夕暮れ時の不思議な人々
こんにちは、にっしーです。
子供の頃の話です。
しかも正解はなんだったのか、今でも分からない話です。
ほんわかした話しではないので、最後までお読みになられるかは、皆さんのご判断にお任せします。
今でも時々思い出すんですよね。
あの人達はなんだったのか、って。
私が育ったのは、海沿いの町の山の方でした。
小さな古墳が点在してたので、昔々から人々が暮らしていた地域なのでしょう。
季節は……。
夕方で薄暗かった記憶がありますから、冬ではないけれど、寒くなり始めるころだと思います。
いつの頃か、駅の方から歩いて来る集団が気になっていました。
10人ほどの男女で、年齢的には中高年って感じ。
なぜ気になっていたのか?
普通、それくらいの集団だと、賑やかにおしゃべりしてそうじゃないですか。
それが無言で歩いてるんです。
なんとなく暗い感じで。
しかも集団の後ろ姿を目で追ってると、山に入る道を進んでるんですけど、その先には神主も常駐してない神社があるだけなんです。
本当はその先へ続く道があったのに、子供の私が知らなかっただけかも知れません。
でもどっちにしても山の中です。
集落があるなんて話も聞きません。
服装もマチマチなその集団を目で追ってると、お隣さんのおばさんが同じように、その集団の後ろ姿を見ていることに気が付きました。
一瞬、おばさんは困った所を見られちゃったな、って顔に。
お隣さんなので、よく知ってるし、よく話をする人でした。
「おばちゃん。時々見かけるけど、あの人達ってなに? どこに行ってるの?」
私の質問に、おばさんは、明らかに困った顔になりました。
雰囲気としては、知ってるけど、子供に話して良いものか? って感じです。
おばさんは、私に近付いて、小声で早口に言いました。
「あの人達は、※※だから」
「えっ?」
早口だったのと、それを聞かれるのを避けるかのような話し方だったので
聞き取れません。
聞き返そうとしたら、おばさんが遮るように言葉を続けました。
「あの人達に関わらない方が良いから。わたしも今のことは誰にも言わないから。あんたも誰にも話さない方が良いよ」
本当におばさんは困った顔で言うので、子供心にも、もうこれ以上は聞いちゃいけないな、って思いました。
だって仲良しのお隣のおばさんを困らせたくないですからね。
少し大きくなって、駅の向こう側の塾へ通うようになりました。
塾へは、駅の中を通って行きます。
ある日、改札からあの人達が出て来るのを見てしまったのです。
毎回同じ人達だったのかは分かりません。
でも空気感で、あの人達だ! って分かりました。
改札の駅員さんも、俯いてその人達をあまり見ないようにしてる風でした。
その人達が階段を下りて、見えなくなってから、改札の駅員さんに話しかけました。
駅員さんは、少し驚いたようです。
困った所を見られちゃったな、って感じでした。
「あの人達って、何しに来るの? 山の中に向かってるみたいだけど」
駅員さんは、そこまで知ってるのか!? って少し驚いた顔に。
そして、周囲に誰もいないのを素早く確認すると、小声で言いました。
「拝み屋だよ」
えっ?
戸惑ってると、駅員さんは、もうあっちへ行け、と手で合図。
顔も困ってました。
ここからは私の想像です。
父の実家がある島にも、拝み屋と呼ばれてる家がありました。
狐憑きを落としたり、医者が見放した病気を治したりすると聞いてました。
昭和と言っても、カラーテレビやクーラーが当り前に家庭に普及してる時代の話です。
子供心にも、さすがに胡散臭いと思います。
拝み屋と言っても、呪いじゃないよな、とも思いました。
聞いてる作法と違うからです。
呪いは集団で行うものじゃないと聞いてましたし。
思うに、家族の誰かが心の病で、当然、病院が同じなら、患者の親同士も顔見知りになるハズです。
どこからか拝み屋の話を聞いて、神頼みのように、定期的にそこに通ってる集団だったのではないでしょうか。
さて、この話には、オチと言いますか、後日談があります。
さらに数年後、夜に近所で火事がありました。
近所には友達も多く住んでるので、気になります。
外に情報収集に行っていた父が言うには、山の方だと。
炊き出しに行くことは無い、と聞くと母はホッとした顔に。
近所で火事があると、そこの家族を公民館に避難させて、その家族や消防団に炊き出しを行うのが婦人会の役割だったからです。
さらに数日後。
燃えたのは拝み屋の家で、出動した消防団は、周囲に燃え広がらないように、注意しつつ、消火活動はしないで見てるだけだったと。
それからすると、あまりスジの良いとは言えない拝みだったのかもですね。
それから拝み屋がどうなったのかは、分かりません。
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