私の接神体験(阪神大震災の前日に)
はじめに
以下の文章は、私が阪神大震災の前日に体験した、接神体験(変性意識体験)の記録です。2015年にFacebookに書いた文章で10年ほど前のものですが、ここにも転載させていただきます(少しだけ修正しましたが、ほぼ当時のままの文章です)。
この体験から30年ほど経ち、宗教宗派を超えた普遍的な信仰が確立されてゆく時代的要請が強まっていると感じています。私の個人的体験も、その文脈の中にあると見えます。超長文で拙い文ですが、よろしければお読みください。
世の中の苦しみを見るたびに、
「神はいるのならば、なぜそんな残酷なことをするのだろう」
といったことを、私は幼少期ずっとから思っていました。
「この世に神や仏がいるか」ということに対する、最も普遍的な反論や疑問の一つとして、上記の問いはあると思います。
神や仏がおられるのであれば、この世にはあまりにも残酷なことがあり、
あまりにもやるせない現実が、歴史が数限りなくあります。
私も、ずっとそのことがひっかかり、神や仏がいるとは思えていませんでした。
しかし、阪神大震災があった前日の1995年1月16日に、それがひっくりかえるような転機があったので、
私の認識はそれ以来、違うものになりました。
今回は、そんなことをひとしきり綴らせてください。
尚、かなりの長文であると同時に、そこそこぶっ飛んだ内容ですので、ご注意ください。
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1995年1月といえば、私は大学3年生でした。
4年生を目前に控え、さりとて、一般的な就職の道を歩む気がしておらず、
親の心配の種ではありました。
私は、子供が好きで、「子どもと関わる道を選ぼう」と思い、
関わっていたいくつかの児童関連の団体で働こうか、などとぼんやり考えていました。
そして、内面にはまた別種の悩みがありました。
私は、高校2年の終わりの17歳の時に、「今を生きる」という映画を見て大感動(大ショック)を受け、
「先生になろう」という決意をし、
さらに、「教育全体を変えねば」というとんでもない思いを抱くに至りました。
しかし、ほんの20歳そこそこでろくな経験も力もない私に、何ができるわけもありません。
当時はただ必死に、子どもと関わる活動に体当たりで色々関わり始め、
一方で、「教育変革を志すからには、まず人間を知らねばならない」と思い、心理学や教育書、人間学や、児童書など、手当たり次第に読んでいました。
また、友人から勧められて自己啓発セミナーなどにも行ってみて、
学びと悩みを得てみたりしました。
さらに、私は幼少期に、キリスト教的なものに触れる機会が多めだったので、
神様やキリスト教について考えることが多かったのですが、
歴史の中で学んだ、十字軍や、魔女狩りや、宗教戦争や、その他の様々な暴虐が、
なぜ神の名の下に、また、キリストの名の下に行われるのか、理解できず、嫌悪さえ覚えていました。
シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」という本を読み、
イエス様が世界を旅したりヨガや他宗の学びを得ていたという記述や、
その他、生まれ変わりなどについて書かれていることを読んで興味を抱き、
10代の終わりからは、猛烈に精神世界や宗教、生まれ変わりの研究本なども読んだものです。
それでも、やはり、本を読んだりするだけでは、
本当にそれらのようなことがあるのか、
神様仏様はおられるのか、全く確信が持てませんでした。
それでも、どこかで信じたい思いはあり、
また、「本当のことを知りたい!!!」という思いだけは強烈に持っていました。
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人間、内面に様々な葛藤や、対立方向のベクトルを抱えることは得てしてあることです。
私の場合は、「神などあるものか」と思う自分と、
「神様がおられるのであれば、本当に信じられるようにしてほしい」という思いと、
両方がありました。
その頃出ていた精神世界系の本はかなり色々手広く読んでいたのですが、
「光の手」というNASAに勤めた後ヒーラーになったバーバラさんという人の本に、
「私を神の道具としてください」という祈りの言葉があり、
それを必死に毎日唱えていたのだから、潜在的には信仰心の種はあったのでしょう。
(本を再確認してみたら実際は次のようでした。
「私は、自分を神の意志にゆだねます
私の心と魂を神に捧げます
私は、人生で最上のものを受け取ります
私は人生で最上の目的(神の意志)に仕えます
私は、神をはっきりと感じます」)
神がおられるなら、
「なぜ世界はこんなひどいことがあるのか」、
「それでも我々が生きる意味は何か」、
を尋ねたくて、
知りたくて、
