肌で感じる

一昨日1年振りに大学に行った。
正確には大学で講義を受けたのが1年振りだった。
図書館利用などのために何度か大学には行っていたからだ。

キャンパス内を多くの学生が移動する様子は新鮮だった。
私はゼミへ出席するために自分の学部棟に向かった。

通常、ゼミなど議論を中心とするクラスは机がコの字型に並べられる。
しかしこの状況下ではそうはいかないらしい。
講義室に入ると平行に並べられた机が目に入った。
前から3列目の右端に座り、iPhoneを大学のWi-Fiに接続した。
空き時間はドラマかYouTubeを観るのが習慣だったことを思い出す。

しばらくすると同期たちが疎らに入ってきた。
教壇に設置された三面鏡のような形状のアクリル板が少し面白い。
春休み明けとは思えない落ち着いた雰囲気が奇妙だった。

教授が少し疲れた様子で入ってくる。
1年生と学内を回ってきたらしい。アーチェリー場は確かに遠い。

淡々とゼミが始まる。
マスクをしたままで3年生の顔は分からないらしい。
私のことは分かったようで良かった。
というか、分からないと困る。
1年生から先生の講義を1番前で受けてきたのはきっと私だけだろう。

換気のために開けられている窓から入ってきた風がカーテンを揺らす。
光が差し込むとプロジェクターから映し出されるパワーポイントがよく見えなくなる。

どこの電気を消せば見やすくなるのか、教授がカチカチしている間、黒板にうっすら残る英語の講義の痕跡を見る。

ゼミの活動内容やら文献購読のテーマやら、話しているうちに終わりの時間が来た。
少し早めに終わるのはなんとも初回授業らしい。
1本前の電車に乗れる嬉しさに包まれ、学部棟を出た。

友達と同じ講義を敢えて取るタイプではない。
ただ、話を聞いている人、メモを取る人、他の課題をしている人、スマホで動画を見てる人、寝ている人。
そういう雑多な環境をどこか心地よく感じているのかもしれない。

学ぶという行為において、雰囲気は必ずしも不要ではない。

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