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宝川温泉のこと

東の横綱と評される大露天風呂がある一軒宿。

露天風呂は4か所、うち3つは混浴だ。延べ面積にして、約470畳にもなるそうな。毎分約1800リットルの温泉が贅沢にかけ流されている。

古き良き時代の面影を残す建物と川沿いにある大露天風呂に浸かれば、あたかも自然と同化しそうな体感ができる。国内のみならず、海外からも人気の理由が頷ける。

そんな世界的に人気を博す露天風呂を気軽に楽しめるのも嬉しい限りだ。「宝川山荘」では日帰り入浴専用の受付をおこなっており、そこで湯浴み着とバスタオルを借りてお風呂へ向かおう。

実は、雰囲気の良い内湯もあり大変評判が良い。

宝川温泉の泉質:単純温泉

いわれ。

宝川温泉は古く、景行天皇の御代、日本武尊が東国ご征伐のとき武尊山に登られ、奥利根連峰の山容の美しさを愛でられたという。

そして、この山に登られたところ、非常なご疲労を覚え、あまつさえ余病を発せられた。供の者たちは驚き手あてをしようとしたが山の中なので、手のほどこしようもなかった。途方に暮れていると、折しも谷間より白鷹が一羽空高く舞いあがった。不思議におもって谷間をのぞくと、そこにはほのぼのと湯煙が立ちのぼっていた。これも神明のご加護かと大いに喜び、日本武尊をこの霊泉に案内し、温泉での静養をおすすめしたという。

すると、どうであろう。霊験あらたかにして、ただちに全快され、勇んで吾妻耶山に向かって進発されたと伝えられている。

宝川温泉は、古くは「白鷹の湯」と呼ばれていたのも、また、武尊山、吾妻耶山などの名山があるのも、以上のような由来に基づくものと語り伝えられている。江戸時代から、皮膚病や子供の虫に効果があるとされ、馬や山かごなどで湯治客がやってきた。大正十一年に、小野家が附近の山林を買い入れ温泉開発に力を入れるまでは、中村染五郎と言う老爺が持主であり、滝湯、船場、清八湯など という湯壺があった。

《温泉ノ質大抵硫黄、謄礬ノ気ヲ以テ混成ス。虫ノ湯、滝ノ湯、鳩ノ 湯、目ノ湯、四種アリ。虫気、逆上、寝冷、眼病二宜シ。浴場五ヶ所、逆三戸、一歳浴客六十八。文政年中② 開湯未ダ原素ノ試験セズ。且近傍処々温泉アリ。明治十年藤原村誌》

上州路・特集「新水上紀行 山と水とひかりの温泉郷」あきを社出版より抜粋引用

みなかみ町内でも屈指の豪雪地域にある温泉地。冬ならではの雪見露天風呂を楽しみたい。


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