内面で叫ぶように生きていました。
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1994年の夏頃に「愛からの贈り物」という本を手にしました。
「ヴィジョン心理学」というものについて書かれた本で、
永田兼一さんという方が著者でした。
心理学とスピリチュアリティが融合した内容だったので、
引き込まれるように読み、
感激を覚えました。
それからしばらく経ち、
1995年1月頭に「新年会」というものがある、ということで参加して、
当時、貧乏学生だった私が、ビンゴで、
そこそこ値段がするワークショップにぴったりいける割引券が当たり、
「ラッキー!」と飛び上がったものでした。
そして、1月14〜16日のワークショップに参加することになりました。
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参加初日のことは覚えていないのですが、
参加二日目に、その永田氏から、
「あなたはかつて(過去生のこと?)、多くの子どもたちを失った経験をし、痛みを覚えました」ということを、
どのような流れであったか覚えていないのですが伝えられ、
私自身にそのような記憶(自覚)はなかったのですが、突然猛烈な悲しみがあふれかえり、
号泣が止まらなくなったのは不思議なことでした。
とめどなく溢れる涙の中で「おおお!こどもたちよ!!!」という突き上げる心の奥からの叫び悲しみが止まりませんでした。
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さて、二日目が終わり、三日目は瞑想の時間がありました。
瞑想は、それほどそれまで手応えを感じたことがなかったのですが、
その日は忘れられないものとなりました。
馬蹄形になって参加者が椅子に座り、
静かに音楽が流れ、瞑想に入って行きました。
すると、私にとあるヴィジョンが見えてきました。
「見える」というか「体験するように見える」というか。
そこで見えてきたヴィジョンは、私は、牧師か神父のようでした。神に仕える人でした。
孤児院か何かを運営していたのか、多くの子どもたちを面倒見ていたようです。
そして、ペストか戦争か災害か何かで、その子供たちがことごとく無惨に死んでしまった場面を追体験しました。
そこで、当時の私は心底怒りに打ち震え、神に向かって叫んでいました。
「神よ!!!
わたしは、これまであなたを信じてきました。
あなたを信じ、子どもたちを愛し、育ててきました!
それなのになんですか、この仕打ちは!!
どうしてあなたはこんなに酷いことをなさるのだ!!!
どうしてこれ以上、神など信じられようか!!
私はもう二度と神など信じない!!!」
そのような悪態を、天に向かってつき、
そうして、神職(?)を捨て、放浪に出たことを、
追体験しました。
しかし、同時に、不思議な光を一方で覚えていました。
悪態をついている過去の自分を追体験しながら、
その自分に向かって神の暖かい愛の光が、静かに確かに、ずっと降り注いでいました。。。。。
当時の私にはわからなかった神の愛が、
瞑想で追体験している私に、はっきりと感じられていました。
それはあまりに素晴らしく、暖かく、想像を絶する愛の光だったので、
涙がまた、後から後からあふれて止まらなくなりました。
そして、当時(過去生?)の私にはわかっていなかったし、
その瞑想の中でもはっきりはわかりませんでしたが、
子どもたちの死にも私が受けた苦しみにも意味と原因(遠因)があり、
「基本的に、神ではなく、我々人間が間違いを犯したり、原因を作り出す中で、結果が生じてきている」
ということが優しく諭されてきました。
そして、「それは確かに真実だ」という感覚が自分の中に湧いてきました。
その時、その遠因までは伝えられなかったのですが。。
(どなたかに対して「それはあなたが過去生で犯したことが原因になっているのだ」と安易に断じることは、別の意味で危険なことだと思います。宗教の勧誘などでよくあることですが。)
私は、瞑想の中で、椅子から地面に降りて、そこに跪き、
「ああ、神様!!申し訳ありません!!!
私がわかっていなかったのです。
私はあなたをののしって、それから、やさぐれてしまっていました。
あなたはずっと愛してくださって、見守ってくださっていたのに、
私の心の目が暗く、真実が見えていなかったのです。
私をどうぞお許しください!!
私の不信仰をどうぞお許しください。
もう二度と、この人生では、あなた様を疑いません。」と必死に地面に頭を擦り付けながら祈りました。。。
もう必死に。。。。
椅子から床に降りて、土下座のように頭を床につけて許しを乞うていました。
すると、
ものすごく巨大で強烈な光が迫ってきて、
私は、空前絶後の光の中に飛び込んでいきました。
その光は本当に強烈でした。もう本当に強烈です!!!!!
