漸近
ダイヤモンドプリンセス号がまだ太平洋を運行していたその頃、ぼくは教習所に通っていた。効果測定とは名ばかりの空き時間。やることは限られていた。さんぽ。スマホ。読書。
漫喫顔負けの品揃えだった。頭文字Dやカイジをも並べる強気な棚。ヒヨって「タッチ」を読み始めた。
「タッチ」。みなさんご存知野球漫画。上杉タッチャンとカッチャンそして朝倉南の物語。野球に疎い自分でも、ページは自然とめくれていった。兄弟の亡霊に取り憑かれた上杉達也の姿に、なぜか自分を重ねていた。触りたくても触れない。届きそうで届かない。曲線が軸に漸近していくような、そんな距離感。
*
こないだ一緒に免許を取った友人から数年ぶりの連絡がきた。勧誘だった。スパムかと思った。でも本当らしかった。
彼とはそれなりに仲が良かったつもりだ。何度も遊んだし、彼のお宅にお邪魔したこともあった。もちろんあの頃から彼も変わったのだろう。だけど、ショックだった。決まりきった定型文。Ctrl+c,vで転載される勧誘文句。手元にやってきたのはそんな文面だった。
彼とはある時期から自然と疎遠になっていた。なにかあったわけではない。特に理由もなかった。なんとなく、会う頻度が減っていった。会うことが、なくなった。
連絡がきてショックを受けたが、なにより僕は定型文を送られたことに困惑していた。内心では自覚していた。彼が変わったこと。彼が変わっていないこと。俺が変わってしまったこと。
ただ、時間が流れたこと。
*
「タッチ」は25巻まで読んだ。最終巻だけ置いていなかったから。あの頃は怒っていたような気もする。でも今となってはもうどうでもいい。ふたりの恋の行方、甲子園の結果。ともだちの面影。東北地方の片田舎に置いてきた、忘れ物。25と26のあいだには無限の隙間が空いていた。際限なく分割可能で、到達不能な彼岸。数直線に並んでいるように見えた25と26。でもそれはまやかしで、デタラメだった。位相は最初からねじれていた。
26巻はいまだに読んでいない。
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