苦悩がアイデンティティになった人間は救われるか
小学生の時から、私の良いところは、とことん暗いところだと思っていた。「あの世」に行くことを望む、それだけで、動物、人間の定めを超えられた気になっていた。
大人になるにつれて、真面目に生きて、人と上手くやって、信頼されて、お金をもらって、そうやって生きていける人が偉いと知った。
しかし、そうやって真面目に生きようとコミュニティに参加しても、飛びたい、消えたい、そういう思いで安全な場所に引きこもってしまう。
社会性を育てようとボランティアに参加して楽しく皆と笑っている時、悪魔の囁きが聞こえる。
「お前はこのまま社会に溶け込んでいいのか。誰にも心配されないまま、搾取されながら、大切にされないまま生きていいのか。」
「社会の歯車になることが、お前にとってはそんなに大切なのか。」
「お前は社会性のないゴミなのに、皆と笑ってるとか、いつか化けの皮が剥がれるんじゃないか。」
とかね。ひどいよね。泣いちゃう。
内言が厳しいことも、私が他の人と違う部分だと思ってるから止められない。
平和に対等に人と仲良くできている自分が想像できない。
こうやって悩むことでしか、人より優れている自分を提供できない。
本心から出た気持ち良い文章は、オタク活動の他には、こういうことを扱うことでしか書けない。
なんか資格取るか、、、、。
仕事こそが、能力こそが、私を私たらしめる気がする。
賞状、証明書、免許を持っておけば、この世に生きててもOKなことを証明してくれる気がする。
この考えは間違っているでしょうか??
今は悪魔は囁いてこなくなった。
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