それは神の光と愛で、想像を絶するものでした。本当に絶大な光と愛と叡智でした。
それは私の想像を極限まではるかに超え、あまりに巨大で、完全な愛と叡智に満たされていました。
「わ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!」
と驚いていると、
その巨大な光の中に、たくさんの大小様々な光があり、
そして、私たち人間が、やはり光の種を宿しており、
神の愛の光を内に抱く存在だとわかりました。
そして、その光の周りに、黒い殻をまとい、
それは恐れや不安、疑念や認識不足、暗い観念や不信心などで出来ていて、
私たちの心ががんじがらめになり、
認識の経路が閉ざされ、
自らの内にある光も、
外にある光も、
両方が見えない状態に陥っていることがはっきり見て取れました。
周りを見渡すと、多くのほとんどの人がそのようであることが見えました。
そして、
その瞑想から醒めたら、
私もまた、その殻に再びとらわれ、
内の光も外の光も見えにくくなり、
「ちっぽけな殻が自分である」と現実生活の中で感じ始めてしまうことが見えました。
そこで、また必死に私は祈りました。
「神様。この瞑想から醒めたら、私は元に戻って行ってしまいます。
そのことがわかります。
しかし、私ははっきりと神様の光にまみえました。
この宇宙の本質がこのように巨大で素晴らしい愛の光であるとわかりました。
この事実を伝えていくには、今の私はあまりに弱く、力がありません。
ですから、いつかしっかりとこの事実を宣べ伝え、
私だけでなく、多くの人が、この宇宙の本質に目覚めて行けるよう、
そのために私も働けますようにお育てください。
御導き下さい。
そこに至るための梯子をかけてください。
どうか、私が貴方様の使いとして働くことができますように。
私を使えるものにお育てください。
・・・・。。」
普通の意識に戻っていく中で、
私は、自分の弱さや、使えなさを痛感してみていたので、
なんとか、この現実世界でも、本当の真実の世界が伝えられるように、
導かれるよう祈りました。
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すると、私の腕がだんだん上がってきました。
自然に上がっていくので、そのままにしていると、
腕がまっすぐ横になった形で止まり、
それから、体の前面がビリビリしだして、
強烈な光を前面に放ち始めました。
十字架の光が正面に飛び続け、
暗闇へとずっと飛んで行き、
前方は地平線だったようで、
そちらにずっと光が強烈に飛び続けました。
最後に朝日が昇ると、私のビリビリが止み始め、
だんだん腕が降りて行き、
そうして、最後にはとても静かになりました。
とても静かになって、佇んでいると、
思いもよらぬことでしたが、
額の上の方にイエス様の微笑む顔が見えました。。。。。
「ああ!!!!イエス様!!!!!
イエス様はおられたんですか!!!!」
と驚きを持って、あいまみえました。
私の父方の家系は、プロテスタント系が多く、
キリスト教の色彩が濃い環境に私は育ちました。
しかし、イエス様がおられるというのは、全く信じられないでいました。
10代の終わりに精神世界・ニューエイジ思想に触れても、イエス様のことを信じる気持ちは起きませんでした。
「キリストの本質を知りたい」という深い願いだけはあったのですが。。
イエス様に静かに見守られていると、
「それではだんだん、瞑想から現実に戻ってゆきます」という永田氏の声がして、
時間が来たことを知りました。
ゆっくり瞑想から現実の部屋に意識を戻してきながら、
私は、「とうとう自分が一番知りたかったことが知らされた」という喜びに深く打たれていました。
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瞑想から覚めると、他の方もいろいろなことを感じられたようですが、
私のようにとんでもないケースではなかったように見受けられました。
私は、思わず永田氏に深く最敬礼をして、
周りの参加者の方が少し奇異の目で見ておられましたが、気にせず感謝を伝えました。
出会いというものの中でも、本当に得難い出会いはあるものです。
永田氏との出会いは、私にとっては、人生で最大のものの一つでした。
ここに改めて感謝をお伝えします。
昨年2014年に、実に19年ぶりに氏とは再会を果たしました。
私は1995年に連れ合いが妊娠し、連れ合いも娘も障害があったことで、気軽に出歩けなくなりました。
また、連れ合いが、宗教や精神世界に関して、障害を持つがゆえに差別を受けてきたというか、ダメージを受けてきたこともあって、
私の持つ信仰心や精神性に対して批判的な面が強かったので、
私の修行期間となりました。
20年の時を経て、一般には初めてこのようなことを書き記しております。
そろそろ次なるステージが来て、もう自らの内に閉じ込めておく段階を過ぎたことを感じることによります。
私にとって、パートナーであった彼女は、最も大切な学びの関係であったと感じます。
聖書に「神は愛するものを鍛えたもう」という言葉があります。
まさに、愛され、鍛えられた20年でした。
夫婦というパートナーシップは解消しましたが、
改めて、彼女にも感謝を伝えます。
かけがえのない学びの機会をありがとう。
そして、わが愛する娘にも。
娘の存在は、私にとって人生最大の贈り物でした。
娘がやってきてくれたおかげで、私の人生は本当に意味深いものになった。
1995年に彼女は宿ったのですが、
誠に1995年は、私にとって人生の一大転機でした。
そして最大のもののであったように思います。
