一応の話

なんとなく、書いておこうと思う。


私は本当に周りに恵まれて生きてきた。

運がいいのだと思う。

私は私のできることを最大限しようと生きてきた。

お節介なのだと思う。


小学生のときから「かっこよく生きていきたい」と思って、歳を重ねてきた。

母親が明らかに男の子用の服を買ってきてくれたり、スカートを一着も持っていなかったり、いわゆる普通の子ではなかった。知らんけど。

そんな中でも自分を理解して仲良くしてくれた人たちがたくさんいる。

私の周りはいつも大人な子、というか、「人」を見てくれる子ばかりだった。

もちろんそんな私を良く思っていなかった子もいただろうけど、それを武器として振りかざす子は誰もいなかった。


大学生になった。

相変わらずかっこよく生きていきたいと思うのだけれど、ある言葉を言われる。

「お前、男みてぇな服着てんな(笑)」

ショックだった。

この世界に、しかも大学生という大人の入口のような空間に、そんな思考の人間がいて、それを言葉として表そうと判断する人間がいるのかと思った。

今までの世界がどれだけ恵まれていたのか今更気づいたのだった。


話は戻って。

中高とそれなりに勉強も頑張って、周りの人からもすごく愛されていた。

なぜだかは分からない。

今考えるとすごく生意気な人間だったなと思う。

謝りたい人も何人もいる。

それでもやっぱりあの頃の記憶は今でも思い出すほど鮮明に覚えている。

あの頃に、あのときにしかできないこと・湧かない感情をたくさん経験した。

すごくすごく、今の自分に活きている気がしている。

嫌な記憶もよみがえるけど、それもまた思い出なのかもしれない。

必死に生きていたなぁ。


今は大学で素敵な人と出会い、すごく愛されている。

私はこだわりというものが全くと言っていいほどない。

それでも今の人とそういう関係を築いたのは、初めて頼りたいと思えた人だったからだ。

私は頼り方がわからなかった。

小さい頃は、まぁ色々あって、1人で遊ぶことが多かったし、何かを思っていても口に出すことが苦手だった。

真実は頭の中にあるのに、「嫌われたら」とか「お門違いだったら」とか色々と巡ってしまうのだった。

人に頼ることも、相手が不快だったらだとか、時間をわざわざ割いてもらうほどのことなのかだとか、そういう面倒な自分が出てきては阻まれた。

それでも、頼りたいと思った。

この人といれば、自分は自分を卒業できる気がした。

今は、うーん、卒業できているのかわからないけど、

「かっこよく生きていく」にプラスして、「素直に生きていく」が増えた。

そういうことだ。


何を伝えたいのか結局わからなくなってしまったけど、人無くして今の自分は形成されていない。当たり前だけど。

結局、私を生かして、愛してくれた人たちに感謝しているってことに帰着する。

月並みだけど。

かっこよく、素直に生きられたかな。

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