最近感じる流れ、諸々雑記

雑多なメモになりますが、感じるところを。

・7月末に「もう本当にいい加減、変わらなきゃ前は進めないな」ってしっかり絶望して腹括った瞬間があった。その時から今までの意識と行動の変化はとても大きく、もう後戻りすることはほぼないなと確信するくらい大きいものとなった。これまでも全力でやって来た自負があるけど、全っっ然生ぬるかったと思うぐらい。

・腹を括るとはどういうことなのかがやっと腑に落ちた。具体的にどうであるかが実体験を持って分かった。人に伝えられるレベルで。
変わりたいと言いながら変わらない理由の一番大きな本山みたいなものが分かったし、それを選びたくなる反作用も分かった。そこは感情や感覚だけを頼りにしていたら見えなかった部分だった。

・8月は災害が多発しているが、何だかいよいよ来年以降に向けての全体アラートが鳴り始めたような感覚がある。
すぐに何かが起こるって訳ではなく、今年の残りの時間の過ごし方は今までと比にならないほど重要な気が。私もまず自分のことで片付いてないことを片っ端からクリアにし続けている。いよいよ佳境、な感じがあるからちょっと急ぎ足な感じが出てきた。まあ急いでも、どうであっても、起こることが起こるのだけど。

・好きだの嫌いだのも大事なセンサーの一つだけど、そこに過度に囚われすぎていたら見えないことが沢山ある。特に使命とか本当に望んでることとかは、感情を超えたところから見ないといっこうに見つからないし気づけないんじゃないかという確信を得つつある。

宇宙の法則を学ぶのも、出来事はただ「起きているだけ」ということも、自分の人生をただしっかり観れば全て分かるし、全てが在る。どれだけ分かりやすいマスターの話、他人の話を聞いても腑に落ちる納得感はないのかなと思う。
こうやれば引き寄せられますとか、そういう話は全くの枝葉であることが分かる。枝葉で満足できる人はそれで全然オッケーだけど「自分を生きる」というレベルになればやはり自分の身に起きた全て(特にネガティブだと解釈した出来事)をしっかりと見て昇華しない限り、真髄が分からないのだなと思った。

・めちゃくちゃにネガティブに感じてることほど、実はめちゃくちゃにポジティブなことがある。ポジティブというのはワクワクするとかそういうものじゃなく、自分の人生への大きな恩恵。

・100%ネガティブな出来事はなく、必ず物事には裏表があるということも、自分の人生を深く知ることで知識じゃなく身体で分かってくる。それを積み重ねてると「本当にただ起きてるだけだ」という境地と、言いようもない安心感に辿り着けてくる。私はまだまだ序章に過ぎないところにいる。

・「ただ起きてるだけだ」ってのは本をいくら読んでも悟った(と自称する人)の話を聞いてもそりゃあ分からん訳だなぁと納得したし、瞑想によってその境地に行く人は本当の意味での「ただ観る」を体得した人なのだろう。

・愛とは受容、共感、肯定といった世の中で良しとされてるものだけではない。むしろそれを求めすぎていると反対の部分を拒絶するので結局のところ愛ではなく、自分の欲しい部分だけを見てるだけになる。(その反作用として拒絶や批判を引き寄せる)
甘いものだけを求め続けてると感情の奴隷になるし、感情に溺れ続けてありのままに見ることが出来ない。これを痛感した。
なので、広く一般に言われてる「愛」というものは受け入れられることとか温かい繋がりみたいな甘いものをイメージするが、それは一面に過ぎなくてその裏面(厳しさや拒絶、批判など)も含めて、愛。

・で、その愛というのは「こうあるべき」という常識や自分が握りしめてる信念、それから社会や地域が培ってきた「こうである」という染みついた当たり前すらも脱して見つめないと分からない。ここが難しいところ。でもそこが分かれば、解釈を変えるという思考の部分じゃなくて、勝手に認識が変わるという腑に落ちる体験が出来る。その体験によって、人生の見方がガラッと変わってしまう。

・感情が湧いてくる仕組みが改めて理解できた。感情が湧くのには必ず根っこがあり、その根っこを見なければ感情に振り回されるだけになる。根っこを見るためには理性が必要で、物事を分解する知性も必要で、結局やはり左脳的な働きも大事なのだなというところに辿り着く。

・頭の中に流れる思考は、未消化なものが減ってくるとだいぶ落ち着く感覚がある。私の場合は未消化なものをしっかり見て分解して適切なステップを踏んでいかないと、どんなに瞑想しようがヨガしようが変わらないなーという印象。というか、めっちゃ時間がかかる。
ので、ネガティブなことはさっさと見ちゃった方が時短でショートカットできて早い。ただ腹を括る必要はある。
私は腹を括るまで2年かかったな。なので、簡単じゃないことは分かる。多くの人が挫折する気持ちも分かる。怖いし。
ただ、実はめっちゃシンプル。簡単じゃないけど複雑ではないので大丈夫。一度この大丈夫、が分かれば強い。

・何が起きても大丈夫、の意味も分かってきた。それは物事が「ただ起きてるから」が分かってきたからでもある。この境地も説明できるけど、いくら説明しても自分の体験に勝るものはないので結局は個々人が体験しなきゃこの安心感は手に入らないのだなと思った。
いくら外側から大丈夫と言われても限界がある。でも、自分の内側で大丈夫だと確信できたら大袈裟でもなく世界は一変する。私も、変わりつつある。こんなにも大丈夫な世界だったのかと。

・許せなさ、怒り、恨み、復讐心が溜まってるとこんなにも身体に出るのかと驚かされるばかり。私は人生の早い段階で気付けてめちゃくちゃラッキーなのかもしれない。
今解消してる怒りや恨みに気付かず、この先もずっと持ち続けたまま何となくやり過ごす人生だったかと思うとゾッとする。本当にゾッとする。どっかで立ち行かなくなるのが目に見える。だから、今気付いて本当に本当に良かったと心から思う。
そして、がんをはじめとする病気が多いのも納得が行く。こういう感情が必ずあるし、先祖代々連鎖的に受け継いでいるのだろう。
そう思うと、家系図の末端にいる子どもに全ての皺寄せが来るのは納得が行く。

という訳で、重たいものを総ざらいしてる日々で毎日が飛ぶように過ぎていくけど、今やってることが全て消化したら当分の間は怖いものがないかも、、。

それぐらい自分にとっては大きいチャレンジに向かっています。よっしゃ。

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