日記 24/6/6 (ゾロ目の日

 今日、6月6日は『ゾロ目の日』と成っていると、私は初めて知りました。私は、ウェブページで 『ゾロ目』にちなんだ表現のいくつかを見たり読んだりしました。楽しいと思いました。


 昨日の夜。私は、日記に長めの文章編集に取り組みました。
今日。私は、仕事と家事などの作業を全部、順調に進めることが出来ました。
 「間違っていることは間違えている。」と言葉で伝えられる私に、私は成長を望んでいます。私個人が、そのチャレンジを意識し始めて3年以上過ぎました。
今日の11時頃。ある男の人と会話させて頂きました時。そのチャレンジを行えるチャンスに恵まれました。 それは間違っています。/昨日の話合いで決まった内容と違います。 そういう説明と、後で、誰も気分を害さない目的の会話を、私はがんばりました。
私の個性を含む、ひと昔の日本国風習で育った人は、自分自身以外の人の間違いについて伝える言動を行った後、疲れる場合が多いだろうと、私は考えています。 今日の、その話し合いで、私は疲れを感じました。夕食時に、私は夫との会話の時間に和みました。その時迄の時間。私は、私個人の発語行動への恐怖感を思考に持っていました。「ひさしぶり」と思うほどの多さ。私は、発語に対する恐怖感を5か月ぶりの感じで多く感じていました。

 私は、ツイッターで『トラウマ』についての文章を読んだ途端に。私個人のこの恐怖感のような感覚が『PTSD』『心的外傷後ストレス障害』の説明で、しっくりと理解納得できました。
 『あなたとは常識が違う。』『あなたは育ちがいいから、分からないだろう。』と、直接、突き放すような表情や行動を行いながら、私へ話した人が居ます。この時のように直接の言動を、私個人が受けた経験は多くはありませんが。通りがかりなどの陰湿な何か。随分、時間が経過した後も続く執拗さを感じました記憶を、私個人は持っています。 いくつかは。誰か一人、又は複数人が同じ場所に居る時に、私が発言したり伝えたりした言動を、記録などを用いているのだと、私自身の思考から除いてはいけないと考えるほどハッキリと重なっていると感じた出来事を、過去約七年、私はいくつか記憶しています。 繰り返し、私に迷惑や不満を感じさせられるようにあくようしているのかというふうな、奇妙な想像を 余儀なくされる経験を、私はいくつも過ごしました。そういう感じの言葉の暴力を受けた回数と一つ一つの具体的な出来事は、今すぐに、私が数え、今回記事に表せられない質量だったと、私個人は記憶しています。


 私は 今回記事の文章編集時に、表記の誤りを防ぐ目的で、ウェブ検索をおこないました。以下は、その検索結果の1つ:
トラウマとは、個人が一般の生活では経験しないような死に直面するような心理的に強い負荷となる出来事のことを指します。この出来事には、戦争や交通事故等による生命の危険、他者からの個人の尊厳の強い毀損等があります。心的外傷は突然の出来事によっても、慢性的に反復的に加えられる場合にも発生します。1トラウマは、その人の生命、存在に強い衝撃をもたらす事象を外傷性ストレッサーと呼び、その体験をトラウマ体験と呼びます。


 2017年以降の私は、少しは、私の精神的苦痛を、私以外の信頼できる人へ話そうと努めた時もありました。しかし。それらのいつ、どの状況でも、2010年以前の私自身がいつも行っていたのと同じように、私は思い通りに言語をはつごできなかったのです。 発語できなくなっているのに、私個人は、家事・農作業、夫・夫の両親への思いやり・献身的行動時間を優先してきました。夫の母と父の間の口論の仲介、何一つも原因が見当たらないのに発作的突然に、暮らしの場が凍えるような夫の『死にたい』意思表示と発言。暴力。
法華経以外の宗派の浸透した日本国の住人の人々に、気のどくな文章に成りすみませんと、私は思いますが。 次のよう文章で表すのが、私個人はとても明快。浄土真宗、念仏に染まった思考と、その思考の暮らしが主流の地域の因習深さ。それらが及ぼす不幸感を暮らしから取り除き、家族皆が安心して楽しさと幸せにいっぱい満たし暮らせるように希望し、工夫の言動を行い、私はいつもいつも頑張っていました。 その時々の私自身の『心的外傷』に気づける時間使用を選ぶ余裕が無かったのです。『それが人間。』と、私の傷を癒そうと話してくださいました人も居ますが。私がはっきりと事実を正確に思い出せられる、人間としてあってはならない出来事と、物事の連鎖、諸々。
今の私の感覚で、身体全身の毛が立つほど、二度と経験したくない諸々の出来事。誰に咎められたとしても、今の私が無理だと記憶しているものは、回避しなくてはいけないと考えられる。


 今回記事の文章編集を始めたのは、20:40頃。私は1時間30分程を用いて、今回記事に文章で表す、独自での言語リハビリテーションを行うことができました。 今日の夜。私は食事を済ます迄の時間に、心身の疲労を感じていました。だからこそ、私は、今夜に 『NOTE』を使い文章編集のチャレンジを行いたかったです。私個人は、私自身の精神の傷が良く治ってきていると感じています。