7月の月報に変えて(わたしとガチャの話)
7月のお給料が出た! というわけで月報を書こうとしたのだけど、7月は途中でやる気をなくしたため金銭の記録をつけていない。何故かというと明らかにお金を使いすぎたからである。しかも結果として、とても不本意なお金の使い方をした。
ガチャを天井したのである。
わたしはいままで、ガチャの天井というものをしたことがなかった。最近、もう五年ほどおっかけている二次元アイドルジャンルがソシャゲをリリースした。そして、推しのガチャが来た。
ガチャは一回回すごとに、「クラウン」がもらえ、それが200個溜まると好きなカードと交換してもらえる。つまり、200連が天井ということになる。ざっと計算すると、大体約六万円くらいになるだろうか。
それに近い金額を、わたしは推しのガチャに課金した。どうしても推しのカードが欲しかった。どうしても欲しかったのならなんら不本意なことはないだろう。納得ずくのことではないか、と思われるむきがあると思う。
ちなみにわたしは普段、使ったお金に対してほんとうに頓着しない人間だ。推しジャンルに二桁台のグッズ代金をつぎ込んだときも、高額の買い物に失敗したときも、まあこんなこともあるよね、で済ませて生きてきた。
その自分が、今回だけはダメだった。ほんとうに不本意だった。なぜ自分は今回に限って、こんなにも、お金を支出したことを後悔しているのか。
以下の文章は、その問いに関する自問自答と分析であり、いわゆる一つのお気持ち表明である。
この前文を読んで、なにか自分のポリシーに反することが書かれていそうだなとか、不愉快な思いをしそうだなとか思った方は、今すぐバックして欲しい。
わたしは自分のお気持ちと今後のためにこの文章を書いた。書かずにはいられなかった、ともいえる。
まずはそのゲームを天井した時の状況について説明したい。
そのゲームには、ガチャでURが来たときに特殊演出がある。ボイスとともにサイリウムが輝き、推しの3Dがファンサをしてくれる。3Dは非常に美麗であり、推しでないキャラの3Dにもときめいた。なのでその演出が、わたしはどうしても見たかった。
しかし、クラウンを200個ためて交換したカードにはなんの演出もなく、ボイスも3Dもなく、ただカードがぴろんと渡されるだけだったのである。
わたしの落胆は大きかった。あまりに落胆したので、わたしはそれからそのゲームを一度も起動していない。
同時に激しい怒りも感じた。我ながら理不尽とも思えるくらいの怒りだった。
では、なぜわたしはそんなに落胆し、なぜそんなに怒ったのか。
そもそも、ガチャでわたしは何を買おうとしていたのかと考えたときに、それは、「推しのすべてを所有したい欲」を見たそうとしているのではないかと思うのである。
いくらストーリーが付いている、お衣装が付いていると言ったって、ガチャで得られるカードの本質は、乱暴な言い方をすればただのJPEGだ。
じゃあそのJPEGになぜ六万円の金を払うのかというと、推しのすべてを所有したいからである、とわたしは思った。
わたしは、わたしの知らない推しがあることが我慢できなかったのではないか。わたしは心の底から推しのことが好きだ。まだ見てない推しの顔があるならすべてを見たい。だからここにきて、天井童貞を捨てたのである。
しかし、その「すべてを見たい!」に対しての公式の答えは、「お金を払って得たカードには演出は付けないよ」だった。要約すれば、「お金を払っても推しのすべては見せてあげないよ」である。
金を払って得た結果がそれでは、わたしは六万円払って、「金を積んでも推しのすべては見られないという惨めさ」を買ったようなものである。
わたしにとって、今回のこれは買い物に失敗したわけではない。わたしは金を払って「惨めさ」を買ったのだ。
だからわたしはこんなに落胆し、こんなに怒っているのだ、と結論づけた。
もちろん公式は、クラウンで得たカードにも演出を付けるよと明言したわけではない。わたしが勝手に演出がつくものと思い込んで、勝手にお金を積んだだけだ。公式に非はないだろうとわたしは思う。
ただ、わたしにとって、わたしが感じた惨めさは絶対的に正しい。わたしの惨めさをわたしだけは肯定すべきであろう。
そして、運で得たカードとお金を積んだカードに差が付けられていることを理不尽と感じ、怒ることもわたしの心の自由であろうと思う。
だからわたしは、二度とそのゲームに課金はしないと思う。大事なことなので二回言ってしまうが、運で出したカードと、お金を払ったカードで見られる演出が違うというのは、わたしにとっては非常に非合理であり、理不尽だからだ。
さらに繰り返すが、これらはすべて、わたしにとっては、の話である。改善を求めるメールは送ったが、公式を責めるつもりはない。けどわたしは仮にガチャの仕様が改善されたとしても、もう課金はしないと思う。そのゲームが、一度わたしに「惨めさ」を売ったという事実は消えないし、わたしはこのことを、五年は引きずるだろうと自分で思うからだ。
我ながら、執念深くて嫌になる。けれどこれも繰り返しになるが、わたしの惨めさと悔しさを、わたしだけは肯定したいとも思う。そうしないと、この経験はほんとうに無駄になるからだ。
この文章を書き記した意味というのはつまり、今後天井をする時には、演出があるかないか事前に人の反応を調べる!! ということを記憶に刻むためである。
ここがわたしの地雷ポイントだと分かったので、できる限り回避していかなければならない。けれどわたしはもの覚えが悪いし、同じ過ちを繰り返しがちな人間だ。
ここまで自問自答と分析をすれば、少しはわたしの魂に刻まれただろう。
これは徹頭徹尾わたしのための文章で、あなたを不快にさせることを意図してはいないし、何か反応が欲しいものでもない。
ここまで読んで、なにかむかっとしたり、不快に思った人がいたなら申し訳なかった。
ただ、わたしはこの文章を残したかった。
記憶に残したい、買い物の失敗であった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?