見出し画像

沢村賞が獲れたのはダビスタのおかげ

前回のコラムで、「とにかくシルバイオーに勝ちたくて」と書きました。
シルバイオーというのは、ダビスタ四天王の一角・横井顕さんが生産したダビスタⅡでの最強馬です。
当時のプレイヤーは、シルバイオーに勝つために、日夜、最強馬生産に明け暮れていたはず。

ダビスタⅡの最強馬育成には、いくつかのセオリーがあります。

その1つが「牝馬10代重ね」。スピードのある種牡馬でひたすら代を重ねて、母馬のスピード値がMAXに近い馬を生産するのです。ただ、永遠に重ねられるわけではなくて、スピード値がMAXを超えるとループが発生し、売却価格が100万円に戻ってしまう。だから10代重ね。
そして、その牝馬に距離適性が長めの種牡馬を配合してスタミナを補完して、スピードもスタミナも秀でた繁殖牝馬を作れたら、あとは満を持して牡馬の生産。気に入った配合があれば、何度も乱数を変えてチャレンジするのみです。
3代目以降、牝馬が生まれる可能性は1%しかないので、最強馬生産は修行のようなもの。ターボファイルを用意して、リセットを繰り返すわけです。朦朧とする意識の中で、ずっと「牡牡牡牡牡牡」だった画面に「牝」が出た瞬間に覚醒! その繰り返し。

牝馬10代重ねで作った繁殖牝馬にマルゼンスキーをつけて生まれたのが、我が最強馬・ヤマサンテイオーです。ダビスタ2は、成長型と売却価格で能力を推測できるのですが、確か、晩成で4800万円でした。

馬名の由来は冠名+帝王。ヤマサンが冠名で、テイオーはトウカイテイオーからとっています。
東海の帝王って、いい響きですよね。そしてなにより、何度も故障しながら、その度に復活というストーリー。やはりアスリートとして惹かれるものがありました。
このヤマサンテイオーでシルバイオーに勝った時は、本当に嬉しかったなぁ。まぁ、2頭で後続を引き離して画面から消えてしまっているので、勝ったという事実は実況の文字でしか見ていないのですが(笑)。

前回のコラムにも書いた通り、登板2日前からはゲームを絶っていましたが、逆に言うと、それ以外の時間はシルバイオーを倒すのに心血を注いでいました。トレーニング後も、登板後も、ダビスタがやりたいからすぐに帰る。飲みにいかないから体調がいい。その年は19勝して、沢村賞を獲りました(笑)

エピソードとしては、ダビスタⅡについて語ることが多いのですが、その後のダビスタシリーズも軒並みプレイしています。
ダビスタⅢといえばサイキョウクラウドですよね。徳田雅哉さんが生産50頭目ぐらいに生み出したという奇跡の馬! この馬に勝つために、1万頭は生産しましたよ。結局、この馬と同じ配合(ノーアテンション×リアルシャダイ×スーパーシェビニオン)で、なんとか勝つことができました。

プレイステーション版は、かなりハマりましたね。リセットの度に鳴る「ボーン」で始まる起動音をどれだけ聞いたことか(笑)。ずっと、(当時のドラゴンズの宿舎だった)赤坂プリンスホテルでダビスタをやっていた記憶があります。そして、この年(97年)も最多勝を獲っています。

ダビスタ64は、オリジナルのゲームで3年ぐらい遊んでいた記憶があります。高額種牡馬、高額繁殖牝馬を揃えた状態で、それぞれドラフトをするんです。そうして生産した馬の獲得賞金を競いあうゲーム。移動日の前夜に私の部屋に人が集まってきて、随分盛り上がりました。確か、荒木選手や森野選手もメンバーでしたよ。

最新版のダビスタSwitchも、解説などでの移動のお供として、かなりやり込みました。

そうそう、『ダビスタGOLD』発売の時は、雑誌の企画で薗部博之さんと対談させていただきました。その場には、シルバイオーを生産した横井顕さんもいらっしゃって、当時は現役だったので、薗部さんも横井さんも「山本さん、山本さん」と気を遣ってくださいましたが、私からしたら「あの薗部さんだ!」「あの横井さんだ!」という感じでした(笑)。
この対談の場で薗部さんに言ったんですよ、「ダビスタが僕を悪くしたんだ」って。というのも…

(次回更新は8月1日となります)

やまもとまさ
プロ通算219勝、3度の最多勝、沢村賞、史上最年長でのノーヒットノーラン、50歳での登板など、記録にも記憶にも残る活躍を果たした球界のレジェンド。現在は野球解説者・スポーツコメンテーターとして活動している。ラジコン、クワガタ飼育等、多趣味としても知られる。競馬への造詣も深く、一口馬主としてアルアイン、シャフリヤールに出資する相馬眼の持ち主。
ツイッター @yamamoto34masa

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?