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イヤの奥にあるものに気づいてほしい

「イヤだ」と言える環境があるのは、とっても素晴らしいと思う。

「イヤだ」が言える人は、
他人の「イヤだ」を受け止めることができるから。

嫌だと言えない人は、
「イヤだ」と素直に言う人に対して、
ザワザワしたり、怒りを感じたりすることがある。

それは、『私は嫌だといわずに我慢しているのに。』
『どうして、あの人は「イヤだ」と言っても許されるの?!』が
心の奥に隠れていたりするんだよね。


とはいえ、
「イヤだ」が言えない人の方が多いんじゃないかな。
その背景には、
「嫌だといってはイケナイ」と思っている人がたくさんいるから。

嫌だというと、叱られた。怒られた。呆れられた。
なんなら、ハッキリと『嫌だというな!言うことを聞け!』と
親や先生、目上の人に言われてきた人も少なくないんじゃないかな?


「イヤ」が通る、通らないにしても、
自分の気持ちが素直に出せる 人・環境 があれば、
気持ちを押し殺して苦しくなることもないし、
それが「怒り」という形で現れることもない。

どんな自分も受け止めてくれる人がいる
(※受け入れる じゃないよ)
それだけでも、安心だよね。



でね。
「嫌だ」を言われ時、どうしてますか?


例えば、
「学校(仕事)へ行きたくない」と、子どもに言われたとき。

今、ものすごく多いですよね。
私個人としては、行かなくていいと思うんです。


一昔前なんて、
「学校へ行きたくない」って言ったものなら、
制服に無理やり着替えさせられて、引きずられながら
無理やり学校へ連れていかれた。
そんな経験をした人、実際に子どもにした人もいると思います。


実際に私は、学校へ行きたくない と思った事は一度もないけど、
習いごとへ行きたくないのは、毎回ありましたね。

「行きたくない」「休みたい」と言うと叱られるので、
『おなかが痛い』って言ったりしたけど、
全く、休ませてもらえなかった(T_T)



話を戻して・・・
「学校(仕事)へ行きたくない」と、言われたら、『休ませる』もあり。
行きたくない日だってあるしね。


”学校へ行きたくない” ということができる。
言ってもいいんだ という関係性は大事。

だけど、
「学校へ行きたくない」が毎日、毎日続くのなら、
”休ませる”だけじゃなくて、

どうして行きたくないのか。
行きたくない”理由”を聞いてあげてほしいんです。

奥にある「SOS」に気づいてほしいんです。


その”核心”の部分を、
言えない(言うことができない)が隠れている可能性があるから。


行きたくない →  じゃ、行かなくていいよ
(こんな単純ではないですが)


その奥の SOS を察知してあげてほしいんです。
子どもだけじゃなく、子育て中の母親も、みんなです。


その奥のSOSを受け止めてほしいと思います。

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