であれば大変なのか……。

一時はそう思ったのですが、ここからが苦しかった。
そのまま4~5回ほどいきんだのですが、生まれる気配なし。

助産師は「まだ様子を見ましょう」と言い、妻の足をおろして元の状態に戻すと、
そのまま二人とも退室してしまいました。


すぐ戻ってくるのかな、と思っていましたが、五分十分経っても帰ってきません。
そして、先程から聞こえる「アー、アー」という声が大きくなっていきました。

どうやら、隣の分娩が佳境を迎えたため、人員全員で取り組んでいるようでした。


■午前2時45分 恐怖


二人で分娩室に残された僕らは、かなりの恐怖に襲われました。

冷静になっている今なら、看護師さんの判断が正しいことが分かります。
日曜深夜ですから、人が少ないのでしょう。
限られた人員で目の前の分娩をこなすために、彼女たちは最善の選択をしていたのです。

それは分かるのですが、僕ら夫婦だって、自分たちにとっては緊急事態です。
どこか放っておかれているような恐怖を覚えました(しつこいようですが産婦人科を責めるつもりは毛頭ありません)。


そこから、恐れていたことが起こりました。
突然、妻が「痛い痛い痛い」と苦しみだしたのです。

最初は「大丈夫だよ」と声をかけて頭を撫でるなどしていたのですが、
妻の痛がり方は尋常ではなく、「うう〜〜」と声を上げながら、爪跡が付くくらい僕の手を握りしめます。

そして掠れるように「ナース、コール……」と言ったことで、
僕はベッドの反対側のナースコールボタンがあることに気付き、それを押しました。

すると先程の助産師さんが来て、計器の様子を見た後、
「大丈夫ですよ、その痛みがりきむ力に変わりますから。少し様子を見ましょうね」と言って、
そのまま先程の現場に戻っていきました。

当然、妻の痛みは続きます。
波が来るたびに「痛い痛い痛い!」「う〜〜」と声をあげる妻を見て、僕は泣きそうになります。

「これ、本当に、麻酔効いてるの……?」

息も絶え絶え、妻が言います。
それは僕も疑っていました。麻酔が切れているんじゃないのか?
でも、先程助産師さんが計器を確認していたし……。
それに、苦しむ妻には「麻酔が効いている」と思い込むことも必要な気もしました。

迷っていると、次にまた助産師さんが来た時に、妻が直接「あの、これ麻酔効いてますか……?」と訊きました。

助産師さんは、少し言い淀んだ後、


「実は、少し前から麻酔を切っています。痛みがないと、りきむ力が出ないようだったので」

と言い、また部屋を出て行ってしまいました。

これも、今考えれば適切な処置だったのでしょう。
しかしこの一言が妻に与えた衝撃は大きく、
「無痛分娩、ちゃうやん……」
と呟き、静かに泣き始めました。
(普段は標準語ですが、故郷の関西弁が再発していました)


ここで、「頑張れ」とか「やるしかない」なんて声をかけるのは簡単ですが、
僕はもうそんな無責任な言葉をかけることもできず、ただ黙って手を握り返すのでした。


そこからは地獄の時間でした。
助産師さんが居ない中、二人で必死に痛みに耐えます。

他に動くものがないため、視線は無意識にイルカの動画で向かいます。
正直、イルカの動画で癒されるなんて事は無いと思っていたのですが、こういう状況になると、優雅に泳ぐイルカ達が何かの救いであるかのように見えてきます。

ただ、この動画が10分ほどでループしており、その隙間で真っ黒が画面が十秒程流れるのです。
痛みの中で、その暗闇の十秒がとても怖く、「ああ、もうすぐ暗闇が来るぞ」と恐怖に怯えながらモニターを見ていたことを覚えています。

この時僕が強く感じていたのは、

「出産というものは、人間ごときには制御できない」

ということでした。

始まる時間も、終わる時間も、終わる方法も、結果も、何もかも思い通りにいかない。
僕らに出来ることはほとんどありません。

今まで、自分がどれだけ守られてきたか、守られた社会システムの中で生きてきたのかを痛感しました。

今まで味わってきた人生の課題――受験、仕事、転職、それらは全て社会システムの中で起きていることであり、
ある程度の傾向は掴めるし、生命が脅かされることはありませんでした。

しかし出産は違います。
僕らの倫理などというものは全く通用せず、無慈悲に、他次元の圧倒的な「何か」によってねじ伏せられているような感覚に陥りました。

僕らの愛も、倫理も、常識もすべて通用せず、ただ単に「それ」(=出産)の顔色一つで、僕らの命など簡単に吹き飛ぶ――そんな圧倒的な心細さ、それはクトゥルフ的な恐ろしさ、いわゆる宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)でした。


