メルトのお風呂

 これはある日のカルデアのマスターの話である。この日もマスター、藤丸立香は彼にとっての日常を過ごしていた。それは短くも激しい人理のための出撃の合間を占める、地味だが大変な訓練と座学の日々である。
 そんなある日のこと、訓練を終えた藤丸立香はとても疲れていた。寝る前の皆への挨拶も済まし、マイルームの扉を開ける。そうすると、熱々のお湯が沸かされたバスタブがそこにあった。
「どうして。」
 カルデアのマイルームは機能的だが、バスタブは設置されていない。つまりあからさまに怪しい。しかしここはカルデアだ、突然機関室の横が黄金茶室になったり、突然サーヴァントが「夏」に目覚め水着になる。風呂が部屋に生えるくらいなんだ?…とマスターがそう思ったのかは定かではない。少なくとも久しぶりの湯船は彼にとって非常に魅力的だった。
「…まあいいか、誰か気まぐれで用意してくれたのかもしれないし。」
 そうしてお湯に浸かり、疲れをほぐす。

「全く、私が仕掛けたこととはいえ…いくらなんでも警戒心が薄すぎるわマスター、これは教育が必要かしら?」
「なっ、その声はメルト!?」
 慌ててバスタブから飛び出そうとする藤丸、しかし液体は急に粘度を増し、彼を絡め取っていく。
「こんばんは、私のマスター。いい加減気付いたかしら。」
「どこから声が、お湯!?あ、ああ…この風呂自体が…」
 要するにそういうことらしかった。完全流体であるメルトリリスがお湯になっていた、というわけである。これは逃げられない、自分からメルトの罠に飛び込んでしまったのだ、と藤丸は頭を抱える。
「あんまりにも無警戒なものだから驚いてしまったけど、結局は予定通りよ。ええ、私の中へようこそマスター、極上の湯加減でしょう?」
「さっきまで落ち着いてたけど、メルトだって分かってから全然落ち着けないよ!恥ずかしいから出してください…」
 自分の裸を見られるどころか、全身をメルトリリスに包まれてるのは恥ずかしいどころの話ではない!
「私の心の奥の奥まで踏み込んでおいて自分だけ恥ずかしいなんてのが通ると思って?」
「むむむ…」
 しかし、藤丸がメルトリリスの秘密を覗き見てしまったのも本当だった。それに藤丸もわかっている、メルトリリスにとって大事なのは心の触れ合いであって、彼女の基準でいえばより恥ずかしいことをさせたのは藤丸の方なのだ。
「わかったようで私も嬉しいわ。そもそも貴方に選択権はないの、大人しく入ってなさい。」
「…わかったよメルト。悪いことはしない…と思うから大人しくしてる。でも、どうしてこんな事したの?」
「…バスタブは通販でここに届けさせたわ。サービスいいのよね、理由も聞かず迅速納品、設置までしてくれる。」
「それは『どうやって』でしょ?『どうして』っていうのが聞きたいんだけど。」
 彼女達アルターエゴはAIであり、嘘を付くことはできない。しかし問いを曲解したり、回答を誤魔化すことはできる。
「意地悪な人。そういうところだけ聡いんだから…まあいいわ、答えてあげる。」
 ざばぁ、という音と共にメルトリリスの上半身が藤丸の背後で形作られる。そのまま藤丸の身体に手を回して…
「ねえメルト…その、いろいろ当たってるんだけど…」
「抱きついてるんだから触れるのは当たり前でしょう。普段隠してるところも見えちゃうんだからこっち振り向かないでよね。」
 メルトリリスは華奢な女の子だ、それでも女の子らしい柔らかさに藤丸はどぎまぎしてしまう。だがメルトリリスはそれに構わず続ける。
「私はあなたと同じになりたいのに、あなたはそうさせてくれないでしょう。それが理由よ。」
「同じ…メルトの中に溶かされないってこと?」
「そう、あなたを私に溶かして、私が全部終わらせる。そのあと私に溶けたままか、出てくるかは選べばいいわ。でもあなたはそれを選ばないでしょう?」
「そうだね…僕はここに居なきゃいけない、カルデアのマスターだから。」
「あなたはそういう人、でもそうやって傷ついていくのが私は許せない。それでも…私の中に溶けてはくれないのでしょう?」
「ごめん、やっぱりそれはできないよ。」
「そう。なら、私のわがままに付き合ってください。疑似的にでも貴方がこうして私の中にいる、この感覚を知りたかったの。」
 メルトリリスは強く藤丸を抱きしめる。二度と手離してはいけないと決意するように。

 しばらくそのまま過ごした後、メルトリリスは「満足したわ。」とだけ言って去っていった。

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