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さて、私は、1月16日の日に帰宅していると、
多幸感が襲ってきました。
変性意識を体験すると、よくあることのようですが。
普通にしているだけで、幸せ感が湧いてきて止まりません。
そして、帰り道に鼻歌を歌っていると、胸と喉のあたりのつかえが取れた感じがして、
自分の声が変化したことを感じ、とても変な話ですが、自分の声に涙が出ました(笑)。
そして、その翌日、バイト先に行ったら、テレビで、阪神大震災のニュースが流れていました。
自分の故郷である神戸が大変なことになっていることを知り、これにもほんとうに驚愕しました。。。
親戚の家などはなかなか連絡がつかず、母がやっと連絡をつけると、
家の中がむちゃくちゃになり、ミキサーにかかったようだということでした。
複数の親戚がいましたが、命に別状はありませんでした。
私は、阪神大震災の時は、神戸に支援に行くなどができませんでした。
しかし、それからずいぶん経って2011年の東日本大震災では、
また人生が変わるような展開になり、
故郷の震災に何もできなかったことを償うように、活動を開始しました。
それにしても、いろいろな意味で1995年は忘れ難いものになりました。
その後、オウム真理教の事件がその年に明るみに出て、
世間は宗教や精神世界に厳しい目を向けるようになりました。
当然のことではありますが。
社会はそのような宗教の負の側面を見て、
まがい物を見分ける目を養う必要があったのでしょう。
私の母は、「あんたがオウムに入らなくてよかったわ。あんた危なっかしいから」
と時々ぼやいていました。
お母さん、こう見えても慎重に、物事見てますから。
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その後、私のことを案じる母が、
自分の通う教会の牧師さんに相談し、
「あの子がおかしくなってないか見ていただきたい」という御願いをしたようです。
私は出向いて行って、牧師さんと会い、お話をしました。
上記のような体験のほんの一端や、
その他、私が研究してきた精神世界的なことなどをお話ししたら、
後日、「あなたのお子さんは悪魔に取り憑かれてます」という判定でした。
「どうも、一般的な教会の方からは理解されないようだなあ」という手応えがわかって、
勉強になりました。
いろいろ勉強ですね。
1995年といえば、その後、
エドガー・ケイシー的な本格的な「リーディング」ということを行う浅野信氏という方の本を読み、
感激し、リーディングというものを受け、感激したのもその夏のことでした。
これまで、その浅野氏に師事しながら、20年ほど研鑽を深めてきたことなどは、またいつかの話で。
いずれにしても、私はますます理解され難き世界を生きることとなり、
しかし神は我を見放さず、で、
なんとかかんとか、ここまでやってまいりました。
そんわけで、「そろそろ私も、自分の信仰心を隠すのも終わりにしようか」と昨年ぐらいから思い始めましたので、
ここに誤解を恐れながら、記させていただきます(笑)。
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このような体験を経まして、私は、信仰を持つに至り、
イエス様にご縁を深く覚えながら、
何教何宗に限定されぬ、
この宇宙の本質は一つであり、
神とも仏とも言われる、大いなる存在の光のもとで全ての根源は一つである、
という根底的な視点を持って生きることになりました。
かくして、私は信仰に導かれました。
求めよさらば与えられんです。
ただ、人には縁があるものですから、
私にはキリスト系の縁が深いもので、
キリスト教的な物言いのが多いのですが、
イエスという人物が普遍的なことを述べていた、
という視座に立っての言動としてご理解いただければ幸いです。
私の最も敬愛する人物はイエスという人物であり、
私は、その意味でいえばクリスチャンです。
しかし、教会には属していませんし、
仏教や古神道なども好きです。
般若心経を唱えたり、神社で祝詞を唱えたりも致します。
また宗教間の相互理解も、この時代において喫緊の非常に重要な課題でありテーマですので、
キリスト教にだけ真実があるなどとは申しません。
ただ、イエスという人物が宣べ伝えたことには、非常に深遠な叡智があると感じ、
中心的にはそこに棹さすものではあります。
そのような形のキリスト者としてお捉えいただくのが近いでしょうか。
自らの信仰心を名付けようもない部分があるのですが。
くどくど失礼しました。
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一応、これをもって、昨年クリスマスに匂わせるように書いたことの具体的内容を書かせていただきました。
私にとって、信仰は人生の中核です。
それをこのような形で恐縮ですが、不特定多数の方もご覧になるかもしれぬところに、初めて記させていただきます。
神に栄光がありますように。
2015年1月18日
追記
この記事を書いてから10年近くの時が経過しました。体験からは30年近くが経過しました。
心境や状況が変わった面がありますが、基本的にこの時の体験が私にとっての核となっています。
小さき人間の認識力を通しては捉えようもない大いなる存在を、私たち人類は「神」や「仏」と呼んだりして、崇めてきた歴史があります。
無神論が大勢を占める世界的情勢となってきて、改めて、従来の形を超えた、普遍的な信仰や認識が求められる時代となってきたことを感じています。
私たち人類が、本源を思い出し、この地上においても大いなる神の御国が実現してゆく一助となれますように。