僕らは痛みに耐えつつ、ひたすら圧倒的な「それ」に怯えることしかできないのでした。


■午前3時10分 隣室

そうしている間に隣室の分娩は盛り上がっており、
妊婦さんのりきむ声のほかに、助産師さんの声や、旦那と思われる男性が「頑張れ!」と大声をかけるのが聞こえてきます。

通常であれば、それらすべてを応援したい気持ちになっていたでしょうが、
その時の僕の中には、「いいからさっさと生んでくれ! こっちは誰も付いていないんだぞ!」という後ろ暗い気持ちが生じていました。

そして隣のお子さんは生まれたらしく、ワッという大人たちの声や、新生児の泣き声が聞こえてきました。
そっちはようやく終わりか、こっちへ来てくれと思ったのですが、

その後も何やら楽しそう、赤ちゃんについての説明や、「よくやったな、この子は〇〇だな」なんていう旦那の声が、二人っきりの僕らの分娩室まで響いていました。

当然、出生後の処置はとても重要な、必須の工程です。冷静な今であればそんな事は分かります。
ただ、その時の僕らは、もう溺れる寸前のようないっぱいいっぱいの状況で、他人のことを考える余裕がなく、
「そっちが生まれたなら、もういいから早くこっちに人を付けてくれ!」と願っていました。


■午前3時30分 脱力


それからしばらくして、午前3時半を回ったころ、
ようやく助産師さん二人が僕らの分娩室に戻ってきました。
僕の中に少しの安堵が戻ります。
でも、別に麻酔を打ってもらえる訳じゃないんだよな……そう思っていると、

後輩の助産師さんが、モニターを見て、先輩に
「え、〇〇は打ってないんですか?」
と問います。

「うん、力みを優先させたいから」
と先輩は答えますが、後輩は「でも、あと一本位なら……打っても良いんじゃないですかね」と言ったのです。

「うーん……」

先輩の助産師は、少し困ったように妻を見ました。
まさにその時、陣痛の波が来ていて、妻はうめき声をあげていました。

それを見て、

「〇〇さん、もしよければもう一本麻酔を「お願いします!」

僕らがそう即答すると、二人は手早く麻酔の準備を始めます。
輸血のようにチューブで背中(骨?)に入れるタイプの麻酔が通ると、
みるみる妻の顔色が良くなり、ふーっと落ち着いた表情になるのが分かりました。

「今、先生が車でこちらに向かっていますよ。もうすぐ到着するので、それまで出産は待ちましょうか」

突然、助産師さんがそんなことを言いました。

先生? 先程は、助産師の二人で生もうとしていなかったか? 麻酔もこの二人がやっているようだが……。
回らない頭で色々考えますが、答えは出ません。
(今になって思えば、先生(医者)が居た方が安全という意味なのだと分かります)

とにかく従うしかないので、妻は両手で何かに捕まるのをやめ、身体に力が入らないようにします。

必然、僕も手を放します。ただしどこかで物理的に触れ合っておきたかったので、肩のあたりにそっと手を載せることにしました。

ここからの待ち時間がまた結構長いものでした。
室温は二十六度に設定されていて、飛び起きてそのまま来た僕は喉がカラカラでした。
しかし出入りが簡単にできる状況でもないので、我慢するしかありません。

しばらくすると、また助産師さんが消えてしまいました。
あまり痛みはないようなので別に構わないのですが、妻が寝そうになると計器(血圧を測っている?)がピーピーと鳴り、助産師さんが駆けつけ、妻が目を覚まし、また去っていくということを繰り返しました。


■午前4時30分 開始


そして先生が来たのが午前4時半ごろ。
先生は(当然ですが)落ち着いた様子で、少し観察した後に「すぐ産めますので、準備しましょう」と言うと、
また足置き台を用い、分娩台を傾けて方向に少し傾斜を付けました。

