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高校卒業後、競馬学校を目指し再始動

皆様こんにちは。魚谷侑未です。

今回のお話は前回(『競馬学校騎手課程を受験。そして…』)のコラムの続きになります。

騎手課程の受験に失敗してから三年。私は、もう一度、競馬の騎手を夢見て、前に進もうと決意します。
では実際に、どのように私が馬と関わる道を選んだのか。

最初は、新潟競馬場にある乗馬施設に週に一回行かせてもらいました。
私の住んでいた柏崎市から新潟競馬場までは電車で片道三時間近くかかります。
朝5時の始発に乗って、豊栄駅へ。そこから自転車で新潟競馬場へ。冬は雪が積もっていて、自転車で何度も転んだのも今となっては良い思い出です。
乗馬は本当に楽しくて。周りの人たちも大好きで。もっとたくさん、馬に乗りたい。馬と関わりたいと思いました。

しかし、新潟競馬場併設の乗馬施設では限度があります。
そんな折、山形に住む叔父が声をかけてくれて、叔父の知り合いの乗馬クラブで研修生をやらせてもらえることになりました。
私は、山形の祖父の家に住ませてもらって乗馬クラブへと通うことになったのです。

これが、私の大きな挫折への初めの一歩でした。

山形での生活は、本当に大変でした。
まず、祖父の家でお世話になることになったのですが、門限が17時。実家では門限なんて言われたことのない私には最初の壁でした。
祖父も祖母も良かれと思って、私に口うるさくしていたのはわかるのですが、多感な時期の私にはそれがとても辛く…。
「痩せたい」と言っているのに、ご飯をもっと食べなさいと毎日言われるのも苦しくて。

そして、肝心の乗馬クラブでの生活では、毎日心が折れていました
朝一番の馬房の掃除が終わって、待ちに待った乗馬の時間。

私に高頻度で与えられた馬はミニチュアホースでした。
私は、ミニチュアホースに上手く乗りこなせなかったのです。私の指示にミニチュアホースは従ってくれません。
それでも、先生が乗れば先生の指示にはミニチュアホースも従います。
馬は、乗っている人が従うべき存在なのか、従わなくていい存在なのかわかります。
簡単に言えば、私は馬鹿にされていたのです。
ミニチュアホースに乗るときは、いつも落馬していました。扱いきれず、彼が通れて、人間を落とせそうなところに持っていかれてしまうのです。

私は、どうしたらいいかわかりませんでした。

もっと周りに相談したり、弱音を吐ける人がいたら良かったのかもしれません。
周りの人達もきっと、私のことを「情けないな」と思って見ていたでしょう(実際にはそんなことなかったのでしょうが、劣等感に苛まれた当時の私は、そう感じてしまっていたのです)。
それでも、「例えみんな味方してくれなくても心は折れない。騎手になるんだ」と念じて、毎日乗馬クラブに通っていました。

同じ時期に、中学三年生の騎手志望の男の子がいました。
小柄で騎手向きの体型で、騎乗技術もとても高く、誰が見ても私より彼が騎手に向いていると思ったでしょう。
かくいう私も、羨ましいと思う気持ちより、純粋に尊敬する気持ちが強かったです。彼みたいになりたいなぁって思っていました。
彼は、その年の騎手試験に合格し、競馬学校に入学することになりました。

一方、19歳の私は、競馬学校騎手課程の入学試験を受けられるラストイヤー
にもかかわらず、騎手課程の試験を受けることもなく、騎手になることを諦めてしまったのです。

(次回更新は8月17日)

うおたにゆうみ
十段位、王位をはじめ数多のタイトルを手にしている麻雀のトッププロ。2018年のドラフト会議でセガサミーフェニックスから1位指名されMリーガーになると、2019年にレギュラーシーズンMVPと最高打点賞の二冠を獲得。その実力で「麻雀に男女差はない」を証明し続けている。
麻雀プロを志す前は騎手を目指しており、実際に競馬学校騎手課程を受験したという経歴の持ち主。
ツイッター @yuumi1102

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