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自己実現に勝ちと負けは無いのかという問い

2023年末。
ちょうど一年前は、NPO関係で岡山に。
3日程度の滞在中常に動いたり、イベントをワンデイ通したり
それも、高校の友達が設立したNPO法人で。

2018年からご縁が今でも繋がっている仙台の企業さんと大阪市のとある連盟、それにTRYBEの健太と一緒にビジネスコンテストを共催。
メンターとしてケアしていたチームが優勝してそのNPO法人を設立。
青春し続けられる世界を創造する理念の元、そのままジョインして名ばかりではあるがCFOの役職を頂き活動していた。

岡山滞在中に大きなハップン。
NewsPicksに出演が決まった。収録日の5日前位に連絡が来た。
急ピッチでスライドの制作、エレベーターピッチの準備、エントリーシートの記入をして東京に来て欲しいと。

どっちも手を抜けない環境下で、なんとか実行させて
収録開始。

収録終了後、とてつもない悔しさや自己嫌悪から感情を抑えることが出来なくて、帰り道に泣いたあの日から
2023年は「勝つ事の大切さ」をテーマに過ごすと改心した。


2023年1月
悔しさの鮮度を保ちながら、頑張る人の活動時間を最大化するファイトマネージャーを成長させるために、ターゲットの声を集める。
集めた声から重なる要素を見つけて、イケそう感でテンションが上がる。

「この機能がみんなは欲しいんだ!」

Studio部門では、通常通り、クラウドファンディング総合型のコンサルティングを。
たまに、プロデュースから入って欲しいと言わ
流れでポータブルシーシャのプロデュースに。北の達人を超えるにはどうしたら良いかすごい研究した。

2月
銀行やエンジェルにアプローチ。
共通の声から、割合を出して、マーケットサイズを出して、単価を掛けて
シェア%を出してみると12億1千万円をSAMで狙えそう。
その為にはエンジニアがいなかった。
そして、手動MVPでも対処出来ない領域まで来たので調達を考えていた。
しかし、現状の景色からなんとなく変わっていない感じが。
今だから思うと、変に未来の仕組み化からUXを考えすぎて、目の前にある課題の解像度が上げられずにいたんかな
「言ってることは分かります。ただ、MVPを動かしている現状から数字の話がない」そんな事をサイバーエージェントキャピタルから言われた気がする。
(違ってたらごめんなさい)
この時は、人間が自身の成長をどうしたら実感するのかみたいな数式がズラッと書いている論文をひたすら読んでいたと思う。
田所さんに教えてもらった理由やけど。

他にも、ソニーのアクセラにイレギュラー参戦させていただけた。
安藤さん本当にありがとうございます。
あの経験は、今ものすごい大切な要素として、機能しています。
この話は、11月?12月の話

この時期から、アルバイトを辞める雰囲気が同期の中で漂ってきて
最後の青春を楽しむってわけじゃないけど、事業のこともしながら
学生っぽいこともしながらって感じでした。
楽しかったなぁ。生まれ変わっても、あのメンツでエンターテイメントをしたいな。

3月
チャットGPTの使い方に慣れてきた。
けど、APIの事が難しすぎて、プログラミングを若干かじっている子をリクルートに成功。ファイトマネージャーの手動MVPが加速する!!そう思っていたけど、難しくて、その子も僕も苦戦。

仙台の会社の方を大阪に招いて、全前職のTRYBEのメンバーとゆうじろうでディレクター勉強会。
先日仙台の会社の代表とオンラインで話す機会があって、今での勉強会で学んだフォーマットを使わせていただいている事を伝えられた。
あのフォーマットは本当にお世話になってます!学んだその日は圧巻すぎてリアクションがめちゃくちゃ薄かった事を覚えています。

アルバイト卒業。
身の程をわきまえず、社員さんや先輩と後輩に「絶対、寄せ書きかいて〜な〜」って言うのを2月くらいから言いまくってたからなのか、用意してくれた。
卒業の日はバックヤードでめちゃくちゃ泣いたし、現場でも泣きました。
こんな職場を作ったあの会社はまじですごいなって思った。
この時の気持ちを残したくて、それのnoteも書いたけど
載せられない事が多くて、まだ下書きにあります。

退学届を健太と出しに行きましたね

4月
同期が入社するという、僕的に一大月。
青春し続けられる世界を創造する事に、今の友達と一緒になにか興す事は必須条件では無い。
でも、十分条件であって、むしろ、必要条件であって欲しいというエゴもある。
いつか皆が学生じゃなくなる時が来る。
それは就職するのか、僕たちとなにかするのか。
それは分からないが、できれば後者になって欲しい。
そう願っていた未来だった。
悲しい。寂しい?