この頃には人員に余裕が出てきたのか、医師二人、助産師三人が付いていたように思います。

「じゃあ、次の波で力んでみよう」

そう言われ、妻はまた台に捕まると、ふん、と力を込め始めました。思わず僕も息を止めて力みます。

するとまた妻に痛みが走るらしく、声にならない声が漏れ出します。

傍目から見てもかなり苦しそうなのですが、助産師さん曰く「あ、今髪の毛がほんの少し見えましたよ」とのことで、まだ先は長そうです。

「あと何回くらいですか?」
と息絶え絶えの妻が聞くも、先生は「さあ、こればっかりは……頑張りましょう」というばかりでした。

そしてその言葉の通り、何度も何度も踏ん張ります。
頭側に居る僕からすると、進捗というか、何がどう進んでいるのかさっぱり分かりません。

ただひたすらに、同じようにふんばり、痛みに襲われているように見えます。

だから、その瞬間が来るのが、とても突然のように感じました。


■午前4時57分

「旦那さん、カメラの用意はいいですか?」

突然、先生が僕に言いました。
完全に居を付かれた僕は、


「へっ? は、はい、持ってます」

そう情けない返事をし、左手でポケットからスマホを取り出します。


そして取り出した後に、ああそうか、そういう事なのかと気付き始め、
次の瞬間、助産師さんたちが、わあっと声を上げました。

続いて、「ビャー、ビャー」という、ブザー音のような動物の鳴き声のような音が聞こえ、そして妻の足の向こう側に、何か黒くて小さいものが動いているのが見えました。

「さあ、生まれましたよ!」

そんなようなことを、誰かが言ったような気がします。
僕は突然のこと(?)に驚いて硬直しそうになりつつも、咄嗟にカメラを構えます。

「そっちに、ママさんの上に置きますからね」

そう言うと、青い布にくるまれた、黒くてずぶ濡れの新生児が、妻の胸の上に置かれます。
僕は息が止まるような気持ちのまま、「ビャー」と泣き続けるそれをカメラに収めました。

目の前にいるのが僕の娘です。
今、生まれたのです。

それは分かっていたのですが、あまりのことに実感がまだなく、
おかしなことに、僕の注意は妻の方に向きました。

「〇〇さん、大丈夫? 生まれたって、終わったよ、ね」

妻が無事であることをとにかく確認したかったのだと思います。
妻は息も絶え絶え、「うん、」と頷いた後、「赤ちゃんは? 顔、見えない」と言いました。

体力を使い切って、顔を上げることができないのです。

僕は今さっき撮った写真を妻の方に向け、そして画面の明るさを上げ、「ほら、赤ちゃんだよ、元気だよ」と言いました。

僕はようやくそこで、娘の顔を認識したのだと思います。
生まれたばかり娘は、しわくしゃで、肌は赤黒く、小さく痙攣していて、不思議な生き物でした。

妻は写真を見ると、「可愛い……」と呟きました。

「ママとの写真も撮ってあげてください」
と、また誰かが言いました。

僕は妻の汗を拭き、前髪を整えると、何枚か写真を撮りました。

「さ、では赤ちゃんは向こうで計測します。パパさんも付いてきてください」

あ、はい、と返事をした気がします。
自分がパパと呼ばれることに対して違和感はありませんでした。

「またすぐ戻るからね」と妻に声をかけて分娩室を出ました。


廊下には流し台のようなものがあって、
そこで娘が全身を拭かれ、体重や身長を測定されます。

体重は「同じ値が二回出るまで測る」らしいのですが、良く動くため測るたびに値が異なり、五回測っていたことを覚えています。

「身長と体重は適正ですねー」助産師さんはそう言うと、「では外観を確認していきます。指は、1、2、3、4、5本……鼻の穴も両方空いています、黒目も……両方ありますね」
と一つずつ確認していきます。
それらが読み上げられるたび、僕の心が、かーん、かーんと軽くなっていくのが分かりました。

最後に綿棒で肛門を確認すると「はい、問題ないですね。では記載しますので少々お待ちください」と言われました。

それを聞いて、ようやく少し余裕が出た僕は、
「あの、頭を撫でても大丈夫ですか?」と聞いてみました。
「ええ、もちろん」そう言われ、僕は恐る恐る、娘の頭は撫でました。

頭にはもう髪の毛が生えていて、濡れていて、頭皮がまだブヨブヨで、温かく、変な感覚でした。
しかしその感覚は、例えばゴム製品みたいな無機物のそれとは明らかに違いました。
理屈はないのですが、それは明らかに生体の感覚だと、なぜか直感したのです。


娘は僕に分かられていることに気付いていないのか、変わらず手足をもたつかせていました。
そして次の瞬間、僕は驚くべきものを見ました。

娘は、足をぐいっと突っ張るようにして伸ばし、ふん、ふんと空を蹴っていたのです。
それを見て、僕は、頭の中で何かが弾けるような衝撃を受けました。

この子は、生きようとしている。
ぐっと足を伸ばすことで、何かしら周囲の環境を理解しようとしている。
ここには生きる意志がある。

少なくとも僕には、そう感じられました。
次の瞬間、僕はボロボロと泣いていました。

娘の行動が、とても尊いもののように感じられたのです。

「僕が守ってやるからな」

僕はそう呟いたような気がします。
それが、僕は娘にかけた最初の言葉になりました。



■午前5時10分 産後


さて、その後も少し変わった体験をしました。

「ここで少しお待ちくださいね」と言われたきり、
台車に寝かされた娘と二人で、ロビーのようなところで1時間半待ちぼうけを食らったのです。

先に訳を言うと、
出産時に妻が出血し、その止血や、関係部位の処置(縫ったりとか)をするのに時間がかかったとのことでした。

とにかく突然娘と二人になった僕は、あらためて落ち着いた気持ちで娘をまじまじと眺めました。

娘は生後三十分ほどで外の世界に慣れてきたらしく、泣くのは止め、まぶたや顔の筋肉をしきりに動かしていました。
(おくるみと帽子で安心しているのかもしれません)

