情けは人のためならず

 平日は毎朝めざましテレビの午前6時55分ぐらいから始まる天気予報を見てから家を出る。基本的に朝は仕事に行きたくなさすぎて嘔吐寸前の状態がデフォルトなんだけど、お天気キャスターの阿部華也子さんを見て眼福を得ることにより辛うじて精神を平常状態へ持っていくことが出来るのだ。ちなみに阿部華也子さんは僕と同じ1996年生まれということを最近知ってかなりショックを受けた。同じ世代の人間でもこんなに差があるって現実はあまりにも非情で残酷すぎやしないだろうか。

 と、まあそんなことはさておき今日は土曜日だからいつもより遅い9時半ぐらいに起き、テレビをつけてももう天気予報はやっていなかった。なので今日は風がまあまあ強いということがわかったのは実際に外に出てからだった。

 このご時世だから外に出ていくのにも大義名分というかちゃんとした理由が要る。僕は会社に着ていくスーツを黒色と紺色の2種類持っていて、黒い方をクリーニングに出していたから、出来上がったそのスーツを取りに行かなければならなかったのだ。


 家を出てクリーニング屋のある駅前の方まで行くと、外出している人間はまあまあそれなりにいた。むしろちょっと多く感じるぐらいだ。駅近くのケンタッキーフライドチキンなんか行列とまではいかないけど、自動ドアの外側まで人が並んでいる始末。やれやれ。まああれなんだろう、人々はきっと外に出る理由を適当にこじつけてでも外に出たいのだろう。僕はクリーニング屋でスーツを受け取って帰路についた。


 帰り道をふらふらと歩いていると、道路の真ん中にどこかの家のゴミ箱だと思われるものが横倒しになっていた。倒れ方からするに風で飛ばされてきたようである。確かにちょっと風が強かったから、どこかの家の軽いゴミ箱が車道の真ん中まで飛ばされていてもおかしくはない。そのまま無視して通り過ぎても良かったのだが、このままでは車が通れなくなってしまうなと思った僕はそのゴミ箱を歩道の脇の邪魔にならないところに除けてやった。これで車を運転する人間の心労を少し軽減してやったことになる。


 こういう時に陰からこっそり一部始終を見ていた誰かが功労を讃えてくれればいいんだけど、残念なことに誰も僕のこの善行を見ていなかったようである。良い行いをすればその恩恵は巡り巡って自分に返ってくる、情けは人のためならずとか言うけど、実際に神的な存在か何かが「あなたはあの時車道のゴミ箱を除けてあげたので今日の晩飯はカレーです」とか逐一具体的に詳細を説明してくれないと「情けは人のためならず」という言葉を信用しきれない。


 というかそもそも車道の真ん中に倒れていたゴミ箱を脇にどかしたは良いものの、どこの家のものなのかはわからなかったし、また風が吹いたらもう一回車道に転がり出てしまうかもしれない。
 残念ながらそこまで気が回らなかった僕はゴミ箱を除けただけで満足してしまった。ここでちゃんと再度風で飛ばされないように処理を出来る人間がキー局のお天気キャスターのような輝かしい存在になっていくのだろう。

 しかも本当に良い行いをした時ってわざわざインターネット上でつらつらとそのことを書き連ねるのではなくそっと胸に閉まっておくべきもんだよなぁ。なんか途方もない自己嫌悪に陥ってきた。ということで、人間の醜いエゴイズムがちらりと垣間見えたところで本日の記事はおしまいです。ここまで読んで下さってありがとうございました。

おわり


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