名前は盾になる

私は昨日マセキライブサークルというマセキ芸能社の有料会員になった。
パーパーのほしのディスコさんのコラム「星屑物語」を読むためだ。

「星屑物語」というタイトルが目映い光を放つ一方で、何かの拍子に崩れてしまいそうなそんなほしのさんの姿を想像させる。

有料コンテンツなので詳細は避けるが、「ほしのディスコ」と「星野一成」という2つの側面について語られている。
「星屑物語」では今後「星野一成」の部分について綴られるそうだ。

彼のファンとして彼が彼自身をどのように語るのか、読むことができることがとても楽しみだけれど、私は思う。
無理をしなくても良いのだと。
「ほしのディスコ」は常に「星野一成」を守ってきたのではないかと、私はそう思うからだ。
そう思うのは、私も彼と同じで純度100%の自分を誰にも見せられないそういう人種だからだろうか。

私には3つ名前がある。
本名、中高演劇部時代のあだ名、そしてこのカニちゃんという名前だ。
正直な話、フラットに本名で呼ばれる場所は大学とか病院の受付とかくらいだろう。
この3つの名前は時に混ざり合いながら、「私」という存在を作り上げている。
その「私」とは誰なのか、私にはさっぱり分からないけれど。

昨今、誹謗中傷が強く問題視されるようになってきた。
そんなニュースを見る度、私はいつも名前というものについて考える。

ともあれ、ほしのさんが世に送り出したものは全て、ファンとして受け入れたいし、お金を支払いたい。
でも、期待に応えようとして、迎合する必要はない。
あくまでも彼の理想を究めていてほしいと私は今日も願っている。

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