そして五本の小さな小さな指を器用に折りたたんだり広げたりしてみせます。
僕も少し慣れてきて、自分の指を掴ませたり(反射)、頭を撫でたりして過ごします。
彼女はおそらく僕のことが見えていないのでしょう、お構いなしでぶくぶくとよだれを垂らしたり、指(手)をしゃぶったりしながら、せわしなく身体を動かしていました。

文句なしに可愛い。
そう思いました。そして、そう思える自分にほっとしました。

あとは、あまり聞こえてないかもしれないけれど、名前を呼び掛けたりして過ごしました。

その後は、
「鼻がペちゃっとしているけど、いつ治るのかな?」
「一重なのか二重なのか? いつ分かるんだろう」
なんて俗っぽい考えが人並みに湧いてきて、ググりながら助産師さんを待ったのでした。



■午前7時15分 再会


午前7時15分、ようやく妻と対面出来ました。

「処置を行っている」と言われたので不安だったのですが、
妻は意外と元気そうで、「頑張ったね」と頭を撫でると、「私はもう大丈夫だよ」と笑っていました。
それを見てまた泣いてしまいました。

しばらく二人で娘を眺めていましたが、
「すみません旦那さん、面会の時間はもう終わってしまうので……」と言われ、10分ほどで席をたつことにしました。

■午前7時30分 退出


外に出ると、自分が疲労でヘロヘロになっていることに気が付きました。

でも何とか残っている社交性を振り絞り、
歩きながら義両親にLINEで報告をし、
その後に会社に電話して、今日一日休みにしてもらうようお願いしました。


そして駅前のコンビニで肉まんとポカリスエットを買うと、ホームのベンチで飲み食いし、
ようやく気が抜けて、まぶたが降りていくのでした。

(ああ、終わった……)

その時、僕はそう思ったのでした。


—-

僕にとって、出産は「赤ちゃんに会えるキラキライベント☆」等ではありませんでした。

出産とは「人間にはどうにもできない、理不尽で圧倒的な出来事」であり、そこでクトゥルフ的な宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)を味わったのでした。  

そして、何とかそれを終えることができたと。
子供の死の恐怖、妻の死の恐怖ーーそうした危機から何とか無事に脱し、今後はもう、恐れる必要はないのだ。

当時はそう思いました。



◾︎恐怖は続く


しかし今になって思うと、それは大きな間違いなのです。

むしろ、これは始まりでした。
僕はこれからの日々で、比べ物にならないほど数多くの恐怖に見舞われるのです。

「この子は、ちゃんと息が出来ているのか?」
「ちゃんと目が見えているのか?」
「この抱き方で身体を痛めないか?」
「ミルクの量が間違っているんじゃないのか?」
「こんなに泣くなんて、何か苦しい所があるのか?」

分からないことばかりで、不安なことばかりです。

これからずっと、毎日毎日毎日、答えのない恐怖の中で戦うことになるのです。

つまり、出産だけでなく育児も「人間にはどうにもできない、理不尽で圧倒的な出来事」なのだと、出産後にようやく気付いたのでした。


大事な物を持つということは、これ程までに怖いことなのか。

子供を持つということは、それ自体がクトゥルフ的な宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)なのだと、今ではそう感じています。



—-


出産からしばらく経ち、妻子ともに体調が落ち着いた今となっては、恐怖心はかなり落ち着いています。

とはいえ先は長い。やるべき事は次々と出てくるし、それらに上手く対応できているのかも分かりません。

ただ、やるしかない。
上手く出来ているかとか、大丈夫かとか、最善なんだろうかとか、そんなことを気にしている場合ではありません。


とにかく僕がすべきことは、娘の生命に恥じぬよう、真面目に勤勉に生きていく、ということです。


そんな訳で、今後はこれまで以上に、品行方正に生きていこうと心に誓ったのでした。


いつかまた何処かで降りかかるかもしれない、宇宙的恐怖に怯えながらーー。



くわばら、くわばら。

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