ここから好きな事で誰かを喜ばせられる人を増やすビジョンのセグメントが”大学生”になった。
色んな余がある。

この月からはStudio部門でアジア圏ののクライアントが増えた。
もちろん、異国語は得意じゃない、日本語もあんまり得意じゃないのに。
ただ、リファラルしてくださった。本当にありがたい話です。
社会人になった同期がストーリーの更新頻度が下がってきたので、おのずとWechatの使用頻度が増えました


5月
元々、過眠体質で午前の時間が少ないライフスタイルを送っていた。
それも変えないとなぁと、無理やり予定を入れるために早朝バイトを始めてみた。短時間だけだから、終業したらそのまま近くのオフィスに行けばいいやん!普段寝ていた時間もお金に変わるし、生活習慣も正しくなって精神健康なゆうじろうになれるだろうと。
恐縮だけど、思ってからの行動と着地までのスピードが早い。
思う→オフィス付近の早朝バイト求人を探す→面接はその場採用☆
一週間後から勤務開始☆

早朝バイトの経験も、後付でFumidaiStudioの23年を大きく動かすイベントになる。これは8月くらいの話?
因みに、そのバイト先は三ヶ月で辞めました☆

他にも、FumidaiStudioにメンバーが増えて、伝統工芸品の事をしたり。
ゆうじろう自身は一人暮らしを考えたりと環境がガッツリ変わろうとしてました。


6月
三線を始めました。
三味線とは違う。和楽器始めたかった。
楽器ってリフレッシュにめちゃくちゃ良いんよね。手先が動いて脳の活性化になるし、聴覚の刺激にもなる。音のミスがあれば、修正して、正しい音が出る。フィードバックまでが早いから、嬉しい達成感。正しいと定義されているのもがあって、それに沿うと正しくなれるって、どことなく空虚な感じもするけどなぁ

5月に書いた伝統工芸品産業の事業で、陶器系の梱包をプロりました。
思いっきり地面に投げつけても、自分が乗っかても割れない梱包です。
一社の代理販売まで取ってきたのですが、クライアントに見せたら
梱包耐久テストの動画がカオスすぎて笑ってました。

IVSも行きました!
みんなLOOP乗ってたね!最終日に急に雨降ってきたね!
今でもIVS2023アニメティーのバッグを使ってるのは世界で祐次郎だけちゃうかな?



7月からは23年の大きな変異点がありました。
それがきっかけなのか分からないのですが、最近は京都で歩いている時や、作業している時に、嬉しい事があるんです。

それが「名前と髪色で覚えています!」

初めましての方が圧倒的に多いのですが、7月から12月の活動でFumidaiStudioよりも「狐塚」や「白髪くん」みたいな相性が一人歩きする用になりました。
とてもありがたいことです。
(FumidaiStudioとか、青春とかも覚えて頂ければです。贅沢ですね笑)

でも、それくらいボリューミなので、一旦ここまで23年前半戦でした。
ここまでで、勝負の少なさや勝利の有無など23年のテーマを考えると
テーマ通りの1年ではない気もしてます。

ただ、23年は「移」という単語がキレイにフィットするかなぁ

自己実現に勝ちと負けは無いのかという問い

(目次から一気にここだけ読んだ人はタイトルまで戻ってね♪)

「自己実現に勝ちと負けは無いのかという問い」には
自分の幸せを追求して普及するには、資本競争か民主共創かでも、それ以外かでも、
仮想敵と戦う必要があるのかなぁ
よく分からんけど、仮想敵に負ける≒夢や事業成長を諦めるなら
22年末のユウジロウは負けてはない。
でも、勝ってもいない、戦う敵を変えた。それは自己実現である、好きなことで誰かを喜ばさられる人を増やしまくった世界にするため。
もし、ホリエモンに今以上に猛烈に詰められて、心が折れてファイトマネージャーはもう嫌だ!辞める!となった場合、ゆうじろうは自己実現に負けて、ファイトマネージャーで救えたであろう人たちの人生を変えれなかったことでしょうね!


後半も頑張って書きます⤴


@Google for startups Campus
With Skyland VenturesTシャツとキャピタリストのサカイさんから頂いたクッキを食べるゆうじろう

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